文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年7月4日】昨日、同修と2時間ほど交流し、自分には一つの問題があることに気づきました。それは「他人が話したことを受け入れられない」ということです。つまり、その時は何も言いませんが、次にその人に会ったら心を閉ざし、心の中で、「彼女は私の問題を受けれられないだろう」と思うのです。
細かく見てみると、自分にはやはり他人への強い観念があって、いつも他人を変えようとし、それで他人が受け入れられないのです。
自分が傷つくのを恐れ、至る所で自我が出て、自分が書いた交流文章にさえ他人にこの問題が無いかを探し、心の中では全体に溶け込みたいのですが、結果は溶け込むどころか、間隔がさらに大きくなり、表面上では平和的ですが、心の中では自分の各種の観念と認識が詰め込まれ、心の容量が大きくなるどころか、小さくなってしまいました。
同修は、「人を傷つけるのは簡単です」、「自分の近くにいる夫にさえ、自分は至らない」と言い、「夫は95%以上が人のためで、年齢に関わらず、特別な方法を使わず、どんな事も気にせず、他人のために考えていて、ただ他人のために事を行い、他人に満足してもらっています。しかし自分はこんなに長年修煉し、常人よりも更に高い法理の真・善・忍で自分の言行を指導しているのに、どうして出来ないのでしょう?」と言いました。
どんな事でも、まず自分を優先し、自分が限定したグループにおり、どんなに修めても「自我」の囲いから飛び出せません。自分の「自我」で、どのように他人を受けれられますか? どのように他人と相互に分かり合えるのですか? どのように師父の要求された全体の向上が出来るのですか?
どうして心を開いて話せないのか、他人を恐れ、打撃と報復を恐れ、弱みにつけ込まれることを恐れ、他人に自分の漏れをつかまれるのを恐れ、皆に包囲攻撃されるのを恐れ、自分が我慢できないことを恐れていました。つまり、多すぎる人心に包まれていました。
今日それを暴露し、それを取り除き、自分の一つ一つの私心を掘り出し、隠されたものを出します。その人心さえも取り除けないのですか? 普通の人間から早く抜け出しましょう。間隔を消去し、互いに助け合って修煉します。そのようにしてやっと師父の本当の修める弟子と言えます。
師父は説かれました。「末世に爛鬼多し 人の皮を被りて 間隔を除き尽すと 世上に油の鍋が用意されている」[1]
「常人は只、神仙に做ることを想う 玄妙の後面に、辛酸有り 心を修め、欲を断ち、執着を去る 難の中に迷って、青天を恨む」[2]
個人の現段階の認識で、不適切なところがあれば慈悲なる指摘をお願い致します。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「応報」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「誰が敢えて常人の心を捨て去るか」
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】