文/海外の法輪功学習者
【明慧日本2021年6月29日】私は幼い時に祖母に連れられて一緒に法輪功を修煉し、その後また母親と一緒に家で修煉し、常に週末は公園に行って煉功し、同修の家に行って師父の説法ビデオも拝見し、他の同修の交流を聞きました。私は学校に通うようになって間もなく、『轉法輪』が熟読でき、ひいては苦心して繁体字を学んだこともないのに、繁体字の『轉法輪』も読めるようになり、とても不思議でした。
1999年7月20日、中国共産党(以下、中共)が狂ったように大法を迫害し始めた後も、母は法輪大法を続けて修煉していて、全工場で最初に大法の修煉を実践したとして仕事を失い、2000年10月、また2回目に天安門に行ったため3年の不当な労働教養を下されました。
2008年北京オリンピックの時、拘置所に不当に監禁され、その時私は18歳でした。私は母を救うことと迫害制止活動を始め、何度も警察署に行って真相を伝え、差し押さえられた物品を取り返しました。そして、警察宛てに手紙を書いて事実を説明しました。私はまた、検察庁や裁判所に行って告訴状を渡し、同修は母の最新情報を適時に明慧ネットに送ってくれました。
私は毎週いつも拘置所に行って、母が確固として正念を守り抜くように壁を隔てて母に声をかけました。拘置所は郊外の山の上にあり、私は学校が終わった後、拘置所までの道のりの半分は明るい街の中でしたが、そのあとは田舎道で拘置所に着いた時は、あたりは暗くなっていました。山を下りる時はすでに北部の冬の夜7時過ぎは、田舎の小道は一寸先も見えなくなりましたが、師父がずっとそばで私を保護して下さっていると堅く信じ、勇気を出してやっと1人で山を下りることができました。
修煉から離れる
母が不当に判決を下された後、私と一緒に学法してくれる人がいなくなり、私も何かを変えることはできないと思い、それから懈怠し始め、毎日常人のような日々を送りました。迫害による精神的緊張から逃れたくて、だんだん大法から益々遠く離れましたが、私は終始、自分は幼い時から大法の中で育ち、私の生命は永遠に大法から離れられず、大法ととても深い縁があると思っていました。
2015年、私は夫と結婚した後、海外に出て、現地に着いた翌日、ちょうど神韻の公演が開催されていたのです。母の望みを叶えるために、私達は神韻を見に行きました。そこで偶然、神韻の大型バスの担当だった同修に出会い、私達は興奮して神韻の大型バスと一緒に写真を撮りました。海外に来て何日も経たない間に、師父はすぐ私を同修に出会うように導いてくださいました。私達は現地の同修が住んでいる所と数十メートルしか離れていないことが分かりました。彼女達は私の為に正式に出版された『轉法輪』を送ってくれました。当時、中国のような圧力は一気になくなり、何を見ても全部目新しく、数人の同修と一緒に住んでいた状況の下でも、私の中に再び修煉しようとする心が生じず、ある時は常人の考え方で彼らの生活に疑問を持ち、英語の資料を皆で協力して配っても、依然として彼らはとてもつまらない、ちっとも追求がないと思いました。
私は毎日の仕事と、金儲けに忙しく、更に良い生活を夢見て過ごしていました。母は毎回、電話で私に大法の修煉に戻るようにと言いましたが、私はいつも母に反抗して喧嘩をし、母にこれ以上言わないようにさせました。何回も電話を置いた後、以前のような迫害され、恐れおののく日々を思い出すと、いつも涙を流しながら心の中で師父に「師父、私を気に掛けないでください、私は修煉したくありません」などと言い、師父はどれほど失望されたでしょう!
私は人生はつまりこういうことで、努力さえすれば生活はだんだん良くなると思っていました。そんな時、早産で赤ちゃんが生まれたのです。娘を出産したことで、私の人生は変わりました。
早産の赤ちゃんが救われた
娘が生後4カ月になった時、2回の誤診のため、長時間、脳への酸素不足が原因で、てんかんを発症しました。ICU(集中治療室)の医師は心の準備をしておくように伝え、私は天が崩れ落ちるような気持ちになり、自分の運命はどうしてこれほど苦しいのかと思いました。これまで2回流産し、今度は早産した上に娘がてんかんを患ったのです。医者ははっきり言いませんでしたが、多くの薬を使っても子どものてんかんは抑えられず、発作は続き、命の危険があると分かりました。家族は占い師のところに行き、何人かが皆、まさにこの1日、2日の間に何かが起こると言ったのです!
