文/欧州の大法弟子
【明慧日本2021年7月30日】私は修煉して2年になりますが、生活に根本的な変化が生じました。新しい国に来て、社会教育方面で新たな仕事を始めたのです。新たな環境で修煉し、新しい同修と知り合いました。私は、この間の修煉体験について皆さんと交流したいと思います。
この国に来てから、夫は長らく仕事が見つかっていません。私は表立って文句を言いませんが、夫を責める考えがたびたび浮かんできました。例えば、「彼はしっかり修煉していないし、内に向けて探していないから仕事が見つからないのよ」などです。
私はずっと修煉を、更に良いものを得るため、更に気持ち良く生活するための保障だと見ていました。何かあって内に向けて探すとき、背後に隠された強烈な意図がありました。つまり内に向けて探すことで、表面上の困難と苦痛を取り除きたいと思っていたのです。内に向けて探して認識し、執着を取り除くことが一種の形式となり、問題が解決できないことを恐れ、心配や疑念がつきまとっていました。これから私のいくつかの体験をお話します。私はこの体験で、修煉はこんなにも厳粛なのだと更に深く理解しました。
仕事での修煉
私の職場でリストラがあり、ストレスがますます大きくなりました。半数以上の人が退職するか、あるいは解雇されました。私たちは新入社員の研修を続けなければなりませんでした。私たちの仕事は、知的障害のある若者を対象としていますが、彼らの反応は、ますます暴力的な傾向が強まっていました。私たちのチームは、ほとんどが彼らから身体攻撃を受けたことがあります。そして経営陣がこれらの身体攻撃を私たちスタッフの責任とみなしており、私たちには心理的なプレッシャーもありました。
学法のとき、あるいは師父の写真を見たとき、私は頻繁に涙を流しました。1人の修煉者として到達すべき基準は分かっていますが、しかし具体的な状況に遭遇したとき、必ずしも自分を抑制できるとは限りません。同僚たちと休憩しているときに管理者のことを話しますが、私もその中に加わります。それらの若者の気勢が激しいとき、私にも怒りや反感が沸いてきます。もしいつか定例会議で、そこまで暴力的な傾向がない若者の世話をする所に配属されたら、私は心の中で秘かに密かに喜ぶでしょう。
そして情に流された私は、しなくてもいいことを同僚にしてしまいました。例えば、ある同僚が休暇に入る2日前、会社が人員不足のため、彼女に圧力にかけて休暇を延期させようとしました。彼女は非常に不満そうでしたが、「ノー」とは言えませんでした。私は彼女が不当な扱いを受けていると思い、このことに干渉してしまいました。私とチームリーダーが話し合って、シフト表に私が多く入ることにして、同僚が予定通り休暇が取れるようにしたのです。私はそのとき、自分が良い事をしたと信じていました。しかし結果的に、私は仕事がとても忙しくなり、時間が無くて大法弟子が行うべき三つのことが出来ませんでした。そしてその同僚も、別の同僚が次の週に出勤できなくなったため、結局は休暇を取り消さなければならなくなりました。
師父は説かれました。「それにもう一つの意味があります。徳を積もうとすると、あなたから見て良いと思ったことでも、やってみると、悪いことだったと分かるかも知れません。逆に悪いことと思っていたのに、かかわってみると、良いことだったと分かるかも知れません」[1]
私は修煉者として間違った事をしたのだと気づかず、更にもう一度啓示されました。ある日のスタッフミーティングで、上司から、私がチームリーダー(彼女は新入社員)と上手く仕事で協調してない、彼女を尊重していないと批判されました。私はそれは誤解だと思い、このように非難されるのは不当だと思いました。そして私は自分の修煉が良く出来ていなかったのだと気づき、悲しみが込み上げてきました。しかしこの不満を放下することが出来ず、家にいても頻繫に心が乱れ、学法と煉功の妨害となりました。発正念のときには、とても眠くなりました。私の修煉は、危険な境地まで落ちてしまいました。
師父は説かれました。「しかし一方では、それは非常に難しいことでもあります。常人の複雑な環境の中で、人と人との心性の摩擦の中で、そこからあなたが抜け出るということは何よりも難しいのです。はっきり分かっていながら常人としての利益を失うという現実的な利害の前で、心が動じるかどうか、人と人との間で心を探り合いながら暗闘する中で、心が動じるかどうか、肉親や親友が苦痛に見舞われた時、心が動じるかどうか、そういう時にいかに対処するのかなど、まさにこういうところが難しいのです。煉功者となることはこんなにも難しいものです!」[1]
たくさんの執着心が現れ、プレッシャーがとても大きくなりました。顕示心、嫉妬心、闘争心、安逸心と憤怒する心、一体どうやってこれらを全て取り除けば良いのでしょうか? 修煉する前、私はずっと人は変わることが出来ないと思っており、人々は短期間なら自分の良くない性質と行為を抑えることが出来ても、真にそれらを無くすことは出来ないと思っていました。おそらく普通の人はそうかもしれません。しかし1人の大法弟子として、私は証明します。大法は根本から一切の良くないものを取り除くことが出来ます。
