文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年9月3日】私は長年にわたって、面と向かって法輪功迫害の真実を伝えている大法弟子です。少し前、周りの同修が通報されて、強制連行されるケースが相次ぎました。私が通報されても逃げることができましたが、一緒に真相活動をしていた同修のBさん、Cさん、Dさんも強制連行され、周りの同修たちもみな影響を受けてしまいました。その中の同修Aさんは恐怖心が比較的強いため、私と一緒に法輪功の資料を配りたいと言って来たので受け入れましたが、協力していく過程でいろいろなトラブルが生じました。
例えば、ある建設現場で作業をしている作業員が見えたので、私はそこに駆け寄って彼らに真相を伝えましたが、誰も聞いてくれず、資料さえも受け取ってくれませんでした。その時、車から若い男性が降りてきて、「何を配っていますか? 法輪功ですか?」と聞いたので、私は「はい」と答え、とても熱心に迫害の真相を伝え、関連資料も一部渡しました。その若者は「これはいいじゃないですか! みんな、資料を取りに来たらいいよ!」と仲間たちに声をかけました。すると直ぐに大勢の人が集まって来て、真相資料を一部ずつもらって行きました。それは、とても感動的な光景でした。私はその若者を褒めながら、「今日のあなたの行動は、あなたの未来につながるとても素晴らしい証しですね」と言いました。
しかし、同修Aさんは、私に「素晴らしかったと言ってあげても、常人にはわからないからね」と言い始めました。私が「あの人は身分があるように見えますね」と言うと、Aさんは「田舎の人もおしゃれな人がたくさんいるから、彼は必ずしも何かのリーダーではないかもしれないよ」と言いました。要するに、私が東と言えば、彼女は西と言い、まるで私に逆らっているようで、衆生が救われたことに喜んではいませんでした。私は慌てて、「私たちは一体です。お互いのお互いの言動に隔たりがあってはならず、邪悪のワナに嵌ってはなりません」と伝えました。これでやっと、話題を変えることができたのです。
また私が、あるグループの人たちに真相を伝えていた時、Aさんは隣にいた一人に真相を伝えていましたが、相手はどうしても三退に同意しませんでした。しかし、私が伝えた人たちはみな三退しました。私はまだ三退してない人にも伝え始めましたが、少し話すと彼は三退しました。しかし、Aさんは私に、「中国共産党(中共)が、腐敗しているという話をしてはいけません。人々はそれを聞きたがらないし、もしかしたら、彼ら自身が腐敗しているかもしれないからです」と言いました。私は、「聞きたくないなら、なぜみんな三退したのですか?」と尋ねました。実は、Aさんの家族は、地元ではちょっとした権力者でした。私は「田舎で横領したとしても、大きな金額にならないけれど、今の高官を見て下さい。どれだけの金額を横領しているのか、本当に目を疑うほどです。もう救いのようがないところまで来ています」と話しました。
いずれにしても、恐怖心の影響で、Aさんは自分の身の安全を第一に考えているため、やりたい放題にやっていたのです。私が真相を語り終えた時は、彼女はとっくに姿を消していたのでした。時にはどこへ行ったのか分からない時もあれば、ちょっと危険だと判断したら、私を放っておいて、自分一人で家に帰ってしまうこともありました。このような不調和なことが、毎日のように起こっていたのです。私も常に、内に向けて探していましたが、まだその原因を見つけることは、できていませんでした。
帰宅した後、同修Aさんも内に向けて探していたようで、「自分が間違っていました」と何回も私に誤りました。Aさんは「焦ってしまうと、自分が何を言ったのか分からなくなるのです」と話し、私に、「怒らないでほしい」というのです。謝罪は謝罪なのですが、Aさんはそう言ったにもかかわらず、次もやはり自分のやりたいようにやるのです。私も、心性とはゆっくり向上するもので、認識できたとしても、すぐに行動に移すことができるものではないと分かっています。その過程において「彼女と一緒に真相を伝えたくない」、という考えが浮かんで来る時もありましたが、悪辣な環境の中で、彼女が真相資料の配布に行けること自体が、すでに非常に素晴らしいことではないかと思ったのです。師父は、私たちに共に向上することを求められていますので、私はやはり彼女と一緒に出かけることにしました。
では、なぜ彼女は毎回のように、私に打撃を与えるのでしょうか? 例えば、真相を伝えた効果がよくて、聞いてくれた人たちもみな三退したとしても、彼女からの励ましの言葉は一切聞けません。私は彼女に、次のように話したことがあります。「あなたに、そのように言われてしまったら、いい雰囲気の中で伝えている最中に、あなたから冷水をかけられたのと同じことですよ。正念が弱められ、邪悪が喜ぶことをやってしまうのです。戦争に例えると、私が全力で邪悪と闘っているのに、あなたは後ろからやみ討ちをしているのと同じことです。私が真相を伝えている時、あなたは発正念で、私を助けることができるのではありませんか!」