母に電話をすると、母は私に求めるような口ぶりで、再び大法を信じ、子どもに師父の説法の録音を聞かせるように言いました。母は私に次のように話しました。「大法を信じると、あなたは大法と師父に守られるので、恐れることは何もないのよ。私があなたを騙すと思うの?」
それから私は、ICUで昼夜を問わず娘に師父の説法の録音を聞かせ、私もそばで聞いていました。当時、私は医者の2回の誤診で、娘が適時に正確な応急処置を受けられなかったと思い、多くの弁護士に意見を求めました。すると皆が、このような状況はとても深刻で、訴訟を起こせば必ず勝ち、そして賠償金も数百万ドルに及ぶと教えてくれました。私は娘のために納得のできる結果を得ようとしました。しかし、説法の録音を1回、2回と聞いて、だんだんと心の中で無意識のうちに、大法の基準に基づいて自分を判断するようになりました。毎回、師父の「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」[1]を聞いて、自分は良くない考えを起こしたと思い、医者も故意にしたのではなく、彼らが訴訟に巻き込まれれば、心理的緊張を招き、他の子どもへの診察にも影響を与えるでしょう。私はすでに法輪功学習者で、更に高い基準で自分に要求すべきであり、彼らを許すことを選びました。
思った通り、娘はICUで8日間深く眠った後、病状が抑えられました。医者は、長時間の酸素不足により、大脳の後半部と中間部が元の状態に戻らない損傷を起こしたと言いました。しかし、娘は目覚めた後、私を見て笑いました。私は娘が違う人になったように感じました。病院で28日間入院してからやっと退院し、保険を含め医療費は更に100万ドルに及びました。私は保障に関する問題を幾つかの新しい方法で始めようと考えましたが、私には師父がおられ、大法があるので、私の子どもは必ず奇跡の赤ちゃんになると信じました。大法が娘に新しい生命を与えてくださったのです。
娘が家に帰ってから、もう一つの困難に直面しました。娘はてんかんになってから飲み込む能力に障害が生じました。娘は空腹を感じないため、食事のたびにチューブを通じてミルクを入れていました。娘は何度もチューブを抜いてしまい、毎回入れるとき、娘は苦しくて泣き、私も娘を抱いて泣きました。急診に数回通った後、医者は、子どもの胃に穴を開け、外からチューブで食事を与えることを提案しました。私は落ち込んでしまいました。私は赤ちゃんにどうしてこのようにできるのですか? 娘は未来の法輪功学習者です。娘の命をどうして1本のチューブに預けることができるでしょうか? 私は「師父、私は娘を師父にお任せします。この子は師父の子ども弟子です。この子を救って下さい!」とお願いしました。
ある日、私は娘が口でミルクを飲めるように訓練しようと決めました。私は注射器の針で娘に1滴ずつ飲ませましたが、口に入るたびに娘はいつもぎゃーぎゃー泣き、このようにしても娘は空腹を感じず、私は絶えず娘を抱いて「法輪大法は素晴らしい」、「師父、お願いします」と念じました。
3日目の夜になって、私は不思議な夢を見ました。ある老人が私に、筆で字を書く時に使う昔の硯(すずり、中国語で飲み込むという意味の咽[イン]と同じ発音)を授けてくれたのです。夢から覚めた後、師父が娘に飲み込む能力を与えられたと悟りました。私は哺乳瓶を持って娘にミルクを飲ませようとして娘の口にもっていくと、娘は全部飲み干したのです。
これで私は自信がつきました。本当は師父がずっと娘を気にかけてくださっていたのです。元々学法が十分にできていないので、自分の悟りがなかなか追い付かず、心の中に不安がありました。今思うと、やはり師と法を信じることが足りなかったのです。これ以降、娘に二度とチューブを挿入したことはありません。
入院している時、娘が寝てから、病棟の全ての階に法輪功の資料を配り、中国で起きている法輪功迫害について説明しました。医者、看護師、患者は皆私の話を真剣に聞き、私は真相を伝えるべきだと思いました。その後、奇跡が起きました。
