文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年7月18日】最近、明慧ネットに同修の甲さんが地元の警察に包囲され、迫害を逃れるため、シーツで作ったロープで4階から降りる際、落ちて亡くなったことが報道されました。私は普段から甲さんと親しい関係でした。亡くなった同修の問題と教訓には普遍性があり、注意喚起のため、私の考えを皆さんと交流させていただきます。「これらの事に関して、われわれはそのこと自体を問題視しており、人を指して言っているのではなく、つまりその事だけを言っているのです」[1]
甲さんは穏やかで、素晴らしい同修でした。甲さんはいつも大法に関する資料や、『共産党についての九つの論評』、神韻公演のDVDなどをたくさんバッグに入れて、あちこちで配り、人々に法輪功迫害の実態を伝えていました。甲さんは密告されることも恐れず、都会から田舎にまで、人を選ばずに法輪功迫害の実態を広く伝えていたため、まるで「海外にいるような感じだ」と他の同修たちに言われていました。
甲さんはこの7、8年の間に、ほぼ毎日のように出かけて大法の真相を伝えてきました。地元の資料拠点で作られた資料は、3分の1から半分ぐらいが甲さんに提供していました。甲さんは私と一緒に協力して真相を伝えることが多かったのですが、1人で行動することもよくありました。
だいたい毎年1回の頻度で、甲さんは中国共産党(以下、中共)に不当に連行されました。最初のころ、私たちは皆心配しましたが、甲さんは間もなく無事釈放されました。その時、甲さんは正々堂々としていて、何もなかったかのように落ち着いていました。
ほかの同修たちと一緒に連行されたこともありましたが、結局、甲さんだけが家に戻り、ほかの同修は不当に監禁されました。
甲さんは「私には恐れがありませんでした。師父は私の側にいらっしゃるのです」と言い、それは純粋な一念でした。
かつて、甲さんは悪名高い地方の洗脳班に連れていかれました。その洗脳班から出てきた同修の多くは、酷い拷問を受け、心身ともに大きく痛めつけられ、強い正念を持っていないと、出るのは非常に難しいのです。私もその洗脳班で迫害を受け、最終的に耐えられず、妥協してしまいました。しかし、甲さんは恐れるどころか、中にいる人たちに、大法の真相を聞かせる良いチャンスだと思いました。結局、洗脳班は甲さんの血圧が高いという理由で入所を拒否し、甲さんはその日に解放されました。
毎回、監禁先から釈放されると、甲さんは翌日から、また出かけて法輪功迫害の実態を伝えていました。甲さんは「彼らが私を連行したのは、私を迫害するためだと思っていません。私が人々を救うのを止めようとしているだけです」と言いました。甲さんが無事釈放される度に、迫害を実行する「610」の人は、「あなたの兄弟は交通警察だから、あなたをどこまでも庇える(かばえる)と思っているのか?」と怒りました。甲さんは心の中で「私の兄弟とは何の関係があるのか? 私を守ってくださるのは私の師父だけだ」と思い、沈黙しました。年金を差し引かれると脅かされた時には、「年金はあなたから受けるわけでもない。師父のお陰だ。差し引くことなんて、あなたができるもんか?」と思いながら、黙っていました。釈放されると、甲さんは再び大きなバッグを持って、大法の資料を配り続けました。「610」の人は恨んでいても仕方ありません。地元の同修はみな、甲さんはとても素晴らしいと思っていました。
私は甲さんに、一連の魔難を乗り越えた経験を書くように頼みました。多くの同修が迫害される中、明慧ネットには、毎日のように中共の邪悪と迫害による死亡事例が報告されています。甲さんは「どう書くのか分からない」と言いましたが、私は同修として手伝いませんでした。とても残念でした。
甲さんは普段から、病業中の同修をよく助けました。しかし、このような精進する同修が、なぜ迫害されて亡くなったのでしょうか? ロープとして使われたシーツが切れたことは表面的な原因ですが、実は、甲さんの修煉には大きな問題があったと思います。その教訓を書き出し、同修の皆さんに役に立ち、注意喚起となることは、甲さんの願いでもあると信じます。
