文/明史
【明慧日本2021年7月9日】世界中のあらゆる文明や先史時代の文化において、言語がどんなに違っていても、国と国がいくら距離があっても、海やはてしない砂漠で隔てられていても、「卍」符が描かれた道具や物などが次々と発見されている。先史時代の文明から、古代、近代、現代に至るまで、なぜこの神秘な「卍」符は世界中で共鳴が引き起こされたのでしょうか?
先史文化に「卍」符の記録
考古学者たちの発見によって、「卍」符は長い歴史を持つ悠久な符号であることが証明された。ウクライナの国立歴史博物館の陳列品の中に、動物の歯に施された彫刻があります。この彫刻は旧石器時代のもので歯に彫られた鳥の彫刻に「卍」符の模様が刻まれています。鑑定によれば、この彫刻は1万5千年前のものです。
「卍」符はずっと前にヨーロッパで現れ、人間の認識を遥かに超えています。イタリア、スイス、スペイン、ボルトガルの山岳地帯に、「卍」符と似た神秘なトーテムが見つかり、すべて1万年以上の歴史があります。
ボルトガルの山にある、「卍」符と似ている神秘なトーテム(ネット写真) |
南欧の新石器時代の文化は、今まで知られている「卍」符を使用する最も古い文化の一つです。この文化は、現代のセルビア、クロアチア、ボスニア、ヘルツェゴビナに分布しており、ヴィンチャ文化(Vinca Culture)と呼ばれ、8000年前に遡ることができます。
ヨーロッパだけでなく、中国には「卍」符が多くの所に見られます。例えば9000年前の新石器時代の彭頭山文化(ほうとうざんぶんか)があります。中国の多くの地域で「卍」符がある遺跡が見つかりました。甘粛省と青海省の馬家窯文化遺跡、広東省の石峡文化遺跡、内モンゴルの小河沿文化遺跡、湖南省の彭頭山文化遺跡と高廟文化遺跡、浙江省の河姆渡文化遺跡、山東省の大汶口文化遺跡など、広域にわたり多くの遺跡の中に、「卍」符の模様が残されています。
馬家窯文化(ばかようぶんか)カラー陶器の上に描かれた卍符(ネット写真) |
つまり、東洋と西洋の先史文化にも、多くの「卍」符が存在し、広く行き渡っていました。
現代の考古学的発見「卍」符
世界の多くの古代遺跡の中に、考古学者は多くの「卍」符を見つけました。例えば古代インド、古代ギリシア、アラブ、ロシア、スコットランド、アイルランド、クレタ文明、マヤ文明、更に、キリスト教、ビザンチン文化などに、「卍」符が見られます。
世界各地に現れた「卍」符(ネット写真) |
西洋社会に現れた「卍」符はいろいろな領域に見られます。キリスト教の教会の建物の上に、キリスト像の袍衣(ほうい)の上に、19世紀のロシアの紙幣上に、ギリシアの主神ゼウスの袍衣の上に、古代ローマ時代の祭壇に、イスラエルの古い礼拝堂にも見られます。
古代のギリシアのピタゴラスは「卍」符を「Tetraktys」と呼び、天国と地球が連携していて、「卍」の右の線が「天国」を指し、左の線が「地球」を指すと認識していました。「卍」符はフェニキア人には「太陽」の符号と見なされ、女祭司には「神聖な符号」として使われていました。
西ヨーロッパでは、「卍」符の使用が大昔から多くの地域で使われています。例えばイギリスのヨークシャーの青銅器時代の「卍」の符号。南アメリカやブラジルの古代インディオの遺骨のカメには、喜んでいる人物の両側に「卍」の符号があります。「卍」符は生命の美しい目的地と見なされ、人々の天国へ憧れを表しています。
アフリカにも「卍」符があります。一部のアフリカの民族は、この符号のことをよく知っています。ガーナには黄金を測る分銅の中に、「卍」符の模様の分銅があります。ガーナ人は「卍」符が生命と関わり、最も吉祥な図案だと認識しています。
アフリカのコンゴ国の伝統信仰の中に、「卍」符は神聖な印であると認識されています。アメリカのインディオの伝統的な服装にも「卍」符の模様があり、吉祥と幸運を表しています。
では「卍」符の現れとは、人類文化が互いに受け継いでいくものなのか? 異なる信仰の中に共通の所があるのか? なぜ「卍」符の時間がこんなに長く存在しているのか? なぜ「卍」符は人に神聖と見なされているのか? 「卍」符は異なる宗教、異なる時空を超えて、生命への永遠の欲望と追及を表現しているのです。
「卍」符が現れる年代と地域は、ほぼ同時に東方と西洋に現れました。異なる大陸なのに、意味や使用法がとても近く、人類の文化の非常に重要な共通性に関わりを持ちます。「卍」符はお寺や、神殿、或いは生命の生と死の儀式の中に現れ、人々の生活への憧憬や希望の中に登場しています…。「卍」符は恐らく人々が生命の永遠なる幸福に対する祈りを象徴していて、信仰とは切り離す事が出来ません。
「卍」符は同時に東方と西洋に現れました |
(続く)