文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年8月6日】明慧ネットの文章『技術サポートをする同修に言いたい話』を読んで深く感動し、感銘を受けました。この文章は大法弟子が発正念する時に掌が倒れる現象について触れています。これから発正念の体験を書き出し、同修と交流し共に精進したいと思います。
私は周りの同修たちが印刷した最初期の『明慧週刊』と共に成長してきた子供弟子です。以前はパソコンもなかったし、使い方も分からず、ましてやインターネットが何なのかも知りませんでした。今のように便利で、いつでもネット封鎖を乗り越えて、明慧ネットで最新の迫害情報を知ることはできませんでした。当時地元の同修たちが、プレッシャーにも負けず、私心のない努力で『明慧週刊』を届けてくれました。その時は『明慧週刊』でしか大法弟子の最新の情報、法を正す情勢と進展を知ることができませんでした。最初毎週の『明慧週刊』は周りの数人の同修が共有して読み回していました。師父の最新の説法と新経文を含め、手に入れるのは非常に難しかったのです。今も覚えていますが、初めて師父の最新説法『北米での巡回説法』を受け取った時、同修たちは誰もがとても慎重に扱いました。
資料拠点の同修もずっと明慧ネットの要求に従い、20年以上ずっと私たちに連絡し続けてくれたので、資料拠点は今日までとても安定した状態を保っています。資料拠点の同修が控えめに行動し、セキュリティを守ることを徹底したため、地元の同修は定期的に大法の資料を受け取ることができました。
大法の資料を受け取ることが困難であるほど大切にし、隅々まで読みます。そのため、家で学校に通っていた時期は、『明慧週刊』を一期も漏らさずに読みました。後になって師父が法を正す時期の大法弟子の行うべき「三つのこと」について説かれ、その一つが発正念であること、また全世界の大法弟子が四つの時間で発正念することも知りました。初めのころは全世界の全ての同修と同じように、師父の要求に従って行い、明慧が発表した発正念の要領に従って正念を発しました。初めのころは発正念をするとき何の感覚もありませんでしたが、時間になると家族の同修や地元の同修と共に正念を発することを重視しました。
師父が説法の中で中国の大法弟子はその迫害の消息を重視すべきだと言われたので、それから毎期の『明慧週刊』の「大陸迫害総合情報」を重視し始め、中国の最新の迫害の状況を知ることができました。
高校の時から明慧週刊の「大陸迫害総合情報」に関心を持ち始めました。毎回各地で発生した迫害関連の記事を読むと気持ちが沈んだり焦ったりし、迫害がまだ終わっていないので、自分自身をさらに厳しく律し、4回の正時の発正念に注意を払うと同時に迫害されている同修たちを助けるために発正念をするよう自分に要求しました。4回の正時を除いた時間でも「大陸迫害総合情報」で報道された迫害されている同修のことを思い出し、彼らを助けるために発正念をしました。ただ他の同修のように長い時間続けることはできませんでした。それでも師父はやはり私に奇跡を現して下さいました。発正念を始めるとすぐに強いエネルギーに包まれる感覚を覚え、寒い日でも手が冷たい日でも発正念をすると手はすぐ暖かくなりました。
師父はこうおっしゃいました。「正念を発するという言葉は、昔はこのような言い方ではなく、昔は神通と言われ、神通を用いるとか、佛法神通と言い、常人はそれを功能と言っていました」[1]。大法弟子の発正念は師父が大法弟子に授けて下さった佛法神通であり、この上ない威力を持っています。大法弟子の発正念は「掌を立てれば、乾坤震い」[2]、発正念をするとき掌が倒れる状態は現れてはいけないのです。
学法が上手くできればできるほど、頭の中に入れた法が多ければ多いほど、大法に同化すればするほど、神の一面が強くなり、発正念の威力が大きくなります。
大法弟子の発正念はこれほどこの上ない威力があるため、最初同修が発正念をする時、掌が倒れると聞いた時は理解できませんでした。
私の母は在世中長い間発正念をすると眠くなって掌が倒れていました。その時はその原因が分からず、母と理性的な交流ができず、目を開けて主意識を強めるようアドバイスしたり、母を助けて発正念をしたりしましたが、母は依然として掌が倒れました。
その後同修が発正念をする時掌が倒れるのは、睡眠と休憩が足りないからだと思いました。それは大法のプロジェクトで多くの技術支援を担っているある同修も長い間発正念すると掌が倒れると聞いたからです。この技術同修に一日休みを取り、一緒に交流し、またその同修のために発正念をしたりしましたが、やはり効果は微々たるものでした。休憩したにも関わらず、この同修は依然として発正念をすると掌が倒れていました。
その後私は他所で一人暮らしをし、2015年の下半期からは病業に遭っていた母の面倒を見ていましたが、その間に、学法がついていけなくなりました。ただ絶えず「心からの九文字」を念じたり、以前の学法と法の暗記を頼りに修煉状態を維持するだけでした。夢の中で師父の法身は長い間、学法を堅持していないことを悟らせて下さいました。
同修の母が旧勢力に命を奪われた後の2016年の下半期になって、私は足りなかった学法を補い始めました。ある日、学法が終わって意識が非常にはっきりした状態で発正念をしましたが、発正念で一度も掌が倒れたことがなかった私の掌が、ある力によって下へ引っ張られるのを感じました。すなわち発正念の時掌が倒れる現象です。私はすぐ目を開けて力を尽くして自分の掌をコントロールし、強い正念を発しました。「師父、助けてください。今弟子が発正念をすることを妨害する全ての黒い手、乱神、卑しい鬼と共産邪霊を徹底的に消滅するように」と願いました。そうすると手はすぐ正常な常態に戻り、力を入れなくても手の形を維持することができました。