一、発正念を重視せず
以前、甲さんと一緒に法輪功迫害の実態を伝えていた時、私はいつも30分ぐらい発正念をしてから始めました。妨害を感じると、一旦中止して心の中でしばらく発正念をし、空間場を清めてから続けました。それに対して、甲さんは発正念せず、出かけてからすぐ配り始めました。
4つの時間帯の発正念について、それは明慧の要求なので、従わなければならないと甲さんは思っていました。私は発正念の重要性を認識させるために、師父の関連の説法を読むようにしました。しかし、甲さんは真剣に学んでいなかったため、終始「発正念の要領が分からない。発正念の威力が感じられない」と言い、重視しませんでした。2019年、甲さんは連行され、身体に深刻な問題が出たため保釈されましたが、そのような状態でも発正念を強めませんでした。
私たちの地域では、発正念を重視する同修は少ないのです。そのため、病業の現象が多く見られ、亡くなった同修も数多いのです。通常、修煉状態が良くない同修は、ほとんど発正念を重視していません。
二、他人に言われたくない
甲さんは普段からよく修煉しており、小さな事でも自分の執着心と人心を見つけることが出来ました。学法する時も真剣に学び、師父の説法から何かを悟ると、よく私に聞かせました。しかし、ほとんどの場合、甲さんは自分の体得を人に言うだけ、他人からの指摘はあまり聞かず、段々と自分が人より優れていると思うようになりました。実は、それは自分の心より魔が生じることであり、次元が落ちてしまい、長引くと、他人に言われたくない心が生じました。
他人に言われたくない現象は、私たちの地域でも深刻なのです。周りから認められているある有名な同修も、他人から言われると受け入れることができず、「自分に良くない物質を加えているだけだ」と言い、よく他人のせいにしたり、外因を強調したりします。このような同修の中には、病業で亡くなった人もいれば、深刻な病業状態になった人もいます。自分の気づかないところを指摘してくれるのは、どんなにありがたくて、幸せなことでしょうか! 修煉者として、他人の意見に耳を傾けることはとても大事だと思います。
三、インターネットニュースにハマる
以前、私はインターネットにハマり、それを絶つために大変苦労しました。年取った同修は一般的にパソコンが出来ないため、依存することはないと思っていましたが、そうでもありません。
中共ウイルスが蔓延し都市閉鎖の中、甲さんは家で何でも出来ましたが、私は明慧ネットにアクセスして真相を伝えることが出来ました。封鎖が解消した後、私は甲さんに1台のスマートフォンを渡し、明慧ネットにアクセスする方法を教えました。しかし、甲さんは明慧ネットではなく、動態ネットにアクセスし、毎日ネットニュースを閲覧していたため、私はスマートフォンを返してもらいました。
その後、甲さんは夫からスマートフォンを買ってもらい、それはちょうどアメリカ大統領選挙期間に当たっていて、毎日関連ニュースに夢中になりました。私は注意すると、甲さんは怒ってしまい、少しずつ私と距離を取るようにしました。
私たちの地域には、常人のニュースに高い関心を持つ同修がかなり多いのです。そして、パソコンが出来る同修の中には、明慧ネットの交流文章よりも、時事ニュースを見ていて、互いに興味津々に話す人は数少なくありません。
甲さんが亡くなった後、一緒に働いていた人はみんな彼女を惜しんでいました。ある同僚はこう言いました。「甲さんは普段から無口で、真面目に仕事をしていました。休憩の時はスマートフォンで動画を見ていました」。その動画は海外の同修たちが作った番組でした。
実は、私たちの地域には、常人のニュースに高い関心を持つ同修がかなり多いのです。一部の同修の家は、特殊なアンテナを取り付け、新唐人テレビの番組を見ることが出来ます。家族は皆修煉者で、一緒に番組を見ながら議論しており、そして、学法グループの同修たちを巻き込んで常人のニュースに注目し、見ないと気が済まないようになりました。
