【明慧日本2021年5月23日】遼寧省撫順市新濱県の法輪功学習者・王忠勝さん(以下、学習者)は2020年11月1日、同県の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官により連行され、家宅捜索を受けた。そして、撫順市順城区裁判所は4月26日、王さんに懲役4年と罰金4000元(約6万8000円)の判決を宣告した。
王さんは、新濱県の中国共産党の学校で教師の仕事をしていた。勤続年数30数年の王さんは真・善・忍の信仰を堅持したため、公職から追放されて繰り返し連行され、労働教養所や洗脳班に拘禁されていた。生活を維持するために、王さんは街を歩き回り、包丁やハサミなどを研ぐ商売をしたり、学生の勉強を指導する仕事をしたりしていた。20数年来、王さんと妻・王桂蘭さんは経済的な貧困と精神的な苦しみの中で、妻は2019年12月に死亡した。
1999年7.20の朝、王さんは朝の煉功を済ませて自転車に乗って帰ろうとしたところ、武装警官2人に止められ、用意していたワンボックスカーに押し込まれて、新濱県公安局まで連行された。その日、王さんのほか、学習者5人が連行され、党校に拘禁された。その後、学習者たちは強制洗脳を行われ、法輪功を止めると言わせられて、帰宅できた。
1999年9月5日、王さん夫妻は北京へ行き、法輪功迫害の停止を求めた。10月、王さんは北京から地元へ戻り、新濱県病院に入院している叔母の見舞いをしたとき、県公安局の局長・李国生などの警官に連行された。
1999年11月、新濱県公安局で「法輪功中心人物を処分する公開大会」を開き、当時、政府人員、公安局のリーダーなどが参加し、拘禁されている学習者たちが連れて行かれた。県長はその場で王さんの公職を解任した書類を読み上げ、県テレビ局がその大会を録画して、放送したという。
同年12月末、王さんは労働教養処分2年をくだされ、撫順市労働教養所に収容された。2000年10月、王さんは教養所外の執行になって、帰宅した。
そして、2000年末、王さんは再度、北京へ行き、法輪功の陳情をした。12月30日、天安門広場で王さんは私服警官によって天安門留置場に連行され、夜になって豊台留置場に移送された。留置場で写真を撮られることを拒否した王さんは、警官に殴られて地面に倒れ、そして蹴られた。
2001年旧暦の正月、王さんは北京で、法輪功迫害の真実についての資料を配ったため、派出所に連行された。名前と住所を言わなかった王さんは、警官に殴られて蹴られ、鉄の籠に閉じ込められた。その後、王さんは北京市朝陽区留置場に送られ、刑事犯と一緒に拘禁された。その後、新濱県公安局の警官2人は王さんを撫順市に連れ戻し、撫順労働教養所に入れた。
王さんは労働教養所の迫害より、首にできものができて段々大きくなり、喀血もした。そのため、病院で検査を受け、癌の疑いがあると診断され、治療のために仮釈放された。
2002年、教養所の教育科の人員が王さんの家に行った。その後、王さんは興京ホテルまで呼び出された。ホテルには当時の新濱県政法委の書記など、他の多くの人がいて、王さんが「転向」した典型的な見本を作り上げようとし、教養所の人員は王さんに「転向に同意すれば、復職できる」と話し、そして、すべての資料は遼寧日報の記者によって書かれていた。しかし、王さんは同意しなかった。
2004年9月のある日の夜、新濱県派出所の警官らは王さんを派出所に連行し、法輪功を放棄するよう強要した。従わなかった王さんは羅台山荘洗脳班に送られた。
2008年の北京五輪の期間中、王さんはまた、警官に連行され、家宅捜索を受けた。
2020年11月1日、王さんは新濱県の警官に連行された。午後、王さんの息子は警官に呼び出され、サインを要求された。その後、刑事拘留の王さんは撫順市南溝留置場に拘禁されたという。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)