仕事上の困難が、私の修煉の決意を固めさせました。私は真剣に自分の修煉状態と師父の按排にどのように従って行うのかをよく考えました。そして私は気づきました。私は困難が無く気持ち良く修煉できる道を師父に按排してくださるよう希望していたのです。もし私自身の利益が影響されたとき、私は師父の要求に従えますか? 執着が私を阻むとき、法の原則に従えますか? その瞬間、心の中で「出来る!」と大声で言ったのを感じました。
このとき全身が軽くなったのを感じ、重い荷物を下ろしたような感覚でした。
私は、もっと良く修煉するよう決心しました。学法のとき、思想業力が私を妨害しても、私はくじけません。心を静かにすれば、時に2~3行の法を読んだだけでも、この数行の法がとても深く心を打ちます。問題にぶつかったとき、心の落ち着きを保つ努力をしようと思いました。同僚たちが人の悪口を言っているとき、私は忍を保ち加わらないようにします。もし私が何らかの状況で上手く出来なかったとき、私は自分を励まし、次回は良くしようと思います。もし私が1回また1回と転んでも、以前のように地面に伏せたまま悲しまず、すぐに立ち上がります。
私は、なるべく同僚たちに理解してもらえるよう努力しています。私たちの新しいチームリーダーは着任したばかりで、何事も初めは難しいのです。しかし彼女はとても苦労して、努力もしました。そしてチームリーダーは明るくなったようで、私たちの仕事の関係も改善されました。
ある日、1人の若い女性が感情的になり、私の顔を一発殴りました。心の深い所で、私は彼女に怨恨が生じなかったばかりか、彼女を助けようと思いました。彼女は私に向かって手を出し続けますが、私は始終冷静さを保ち、彼女に「法輪大法は素晴らしい」の歌を歌いました。彼女はすぐに落ち着いてきました。そして私が歌うのを座って聞いていました。彼女に「気分はどうですか?」ときくと、彼女は私に歌を続けるように言いました。
今、私は同僚が頻繫に入れ替わる状況を見て、衆生に真相を伝える機会だと思いました。ある同僚は、「偶然」私たちのグループに加わったと私に言いました。上司が本来は別の人を探していたところ、間違って彼女にメールを送ってしまい、これがきっかけで彼女が雇用されたそうです。私には、これは偶然ではないと分かりました。私は彼女に法輪大法と迫害の状況を話しました。彼女は中国共産党を打倒する請願書に署名してくれ、更に多くの情報を要望し、彼女のご主人や娘にも教えると言いました。
もっと早くに辞めた同僚もいたのですが、当時の私には、彼女に真相を伝える時間がありませんでした。数カ月後、彼女がまた復帰して、パートタイムの契約をしました。私は非常に驚きましたが、とても嬉しくて、今度こそはしっかり伝えられると思いました。私は彼女に法輪大法と迫害の状況を教えました。彼女は精神方面の話題に非常に興味を持ちました。
ますますはっきりと分かってきたのは、私には衆生が救われる機会を与える責任があるということです。もし私がいつでもどこでも、何をするにも衆生を救うことを第一に出来るなら、容易にどんな執着でも放下でき、対立のある状況でも一歩引き下がることが出来るのです。ですから、私はいつも自分の出発点に気をつけています。
師父は説かれました。「何を行なってもしっかり行なうべきです。その過程で見ているのはあなたの心であり、成功そのものを見ているのではありません。取り組んでいる過程で人を救っているのです! あなたが取り組んでいる過程はあなたの修煉が向上する過程であり、その過程で衆生を救い済度する作用を働いています! 仕事を成功させればようやく衆生を救い済度する作用を果たすということではありません」[2]
集団学法の重要性
コロナ下にあっても、私たちはまだ集団学法を続けています。私たちの学法小グループは4~5人に減ってしまいましたが、それでも私はこの機会をとても大切にしています。
交流で、私は自分の仕事の状況について交流しました。残業のため、大法のプロジェクトと学法の時間がとても少なくなったと話しました。1人の同修が「旧勢力の妨害の要素を排除するべきです」、「何でも耐える必要はない」と言いました。それを聞いた私は最初に「それは違います。これらの困難は、私の修煉の助けになっている」と思いました。しかし、その日の夜、この意見がずっと私の頭にこびりついて離れませんでした。そこで私は発正念して、全ての旧勢力の妨害と要素を消滅させました。私は師父が按排された道だけを歩みます。この道がどれだけ辛く苦しくてもです。同時に私は、師父に自分の正しい道を教えて下さるよう求めました。
次の日、上司から呼ばれて、残業の補償として3週間の休みを与えると言われました。その3週間、私はとても多くの時間を学法と大法のプロジェクトに費やしました。その間に、夫は仕事の面接を一つ受けました。そして数日後、夫の仕事が決まったのです。同時に私も大紀元の仕事をする機会を得ました。実のところ1年前、私は大紀元の仕事をしたかったのですが、当時は時間的にも経済的にも無理でした。
休み明けの3週間後、私は職場で、自分の変化がとても大きいと感じました。まるで一層のとても厚い泥の層がはがれたようでした。職場は、表面的には変わっていません。しかし私の心は、以前に比べて動じなくなりました。これは強がりではなく、内心から根本的に浄化されたのです。
法輪大法は本当に神秘的です。一切は、私が自分で得ることが出来たものではないと分かっています。慈悲なる偉大な師父が、私に賦与してくださったのです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』