また、パソコンが出来る同修の中には、明慧ネットの交流文章よりも、時事ニュースを見ていて、互いに興味津々に話す人は数少なくありません。同修たちは顔を合わせると、最近また何か大きなニュースがあったとか、興奮して話し合っていました。心が動くと、心性が落ちることになります。このような同修はとても危ないのです。私たちは法を正す時期の大法弟子で、すべては私たちをめぐって回っているのです。常人のニュースなど、注目する必要もありません。私たちはひたすら自分を修め、より多くの衆生を救い、心を込めて三つのことをしっかり行なうべきです。
四、法を勉強せず、人を手本にする
甲さんが保釈期間中に、地元の男性同修乙さんは連行されました。拘置所で乙さんは酷い拷問を受けた上、番号を付けられ、体のすべての臓器を検査させられました。つまり、中共は乙さんの臓器狩りを計画した可能性があったのです。乙さんはとても優秀な同修で、普段からしっかり修煉してきましたが、その後、7年の不当判決を宣告されました。
乙さんのことを知った時、甲さんは大きなショックを受け、体が震えていました。今までの正念が見えず、恐怖心が生じました。
師父は「こういうとき、『彼もだめになったら、私などは大丈夫でしょうか』と思って、すぐ動揺してしまいました」 [2]と語られました。 当時、甲さんもこのような心理状態なので、落ち着いて法を学ぶことが出来ず、他人を手本にして、自分に照らし合わせていました。これは、修煉者にとって重大な問題であり、自分の意志を潰すことさえあり得るのです。
地元の女性同修丙さんも、かつて保釈の迫害を受けたことがありました。甲さんは丙さんに事情を尋ねました。丙さんは「当時、保釈で留置場を出て、もう大丈夫だと思いましたが、その後、1年の不当判決が下されました。当時、妊娠中の理由で、刑務所外の服役になりました」と言いました。その話を聞き、甲さんは自分もいずれ不当判決が下されるだろうと不安を感じました。この時点でも、法に基づいて考えるのではなく、他人の事で自分を測っていました。実は、人それぞれの修煉状態や業力、因縁関係はみな異なります。正念を持って邪悪な按排を全面的に否定することが出来れば、師父は私たちを加護できるのです。
丙さんは結婚してから、数年も子供に恵まれませんでしたが、ちょうど判決が下る時期に妊娠し、刑務所外の服役に変わったのです。偶然でしょうか? すべて師父の按排です。しかし、甲さんはこの事から正念を得るのではなく、逆に恐怖心が生じてしまいました。
五、自分の修煉状態を考えずに真相を伝える
以前、私はいつも甲さんと一緒に法輪功迫害の実態を伝えていました。ある時期、私の状態が非常に良くありませんでしたが、依然として毎日のように出かけて真相を伝えました。その結果、深刻な妨害があり、次々と魔難が生じ、修煉も落ちてしまいダメになりそうでした。人を救うには、正念がなければなりません。私は教訓を受け入れ、家で学法と発正念に集中して出かけませんでした。それに対して、甲さんは「状態が優れていなくても、毎日出て来て真相を伝えるべきです。出てくると、すぐ良くなります」と言いました。私は左右されず、自分の状況に基づいて行うようにしました。私は発正念を重視し、妨害する邪悪な要素を清め、再び出かけると、配る資料の数も以前より多くなり、真相を伝える効果も良くなりました。
甲さんは釈放された後、修煉の状態が著しく落ちてしまい、何度も警察に嫌がらせをされました。しかし、甲さんはそのような状態の中でも、学法と発正念を強め、内に向けて自分の執着心を探すのではなく、普段通り毎日出かけました。実は、これは冷静さを失い、人を救うために真相を伝えるのではなく、自分の修煉が遅れるという不安があったからです。目的が純粋ではないため、旧勢力に迫害の口実として隙に付け入られたのです。
六、常人の状態に符合して修煉せず
