文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年8月2日】私には遠い親戚があります。その夫婦の世渡りは非常に自己中心的で、普通の人から見たらひどいと思うようなことをよくします。親戚も彼らを嫌って、良く陰口を言っていました。だんだんと、私も彼らに対し悪い印象を持つようになり、内心から嫌うようになりました。
ある晩、私は夢を見ました。夢の中で、ある人は多くの悪事を働いて、罪がとてつもなく大きいので、すでに滅ぼされましたが、また蘇ったのです。私は驚いて彼に経緯を尋ねました。彼は「確かに私は悪事ばかり働いたせいで壊滅させられましたが、大法に対し一抹の正念があったために、完全に滅ぼされる寸前に戻ってこられました。様々な魔難を乗り越えてようやく業を償ない、人身を再び手にしました」と答えました。
私は非常に驚きながら、大法の無限なる慈悲を感心しました。
私は続けて彼に「ではあなたも天から落ちてきたのですか」と聞くと、彼は「はい、私は天にいました。あなたの親戚と同じ天国でした」と答えました。彼は私の遠い親戚だったのです。彼の話を聞いた私は思わず泣き出し、内心申し訳なくなりました。なんと私が普段嫌っていた人もかつては偉大な神で、すばらしい天国世界からこの世に落ちてきたのです。私は早く彼を済度すべきです。しかし私は彼のこの世での行いだけで悪念が生じ、彼を済度しないリストに入れてしまいました。目が覚めてから、私は考え込んでしまいました。
これを通じて私は、われわれには誰しも心の中では一つの円があると思います。円の内はわれわれが保留すべき人と考え、円の外にいる人は排除あるいは消されるべき人だと考えています。しかし、往々にしてわれわれの考える円は狭すぎて、物事をわきまえられず、多くのことがうまくいかず、あってはならない損失をもたらしました。
例えば、人々に真相を伝えるとき、聞いてくれず、受け入れてくれない人に出会った場合、口で言わないまでも、内心は「この人はなんと愚かで、執着深いことか」と思ってしまい、自分のどこかに漏れはないか、自分の態度がおかしいから理解してもらえず、認めてもらえず、話を聞いてもらえないのではないかと顧みようとしません。いきなり相手を円の外に押し出してしまうので、強い観念を抱く人に、到底なにも伝わらないのです。
例えば、西遊記の中で、孫悟空が毎回三蔵法師たちから離れるとき、必ず棒で地上に円を描き、妖怪の侵入を防ぐのです。私たちは孫悟空のように、師父から妖怪をやっつける神通力を授けられていると同時に、衆生を救い済度する責任も持っています。では誰を円の内側に入れ、誰を円の外にと分けるのでしょうか。
迫害に参与した公安部門の関係者ですら、旧勢力及び共産党の邪霊に欺かれ脅迫されているのです。われわれは彼らを救うべきではありませんか。この理を悟ってから、迫害を見る度に、あるいは迫害に参与した関係者に対し、恨む心、報復する心がなくなり、ただ彼らがかわいそうだと思うようになりました。
本当に「円の外」に押し出すべきなのは、衆生を妨害し、人体を操り悪事を働く旧勢力、黒い手、邪な霊、共産邪霊であり、彼らこそ正法を妨害し、衆生を壊滅させる元凶です。これらに対し、われわれは決して気を緩めてはならず、円の外に押し出して、すべて除去しなければなりません。
また、もう一つの場合があります。同修の間で隔たりが生じた際にも、往々にして相手を「円の外」に押し出そうとして、相手が法に従わず、理にかなっていないからと思ってしまいます。当然ながら、こういう時はまず自らの不足を見つけるべきです。そうでなければ自分がこんなことに出遭わないはずです。もし相手の同修に本当に問題があれば、猪八戒のようではありませんか? 嘲っているのではありません。猪八戒がいかに悪かろうが、孫悟空は彼を円の外に押し出すのではなく、円の内におかなければならないのではありませんか。
私は、世の中には三種の生命しかいないことを悟りました。つまり、同修、衆生、旧勢力です。同修は精進しているか否かに関係なく大事にし、お互い助け合わなければなりません。衆生は、表面上どんな態度であれ、済度すべきなのです。旧勢力や邪悪は、表面上偽善的であっても確実に除去すべきです。
我々はいつも認識をはっきりさせ、最後の道をしっかり歩み、師父の要求を圓融しなければなりません。
個人の悟りなので、不当なところは慈悲なるご指摘をお願いいたします。
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】