文/四川省の大法弟子 文文
【明慧日本2021年6月28日】法輪大法は素晴らしい力を持っており、その力は極めて洪大であり細微まで広がっています。この記事で紹介されている例は、世間一般における次元での大法の力のほんの小さな現れです。大法は人類に幸福をもたらします。大法の素晴らしいパワーと特異性は人々を返本帰真(本来の姿にもどす)させるためのものなのです。
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これは私の夫の身に起こった本当の話です。法輪大法のおかげで夫は命を救われ、修煉の道に入る事が出来ました。
夫は長年、糖尿病を患っていました。2019年7月、夫の病状が急に悪化し、28日には意識が朦朧とした状態に陥りました。当時、息子は出張中でしたので、私は急いで電話をかけて息子を呼び戻しました。そして、息子は家に着くとすぐに救急車を呼び、夫を病院に搬送しました。
医者は「糖尿病で引き起こされた合併症だ」と診断しました。血糖値測定器で血糖を測ったら、血糖値が高すぎて、数値が表示されなくなりました。それで、夫はすぐ、ICUに送られました。
しかし、8月2日、医者は私たちに、夫の病気はもう治らないので、夫を連れて帰るようと告げたのです。
仕方がなく、息子は夫を受け入れる病院を探し、移送しました。しかし、移送先の病院でも夫の血糖値を測れませんでした。そのとき、夫の足が腫れて壊疽し始め血が流れました。しかも、腐ったところにはウジがわいて悪臭を放っていました。かかとは皮膚と骨だけが残り筋肉がなくなっていきました。そして、失禁でベッドを汚し、1日に何度もシーツ交換をするので、介護がとても大変でした。
医者は「これ以上の治療はできません。これからは、自分の足で歩けなくなります。ベッドから降りることはできないでしょう。正月まで生きられないかもしれません」と言いました。その間にも、病院から危篤の通知を3回も受け、夫はすでに死の宣告を受けていたのです。
さらに数日後、医師から「足を切断するしかないでしょう」との説明を受けました。私と息子は同意をしませんでした。夫にはこのことを話しませんでした。
危篤状態の夫を見て、以前の私自身に起きたことを思い出しました。1994年以前の私は、めまい、頭痛、胃の出血、腎臓炎、胆嚢炎、子宮筋腫など多くの病気を患い、失神したりして、不眠症にも悩まされていました。ある日、私は省の病院へ子宮筋腫の手術をしに出かけました。途中で親戚に会い、彼女は「私は法輪功を学んでいます。法輪功はとてもいい功法です。煉ってみませんか」と話してくれました。話を聞いて、私は「そうだ、手術を止めよう。法輪功を学んでみよう」と思いました。
そして、私は修煉を始めました。暫くして子宮筋腫が治りました。そのうち、ほかの病気も完治し、体が軽やかになりました! 私の身に起きた奇跡を夫が目の当たりにしており、当たり前のように、私の修煉を支援してくれたのでした。
しかし、1999年7月、江沢民グループは気が狂ったように法輪功への弾圧を開始しました。私は北京へ行き、政府に大法の真実を話そうとしましたが、留置場に拘禁されました。帰宅した後、警官とコミュニティの関係者が常に家にきて騒ぎました。夫は、彼らの言うことに従うことはありませんでした。私が大法を学んで心身ともに元気になった話をしたり「法輪功は良い功法だ」と話しました。その後、法輪大法の真相を伝えるため、我が家は「資料点」になりました。息子も支持してくれて、必要な材料などを買ったりしてくれました。私は大法の資料を作って配ったり、大法の横断幕をかけたり、大法の真相チラシを貼ったりしました。夫はいつも、私を手伝ってくれました。
これらのことを思い出し「夫は大法のために生まれた生命であり、大法の道を歩むべきだ。夫に学法、煉功をさせた方が良い。足を切断してはならない。夫の生死は師父が決められることなので、医者が決めることではない」と思いました。