それらは、彼女の不本意な後天的に形成された観念であること、そして、彼女の先天的な自我は、真・善・忍に符合していることだと私は分かっていました。これらの後天的観念が、なぜ私の空間場に現れたのでしょうか? それはきっと、私の空間場にも悪くなった物質があるからであり、それらが通じ合っているからです。本当にこのこと自体の是非ではなく、その背後の要因が問題なのでした。
具体的なことから抜け出して、私は考えてみることにしました。Aさんと付き合っている中で、「何か法に符合してない部分があったのではないか」と思いました。長年にわたり、Aさんは確かに物質的な面ではとても気を使ってくれました。迫害を受けて苦しい生活をしていた私が、彼女の家に行くと、何でも食べさせてもらい、「食べないとだめだよ」と言ってくれました。時間が経つにつれて、私は遠慮しなくなりました。たまに彼女は服もくれましたが、私は自分を厳しく律することができず、彼女の家に行くと、案外気ままにしていたのです。
同修Aさんが私を軽蔑していたのではなく、邪悪が私を見下していたのです。人から物をもらえば、手厳しく処理することができないという言い方があります。私が法に符合してないから邪悪が人の執着心を利用して、私に魔難を作り上げ、全体に隔たりを作り、真相を伝えて衆生を救い済度することを妨害するのです。もし、自分をしっかり修めることができず、衆生を救い済度することが妨げられてしまったら、それこそ最大の遺憾となります。この道理を見出してから、彼女が食べ物や物をくれても、一切もらわないようにしました。実際、Aさん自身も、自分がなぜこうやっているのかをはっきりと分かっていなかったのです。
私たちの間の協力関係は少しよくなりましたが、やはり時々不調和なことが起こっていたので、他に何か問題があるのではないかと考えてみました。そこで私は同修を見下すという嫉妬心を見つけました。みなそれぞれの環境で育ち、できあがった習慣が異なります。私は都会で育ったので、教養やマナーに気を配っていますが、Aさんは田舎で育ち、実家がある程度の権勢を持っていたので、行動が少し極端的で、言葉で人を傷つけてしまいます。ですから、私は彼女の一部の行為が気に入らず、見下していました。たとえ彼女と交流したとしても、彼女が変わるとは限らないし、彼女もあまり精進していませんでした。
私は、自分の基準で同修に要求してはならず、大法だけが人を向上させることができることに気づきました。だから、他の同修が彼女と一緒に法を学ぶ時、私は同修に「彼女と一緒に、もっと多くの法を学び、もっと法に基づいて向上するように励ましました(私とAさんの家は結構離れている)。同修は絶対によく行えると信じていたからです。
しかし、この時点では、まだこの問題は終わっていませんでした。こういうことも聞きました。同修Fさんは家のリフォームをするため、一時的に住む家を借りるための手付け金まで支払いました。しかし、AさんはFさんに、人の家を借りないで、Aさんの親戚の家を借りるよう説得しました。するとFさんは、「Aさんはあまり上手く対処できず、いつもみんなに迷惑をかけています。今後は彼女と一緒にならないほうがいいよ」と言いました。
帰宅後考えてみたら、「いや、これはおかしい」と思いました。これは邪悪による戦術の変更であり、一つの計略が失敗したため、我々全体を破壊するために別の計略を考え出したのです。邪悪は、同修の修めきれていない人心を利用して、全体を妨害しようとしているのです。もしみんなが、彼女を排斥すれば、彼女はさらに孤立し、彼女が迫害されれば、それは私たち全体の損失になります。もし彼女が迫害されたら、彼女の故郷の環境は、こんなに穏やかであるでしょうか。ですから、大法弟子は皆、全体の中でかけがえのない役割を担っており、全体として向上していく必要があるのです。
邪悪の計略を見出した時、私は心の底から笑ってしまい、この事も非常にいい結果を得ました。Aさんは、近くに住んでいる同修と一緒に、資料配布をし始めたので私を探さなくなりました。師父の按排の下、私はまた同修Eさんと再びチームを組むことになり、資料を配布しながら真相を伝え、お互いに励まし合い、とても良い関係を築くことができたのです。
この一連の魔難は、旧勢力が按排したことだと思っていますが、師父はそれを逆手に取られたのです。私が法のなかでこれらの人心を正した後、師父はそのようなことの発生を許さず、すべてが最善になるように調整してくださいました。
師父は、「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[1]と説かれました。法を正す時期において、内に向けて探すことは個人の修煉だけに限らず、全体の角度、衆生を救い済度する角度から、より大きな視野と広い心を持って行うことが必要です。内に向けて探すことを学ばせてくださった師父に感謝申し上げます。師父の限りない慈悲にお礼を申し上げます。
法理に基づいていないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」