【明慧日本2021年7月21日】中国共産党が法輪功迫害を開始して20数年来、大連市の法輪功学習者・郭琪さんと妻・孫彩艶さんは絶えず、嫌がらせ、脅迫、連行、拘禁の迫害を受けた。大連労働教養所で郭さんは服を脱がされて棒で叩かれ、数本のスタンガンで一斉に電気ショックを与えるなどの拷問を受け、危篤状態に陥った。繰り返し迫害された郭さんは2021年6月15日、この世を去った。享年51歳。
生前の郭琪さん |
2021年4月19日午後1時半、大連市南沙街道後山コミュニティの女性職員と幸福派出所の警官2人は、郭さんの家に行き、郭さんの名前を叫びながら「ワクチン注射の状況の調査に来た」と言いながら、ドアを叩いた。30分後、3人は郭さんの母親に電話をかけ「孫彩艶なのか」と聞いた。母親は「違います」と言って、電話を切った。その後、3人は数回も母親に電話をかけたが、応じなかった。そして、3人は帰り、4時ごろ、また来て、ドアを叩いて、帰った。
郭さんは、1995年末に法輪功を学び始めた。その後、郭さんはタバコと飲酒の悪習慣を止め、心身ともに健康になった。
子供が生まれる前に労働教養処分を科された
1999年7.20、江沢民グループは法輪功学習者への残酷な鎮圧を発動した。
1999年8月、郭さんと婚約者・孫さんは数人の学習者と一緒に、外で法輪功の功法を煉ったとして、拘束された。警官は郭さんの父親に郭さんの代わりに「法輪功を止める、陳情に行かない」という誓約書を書かせ、郭さんを解放した。孫さんは麻薬依存者の回復施設に送られ、10月まで拘禁された。
2000年元旦、新婚の郭さん夫妻は北京へ行き、政府に法輪功の真実を伝え、法輪功の名誉回復を求めようとしたが、再度、連行されて拘束された。そのことで両親も罰金を受けた。
2001年2月19日、郭さんは勤務先から電話があって、呼び出された。郭さんが勤務先に着くと、そこで待っていた派出所の警官に連行され、労働教養処分3年を科されたが、家族に通知しなかった。そのため、妻・孫さんは多方に電話をして聞きまわり、やっと郭さんが拘束されたことを知った。当時、妻は妊娠9カ月で、出産予定日は3月15日だった。
大連労働教養所の迫害により危篤状態
大連労働教養所に収容された郭さんは服を脱がされて棒で叩かれ、数本のスタンガンで電気ショックを加えられ、野蛮な灌食をされるなどの拷問を加えられた末、全身に疥癬ができた。2002年、迫害された郭さんは、全身が浮腫し、尿が出ない、呼吸困難を起こして病院に搬送され「急性糸球体腎炎」と診断された。そして、教養所の警官は家族を電話で病院に呼んだ。家族が来ると、警官たちは逃げてしまった。それで家族は治療費用を全部負担しなければならなかった。19日間入院して郭さんは退院した。
拷問の再現:数本のスタンガンで一斉に電気ショックを与える |
退院した後、教養所の警官は常に郭さんの家に来て騒ぎ、郭さんを教養所に連れ戻そうとした。嫌がらせを避けるため、郭さん夫妻は両親と子供を家に残し、外で部屋を借りるしかなかった。家族みんなが心身ともにダメージを受けた。
妻の判決 父親の死
2014年7月21日、孫さんと母親が家から中山区春海派出所と海軍広場派出所の警官に連行され、法輪功の書籍、ノートパソコン、プリンタ―などの私物を押収された。
その後、孫さんは大連市沙河口区裁判所に懲役3年3カ月の判決を宣告された。孫さんは裁判を不服して控訴したが、却下された。2015年6月30日、孫さんは遼寧省女子刑務所に収容された。2015年7月「三書」を書かず、囚人服を着ない孫さんは罵られて殴られた。刑務所で法輪功の功法を煉った孫さんはベッドの下に押し込まれた。その後、警官は孫さんの両腕を背中に回し、手錠をかけた。寝るときも外さなかった。ある日、雨が降って、気温がかなり下がったが、孫さんは布団を与えられず、しかも、扇風機を一晩中回された。
郭さんの父親は介助が必要な状態で、いつも郭さん夫妻が世話をしていた。孫さんの拘禁で、娘(13歳)、息子(5歳)の世話する人もいなくなった。大変なショックを受けた郭さんの父親は倒れてしまい、2016年6月に死亡した。
孫さんと母親が連行されたため、郭さんは脳に障害がある舅の世話をしなければならなかった。1カ月後、孫さんの母親は解放されて帰宅したが、警官からの嫌がらせが絶えなかった。
繰り返し嫌がらせ、脅迫を受けて死亡
孫さんは2017年10月に帰宅した。刑務所で迫害された孫さんは体がとても弱くなったが、煉功と学法を通じて、徐々に回復できた。しかし、派出所の警官やコミュニティの職員が常に郭さんの家へ来たり、電話をかけてきたりして、嫌がらせをした。そのため、郭さんは健康状態が悪くなった。
2020年4月下旬から、大連市沙河口区幸福派出所、南沙街道後山コミュニティの職員が絶えず、郭さんと家族に嫌がらせをした。
2021年6月15日、郭さんは健康状態が悪化し、多臓器不全で意識不明になり、病院に運ばれたが、妻と子供2人、母親(80歳)、姑を残し、帰らぬ人となった。