【明慧日本2021年5月31日】最近、明慧に掲載された「法を正すことが終わる時期に対する考えと予言」という記事を読みました。その日の夜は、ほとんど眠れませんでした。その後、私は落ち着いて自分の考えを整理し、長年の学法の基礎から分析したところ、多くの発見がありました。ここでは、私が理解したことの一部を皆さんにお伝えしたいと思います。
まず、法を深く理解している大法弟子なら、この記事のあちこちに問題があることがわかるはずです。細かい分析をすることは、この記事を書く目的ではありません。 なぜこの記事が掲載されたのかはともかく、私はこれを師父の説法から理解しています。もしあなたが公衆の面前で2人の大法弟子が顔を真っ赤にして、言い争いをしているのを見たとします。これは2人の問題だと心の中で理解して、今度は自分のことを振り返って「なぜこの場面を自分に見させたのか?」と考えます。
この世に偶然というものはありません。この記事は私たちのどのような執着に向けられているのでしょうか? アメリカの選挙結果や中共ウイルスと共に中国共産党の統治が終わるという予言に期待したのでしょうか? これらの執着は、私たちが法を正す終焉に執着していることを示しているのではないでしょうか?
アメリカの選挙結果を受け入れることができるのは、人間の道徳がどれほど悪化しているかを人々に示していることを知っているからです。この記事では、法を正す終焉まであと7年半かかると予測されており、私は、前に進む力を奪われるような衝撃を受けました。
2003年、私は迫害を避けるために放浪生活することを余儀なくされました。18年間、私は多くの苦難を経験しました。警官は省を越えて私を追いかけ、2度も逮捕しました。身分証明書は使えません。中国では、書類を持っていないと非常に困るのです。仕事を見つけるのはとても難しく、見つけても長くは働けません。
中共ウイルスが発生したとき、住宅地の警備員がWechatを使って連絡先を追跡するように要求したため、私は住んでいる小さな地区から出ることができませんでした。もう1年以上も無収入で、貯金も減ってきています。この記事を読んだ後、私は、太平洋を泳いで渡って上陸しようとしたら、その先にはまだ大西洋が待っていたというような気持ちになりました。
大法を信じる気持ちは誰にも変えることはできませんが、目の前の関は圧倒的な存在感を放っています。私の精神的な耐久力は、限界まで伸ばした弓の弦のようなもので、今にも切れそうです。この時、26年間学び続けた法の基礎が私を支えてくれました。
私は自分に問いかけました。あなたは、この記事のどこが悪いのかを探して、予言が不正確であることを自分に納得させようとしています。もし、新型コロナウイルスが過ぎ去っても、中共が崩壊せず、さらに、2028年までに法を正すことが終わらなかったとしても、あなたはまだ熱心に修煉を続けることができますか? あなたはいつも、師父が説かれたことは何でも信じると言っています。もし師父が、法を正す終焉まで、あと10年、20年と続くとおっしゃるなら、私は這ってでもゴールしなければなりません。もし私に力が残っていなくて死んでしまったら、私の頭はゴールに向かって倒れるでしょう。いつ終わるかは師父にしか分からないのですが、師父は語らないでしょう。なぜでしょうか? 師父の法を正す方式が何なのか、あなたはこの26年間の法の勉強でまだ理解していないのでしょうか?
まず、師父は何をするにしても、何を説かれるにしても、それが大法弟子の修煉に役立つかどうか、衆生を救うことができるかどうかを考えます。もし、師が法を正す終焉の時間を教えてくださったら、誰もが時間に執着して修煉するでしょう。真実が大いに現れ、人々に真相が見えて修煉し始めたら、それでも修煉と言えるのでしょうか?
第二に、法を正すことがいつ終わるかは師父が決められることです。もし師父が終了時間を延長して50%の人を救うことができたら、私たちは苦労しすぎて修煉に失敗してしまうのではないかと心配しています。師父は私たちがより多くの人を救うことを望んでおられ、達成できない目標を与えることはありません。
師父は「もし全ての学習者が皆このようにできれば、皆さんに教えますが、同時に正念を発するその5分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります。これほど重要なのです」 [1]と説かれました。
師父は弟子たちの修煉のレベルが違うことを知っておいでなので、私たちに物事を押し付けたりはされません。もし私たちが修煉に失敗したら、師は私たちの面倒を見なくなるのではないかと心配していませんか?
師父は「実は、皆さん自身よりもわたしは皆さんのことを大切にしているのです!」 [2]と説かれました。
一方で、普通の人のように苦難に耐えるだけでは、修煉はとても大変で疲れてしまいます。しかし、人を救うという視点に立ち、なぜ自分は危険を冒してまでこの三界に来たのかを思い出すと、気持ちが楽になるかもしれません。宇宙の真理を守るために命を捧げることができるのだから、多少の苦しみはそれほど辛いことではないのです。
私たちは何を心配しているのでしょうか? 以前、明慧に掲載された「異次元の世界で修煉者が見たものについて」の記事を読んで、コロナウイルスによる大淘汰に執着を持った人がいたからでしょうか? あるいは、自分の執着に合わない記事を読むと、それに耐えられなくなってしまうのでしょうか? そのようなことはありませんか?
私たちはこの重荷を手放し、法を正す最後の時期までに執着を取り除かなければなりません。ただ、師父に信頼を置くのです。師父は私たちの苦しみを知っておられます。師の法身はいつも私たちの隣にいらっしゃるのではないでしょうか? 師父がずっと私たちを守ってくださらなかったら、私たちはやっていけるでしょうか? どんなに時間が経っても、師は私たちを見守ってくださっています。
修煉とは苦難に耐えることですが、これは私たちの強大な徳を確立する機会でもあるのではないでしょうか? 私たちは今世で修煉することを選んだのであり、これは私たちの聖なる使命です。執着を捨てて、人々を救うために全力を尽くすべきです。
「両岸(りょうがん)の猿声(えんせい)啼(な)いて住(や)まず、軽舟(けいしゅう)己(すで)に過(す)ぐ万重(ばんちょう)の山(やま)」 [3]皆さんも私の経験から学んでください。みんなで自分を見つめ直し、一緒に改善していきましょう。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ洲法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】
【編集後記: 困難な状況にあっても、この修煉者は揺るがず、自分の内面を見つめて修煉し、明慧ネットに記事を投稿しています。この記事を書き終えて、筆者は自分の時間への執着とその理由をはっきりと認識しました。この記事が公開された日、筆者の状況は奇跡的に好転しました。師の詩を実感しました】
「幾多の執着の事を静思し 人心を捨て去れば、悪は自から敗る」『洪吟』「哀しまないで」