しかし旧勢力の妨害はこれで終わったわけではなく、明らかに眠くないのに発正念をする度に一つの力に妨害され眠くなりました。私は何回も目を開けて主意識を強めると同時に絶えず弟子が発正念をして黒い手、卑しい鬼と共産邪霊の要素を片付けることを助けてくださるように師父にお願いしました。自分の四肢は必ず自分の神の一面に操られるべきなので、発正念をする時掌が倒れたり、眠くなったりしないようにしました。その時、私は法理上、師父が悟らせた理性的面と神の一面での発正念に対する認識は非常にはっきりしていました。
しかし、今回は発正念で掌が倒れたことと眠くなったことで私はこれらの現象を全て実際に体験しました。
その後ある日の夜、夢で師父は私を悟らせて下さいました。夢の中で私は発正念をしていましたが、掌を立てるとその掌の左右にそれぞれ一匹の卑しい鬼が現れ、力を尽くして掌を折ろうとしていましたが折ることはできませんでした。
目が覚めるとただ二匹の卑しい鬼だけで大法弟子の掌が折れるのかと考えました。この二匹の卑しい鬼はどうして私の空間に留まることができたでしょうか? これらの鬼は私が三つのこと、特に学法と発正念を緩めていた隙に入ったのです。
師父は説法で「今皆さんが正念を発する時、掌を立てると、邪悪の生命はすぐ逃げてしまい、発せられた功は方々で邪悪を探さなければならず、天上と地下のあらゆるところで探しています。あればすぐ根絶してしまいます。邪悪は既に安易に現れて来ることはなく、既に広範の邪悪生命を組織して大法弟子を攻撃する能力はなく、大法弟子は既に主導権を握り、正念を発する時に、全てが根絶されるまで至る所でそれらを根絶しています」[1]と教えてくださいました。「皆さんに教えますが、現在も残っていて大法と大法弟子を迫害することのできるものは学習者自身の原因です。正念を発することを重視していない学習者、あなたたち自身が受け持つべき、責任を持つべき空間にある邪悪がまだ根絶されていないという原因です。ですから、皆さんは正念を発することをくれぐれも重視してください。自分に能力があると思っているかどうかに関わらず、正念を発するべきです。自分の考えの中のものを根絶するとき、それはあなた自身の身体の範囲内に作用しますが、同時にあなたは外在のものも根絶しており、それがあなたのいる空間と直接関係しているため、あなたが彼らを根絶しなければ、彼らはあなたを迫害し抑制するだけではなく、他の学習者、他の大法弟子をも迫害するのです。ご存知のように、中国大陸の大法弟子が受けた迫害は相当深刻なものであるため、全ての学習者は必ず自分の責任をはっきりと認識し、正念を発する時に本当に心を静かにして、本当に正念の作用を働かせなければなりません。ですから、これは極めて肝心なことであり、極めて重要なことです。もし全ての学習者が皆このようにできれば、皆さんに教えますが、同時に正念を発するその五分間で、邪悪は永遠に三界内に存在しなくなります。これほど重要なのです。しかし、正念を発しはじめた時から現在まで時間は既にかなり経過し、根絶した邪悪も確かに相当多かったのです。他の面から言えば、皆修煉している中、向上している中、認識している中で、法を正すことを良く行なっているかどうかは、自分の修煉と直接的な関係があり、自分が向上して到達する次元とも直接関係しています。ですから、師父はあまり皆さんに多くを要求することができず、私はただ皆さんにこのことの重要性を教えているだけです」[1]
発正念で掌が倒れた時、主意識を強めないと黒い手や卑しい鬼に妨害されて、邪悪を取り除くことができず、さらに卑しい鬼が自分の空間場に留まる機会を与えてしまい、自分の発正念の状態が受動的になり、突破できなくなります。
そこで私は絶えず主意識を強め、目を開けて自分の掌が倒れない状態で発正念をすると同時に発正念を妨げる一切の旧勢力の黒い手と卑しい鬼を大量に取り除き、師父の助けの下で、やっと乗り越えることが出来ました。その時から発正念は正常な状態に戻りました。
以上の発正念の体験で私が分かったのは、大法弟子が「発正念をする時の掌の倒れ」は簡単な現象ではないということです。それは旧勢力が大法弟子の発正念を重視していない隙に入っていたからで、旧勢力が大法弟子を迫害しようとする前奏です。同時に感じたのは大法弟子が発正念で掌の倒れるのは睡眠不足とか休憩不足のような簡単なことではなかったということです。
もし同修が発正念で掌が倒れていた時、ただ本人に注意を与えるとか、助けて発正念をするだけでは足りません。第一に、同修本人と交流する必要があります。神の一面から師父が下さった発正念の佛法神通の洪大な威力と内包を理性的に認識し、正念に対して神の一面から重視するようにするべきです。第二に、同修と交流し、同修の発正念で掌が倒れるようにしている旧勢力の黒い手と卑しい鬼の要素は実は非常に少ないことを認識させる必要があります。もし同修が思想業を取り除くように打ち込んで自分を律し、堅い意志で主意識を強め、神の一面を強めて、自分の身体を主宰し、自分の手が真我に操られるようにすれば、師父の法身は私たちが関を乗り越えるように助けてくださいます。
私自身も発正念で掌が倒れている同修のために非常に焦っていましたが、本質的に助けることはできず、以上の体験を書き出しました。発正念で掌が倒れる同修たちと法に基づいて交流し、共に精進できることを願います。
以上は現段階で法に基づく認識です。法に符合しないところがあれば同修の慈悲なるご指摘をお願い致します。
注:
[1]李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ法会での説法」
[2]李洪志師父の詩:『洪吟』「大覚」
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、同修と切磋琢磨し、「比して学び、比して修す」のためです】