甲さんはもともと家族と一緒に生活していましたが、自分で新しい家を購入し、夫と娘を前の小さな家に残して、1人で静かに別居していました。最初は家族が理解せず、大法の真相も分かっていませんでした。その後、甲さんの夫は自ら新しい家に行って、妻と一緒に暮らすようにしました。
夫は定年退職した後、姑を迎えて同居することになりました。甲さんにとってこれは、常人の生活の状態で修め、複雑な環境で自分を高めさせることなのに、それを悟らず、逆にうるさいと不満があり、いつも家を出て行こうと思っていました。
甲さんは近所付き合いもほとんどありませんでした。普段は家で学法と煉功をした後、出かけて大法の資料を配り、それが終わると、家に帰ってきてまた学法をするパターンでした。表面的には、三つのことを全力で行い、修煉に精進しているように見えましたが、実際、それは極端になり、常人の状態に符合していないことになります。それは引っ越してきた当時、近所の人があいさつしても、甲さんはさっと返事をするだけで、すぐに家に入りました。段々と、近所の人も彼女を無視するようになり、周りの人達とますます距離が遠くなり、コミュニケーションがなくなりました。甲さんは何度も不当に家宅捜索の迫害を受けたことも、近所の人からは理解されませんでした。
この件について、甲さんと交流しましたが、甲さんは「小さい時からこのような性格なので、変えることは難しい」と言って、真剣に受け止めませんでした。
師父が大法を広められる当初から、広告やコマーシャルではなく、人から人へ、心から心へという方法でした。従って、私たちもコミュニケーションを通して、人々に大法の素晴らしさと法輪功迫害の実態を伝えるべきです。そうすることによって、周りの人達も大法を修煉する人はみな良い人と認め、自ら親戚や友人に伝えます。もちろん、真相資料を配ることも欠かせませんが、日常生活の中で、大法を実証することも大事だと思います。
現在も同修の中には仕事もせず、家庭を離れ、静かな所で学法をし、資料を配る人もいます。結局、周りから理解されず、悪い影響になります。精進することを否定するわけではありませんが、煩わしい現実を離れ、静かを求める心が純粋ではないので、基点が間違っていると思います。常人の複雑な環境こそ、修煉の環境ではありませんか?
私たちが真相資料を配ることは人を救うためです。中共に騙されている人々を救うのは、とても難しいことです。彼らの理解を得て、彼らの受け入れる能力などを考慮しながら、心を込めて伝えなければなりません。非効率的に見えますが、人々は少しずつ受け入れて変化していきます。これこそが本当に人を救うことが出来るのです。
七、根本的な執着心を放下せず
甲さんは1999年7月20日以前から大法の修煉をしていました。中共が大法を迫害してから、2012年まで、甲さんは1人で修煉する状態で、真相を伝えていませんでした。その後、再び法輪功迫害の実態を伝え始め、正念を持って、自分の考えや法を念頭に置いて、大法に照らして修めていました。しかし、根本的な執着心に触れることがなく、表面上に留まっていました。
最初に連行された時、甲さんは恐れていませんでしたが、それは深く隠れていた根本的なものに触れていなかったからです。釈放の迫害を受ける前、甲さんに深刻な病業状態が現れました。その時、甲さんは「あなたたちと比べると、私の修煉は遠くかけ離れています」と言いました。彼女は自分の問題に少し認識したようでした。20年間真相を伝えてきた私たちも、最初の頃は強い恐怖心がありましたが、修煉によって、段々と冷静で落ち着いて行動するようになりました。以前、恐れを知らない時もありましたが、それは生命の本質が、人間の状態から神の境界に昇華したのではなく、単に師父と大法への信念によるものでした。魔難の中で、地道な修煉を経て、少しずつ自分の根本的な執着心を見つけ、それらを取り除くことによって乗り越えられるのです。