私が今回資料を配ってから数日、娘の飲むミルクの量が突然増え、半月後、完全に正常に飲めるようになりました。師父の慈悲なる救い済度で、再び娘が救われました。みな娘の快復がこんなに速いことにとても驚きました! 医者に脳に損傷があると診断された娘が、3カ月も経たないうちにチューブを外し、言語聴覚士がテストを行った結果リハビリは必要ないとの結果でした。
そればかりでなく、てんかんの発作も二度と起きたことはありません。私はほぼ毎朝、ベビーカーを押しながら公園に行って煉功しました。毎日家で子守りをしても、大法のために何もできませんが、煉功場に行くと法を広めることができるだけでなく、子どもにも良いと思い、私はなおさら怠けてはいけません。「われわれの煉功場は他のいかなる功法の練功場よりも素晴らしく、われわれの場は、そこへ行って煉功さえすれば、病気治療よりずっと効き目があります。わたしの法身がまわりを囲んで坐り、煉功場の上空には覆いがあり、その上に大きな法輪があって、『大法身』が覆いの上から煉功場を見守っています。その場は、並大抵の場ではなく、普通の練功の場とは違い、修煉の場なのです。功能を持つ多くの人はみな、赤い光に包まれて、一面真っ赤になっている法輪大法のこの場を見たことがあります」[1]娘は生後8、9カ月でしたが、私が煉功している間、ベビーカーの中で寝ていました。
娘があまり食べなくなる度に、または他の事が生じると、私はいつも、「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]という師父の詩を暗唱し、自分を励ましました。そして毎回、師父はすでに娘に飲み込む力を与えてくださったので、娘は必ず飲み込むことができる! と思いました。
娘が病気になって6カ月後、脳神経科の医者も娘にはてんかんの兆候がないと確認し、そして薬もいらないと言いました。通常は、てんかんの子どもは少なくとも2年間薬を飲んでから、徐々に薬の量を減らしていくのですが、娘はとても健康で、よく話し、よく笑います。私は毎日、娘に師父の説法の録音を聞かせ、ある時はまた娘に『轉法輪』を読んで聞かせ、常に娘に「法輪大法は素晴らしい」の曲を歌ってあげています。
私は次のように思いました。娘も普通の常人ではなく、もしかすると長く久しい遥か昔、私達が世に下りて来る前に、お互いに会ったら必ず相手に思い出させて、常人の中で見失わないように、必ず相手を引っ張ってくるように約束したのでしょう。今まで歩んで来て、大きな回り道をしましたが、修煉に戻れて、どれほど良かったことでしょう! 大法を離れて10年間、何も得ず、むしろかつてなかった多くの執着心を増やしただけでした。もし娘と会わなければ、私は再び修煉しようと思うことはなかったでしょう。師父は私と娘を救って下さり、私を再び大法に呼び戻してくださり、悪い事を良い事に変えてくださいました。同修も私を見捨てず、いつも私を助けてくれました。
師父のご恩に感謝を申し上げます! 同修に感謝します! 最後に師父の説法を皆さんと共有したいと思います。「人間の観念を放下したら、物質が何もかもなくなるということではなく、和尚のように、修道士のようになるということではありません。私が皆さんを常人の中で修煉させているので、皆さんは常人社会の状態に符合していなければなりません。つまり、あなたが本当に放下したのはその心です。人間がどうしても放下できないのはその心です。その心を本当に放下することができるようになった時、あなたは何も失っていないということに気付くのです」[3]「本当にその心を放下することができるようになった時、情況はすぐに変化し、考えは直ちに楽になり、身体にも変化が起こり、全身が軽くなります。この時振り返ってみれば、あなたは何も失っておらず、しかも本当に中国人が言った『柳暗花明又一村』のように、突然良いことがまた舞い戻ってきます」[3]
以上は私の1年近くにわたる体験です。これからも、しっかり着実に修煉し、最後の道をよりよく歩みたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
[3] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』