入院して1カ月過ぎたころ、医者は「ご主人は高齢だし血糖値が高すぎるので、足の切断もできない状態です」と言いました。
夫は重症者だったので、医師や看護師が毎日、さまざまな検査や治療を絶え間なく行っていました。そのため、夫は昼に師父の説法の録音を聴くことができず、夜にしか聴けませんでした。夫の病状を考え、私と息子は介護の分担をすることにしました。私は昼、夫の介護をし、夜に帰宅して学法することにしました。朝3時に起き、煉功と発正念をして、病院へ行き、息子と交代しました。
大法弟子の私は、夫の世話をしなければいけませんが、大法の真相を伝えること人を救うこともしなければなりいけません。「夫が修煉したいと思うなら、師父がきっと按排してくださるし、私は師父に言われたことをしっかりこなし、すべてが順調に進むことができる」と思いました。毎日、家と病院を往復していましたが「三つのこと」もしっかりとやりました。毎日朝晩、三輪車タクシーで往復していたので、三輪車の運転手に大法の真実を伝え「三退」を勧めました。夫が点滴をしている間、私は市場へ食材を買いに行き、野菜農家の人たちに大法の真実を伝え「三退」を勧めました。夕方、息子が来た後、mp3で夫に師父の説法の録音を聴かせることにしました。
息子は夫に「今、李洪志師父しかお父さんを救えないのです。入院も数カ月になっており、家の貯蓄もそろそろなくなるので、このままだと家を売ってもお父さんの病気を治すことはできません。病院を信じるか大法を信じるかよく考えてほしいのです」と話しました。
同修たちも夫を見舞いにきたとき、夫に大法の修煉を勧めました。
ある日、息子は「夜中にお父さんは突然『師父、私はもう退院したいのです。家に帰って、学法、煉功をします。師父について家に帰りたいのです』と話したんだよ。お父さんの話声で僕は目が覚めたんだ」と私に話しました。それから、夫は医者に退院したいと伝えました。しかし、医者は、夫の病気が重くて1日に3回も点滴を受けなければならないし、たくさんの薬も飲まないといけないから、と言って夫の退院に同意しませんでした。
私は「師父、夫が退院できるようにお願いします」と心の中で師父にお願いしました。医者が夫の一時帰宅を許可してくれたのは、正月の少し前のことでした。しかも、夫の一時帰宅は3日間しか許されませんでした。私は再度、師父にお願いしました。「医者の言葉は無効です。すべては師父の言うことに従います」
夫はその時、一時帰宅で帰宅しましたが、あれから一度も入院したことはありませんでした。
夫の退院の翌日から武漢ウイルスの流行が始まり、地域の封鎖を始めました。しかし、大法弟子としての義務と責任があり、人を救うこと、大法の真実を伝えることを止めることはできません。私と同修は正月の2日目には出かけ、大法の資料を配り、真実を伝え「三つのこと」を行いました。今日まで、私はどんな状況下でも、どんな天候でも、1日も無駄にすることはありませんでした。
退院してから、夫は、毎日、師父の説法を聴き「法輪大法は素晴らしい」を念じ、大法の音楽や明慧ラジオを聴きました。夫の足の筋肉は徐々につき、顔色もよくなりました。それから、夫は車いすを押して歩けるようになり、次第に車いすなしで歩く事が出来、元気になりました。
本当に奇跡でした! 医者も夫のことが奇跡だと言いました!
親戚や友人が夫を見舞いに来ると、夫は師父が命を救ってくださったことを話し、中共を脱退するようにと勧めました。ほとんどの人が「三退」をしました。
夫は死の淵から生還し、新しい人生を手に入れました。夫を救ったのは大法の師父です。私たち家族は大法の師父の恩恵を受けています。私たちはかならず、師父が按排してくださった道を歩み、より多くの人を救い、師父について本当の家に帰ります。
師父に感謝いたします! 合掌!