私が最初に自分の根本的な執着心に気づいたときは、2007年頃でした。当時、私も甲さんと似ていた状態で、同修から「根本的な執着心を放下していない」と指摘されました。自分の何かに触れたように感じましたが、見つからず、ただ非常に頑固なものだと分かっていました。私は突然、修煉の難しさを感じ、精進できなくなりました。しかし、大法に対する信念と衆生を救う責任感が私の本性を覚まし、自分の根本的な執着心に直面しようと決意しました。
その状態を突破するために、私は学法と発正念を強めました。法を暗唱する時眠くなると、冷たい水で顔を洗って目を覚ましました。雑念で集中できず、発正念をしても効果が感じられませんでしたが、それでも1日3回、1回で1時間以上動かずに発正念をし続けました。2カ月ぐらい続けると、発正念をする時、自分が山のように安定しており、邪悪に左右されなくなったのを感じました。
私はこの十数年の中で、しばしば希望が見えず、絶望的な状態になった時もありました。そんな時、私は「ここで転んではいけない。私は衆生の希望である。自分を信じなくても、師父と大法を信じれば十分だ」と何度も何度も自分に言い聞かせました。師父は「望みがなければないほど、望みが目の前にある可能性が高いのです」[3]と語られました。
私は、甲さんの根本的な執着心が見えたので彼女と交流し、法を暗唱することと長時間の発正念をするよう言いましたが、受け入れてくれませんでした。甲さんは法も暗唱できず、発正念も集中できず、そして内に向けて探すこともせず、根本的な執着心が見つからないまま、出かけて大量に真相資料を配り、結局、旧勢力に隙に乗じられ迫害されました。
八、修煉中の問題を常人の方法で解決する
以前、甲さんと交流した時、甲さんは私に「もし警察に家に閉じ込められたら、シーツでロープを作り、窓から逃げればいい」と言っていました。当時、私はあまり考えず、「分かった」と言いました。甲さんが転落して亡くなった後、この事を思い出すと今はハッキリと理解できます。実は、これは修煉中の問題を常人の方法で解決しようとする心で、その場で否定し、法に基づいて甲さんと交流して心性を高めるべきだったととても悔やまれました。
九、まとめ
甲さんの修煉状態に問題が現れた時、彼女は真剣に学法をして、自分の根本的な執着心を見つけ出すことが出来ませんでした。そのため、修煉が緩んでいる中、アメリカ大統領選などの時事に執着するようになりました。学法がさらに遅れてしまい、従って常人の話題が多くなり、他人に言われたくない心が強いため、同修の指摘も受け入れず、同修を避けるようになりました。
実はその前、甲さんは新しい仕事を見つけました。給料はそれほど高くありませんが、自由な時間があるため、学法することが出来ます。これは、仕事の環境で修め、周囲の人に大法の真相を伝えさせるために、師父が按排して下さったのだと思います。しかし、甲さんは長年来、人とのコミュニケーションが苦手で、複雑な環境に直面するのを嫌がっていて、仕事は時間の無駄だと言って辞めました。
仕事を辞めた後も、甲さんは内に向けて探し、根本的なところから自分を変えようとせず、根本的な執着心が見つからない状態で、一生懸命真相資料を配ることで、元の修煉状態に戻りたいと思っていました。
甲さんのケースは非常に典型的で、状態も普遍性があるため、私を含む同修たちに注意喚起をすれば良いと思い、書き出しました。修煉は非常に厳粛なことで小さな事はありません。ですから、間違ったところに気づいたら、直ちに直さなければなりません。修煉者として、他人から指摘されるとそれに耳を傾け、そして学法と発正念を強めることにより、これからの道をしっかり歩み、より多くの衆生を救うことが出来ます。
次元が限られているため、個人的な認識に過ぎません。ご参考になればと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「北京法輪大法輔導員会議での法を正すことに関する意見」
[2] 李洪志師父の経文:『2004年ニューヨーク国際法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」