文/中国遼寧省の大法弟子 浄蓮
【明慧日本2021年10月8日】私は2014年9月のある日の午後、ある同修の家に向かいました。マンションの2階に上った時、そこで待ち伏せていた警官に、マンションの裏に止めてあった車に強行に押し込まれました。当時、私は財布と携帯電話の入った小さなカバンしか持っていませんでした。運転手にカバンを奪われそうになりましたが、私がどうしても手放さなかったので、彼らは私を当地区の警察署に連行しました。
警察署の2階のあるオフィスに入ると、中にいた署長が「あなたは、まだ三退を勧めているのですか? 今日も前回と同じだ。家は差し押さえないが、あなたのカバンの中身を確認させてもらう。我々は何もしないから、自分でカバンを開けなさい」と言いましたが、私は署長に道理を話すことにしました。私は、「ここ(警察署)は悪を退治し、正義を守る場所ですね。今日、80歳のおばあさんを捕まえてどうするつもりですか? このことをあなたの家族に話してごらんなさい。みんなどう思いますか? 私は大法を修煉して真・善・忍を守り、良い人間になろうとしているのです。私は何も間違ったことはしていません。それにこのカバンは私のものです。あなたたちに見せる筋合いはないと思います。あなた達も、自分のカバンを何の理由もなく他人に見せたりしないでしょう」と話しました。
署長はすぐに、ある証明書を取り出して私に見せてくれたのですが、私はそれを無視していました。その時私は、「カバンの中のものをどうするのか」と考えていたのです。実は、同修が届けてくれた重要な内容が入ったUSBが財布に入っていたからです。この時、ふとある同修が邪悪に直面しているとき、テレフォンカードを盾に大事なカードを隠したことを思い出したのです。すぐに正念が湧き、警官たちが見ている前で、手をカバンの中に入れ、USBをテレフォンカードの裏に隠し、それを服のポケットに入れました。もう一度カバンの中身を見せろと要求されたときには、私は素直にカバンを渡しました。財布に入っていたお守りと、大法の書名とブックカバーのサイズが書かれた紙は、没収されました。しかし、彼らは私を釈放せず、強行に別の警察署に連行したのです。そこでは写真を撮られたり、手形の押印を無理やりさせられたりして、結局夜7時にようやく帰してくれたのでした。(この後、今回の私の間違っていたことについて厳粛に書き出しました)
2回目は、2016年1月のある日のことでした。その日の午前9時ころ、私は夫と家にいましたが、突然玄関の扉を叩く音がしたので、夫が扉を開けると、そこには団地の管理者の女性と、若い警官がいました。2人に中に入ってもらい、リビングのソファに案内し、今日、ここに来た理由を尋ねました。すると若い警官が、「江沢民を告訴したかについて確認に来ただけです」と言ったので、私は彼に警察のバッジを提示するように要求しました。するとその警官は、ポケットに手を入れながら、「今日持ってきてよかったよ」と隣にいたコミュニティーの人員に話しました。
若い警官からバッジを受け取ると、そこに書かれていた名前を覚えました。そして、誰に言われて家に来たのかと尋ねると、警官は素直に答えてくれました。私が、「あなたは『江沢民告訴について』と言いましたが、最高裁判所と最高検察庁の委託書は持っていますか?」(明慧ネットに載っていた同修の交流文章に書かれていたことです)と聞くと、警官は、「持っていません」と答えました。これを聞いて私は、「委託書があれば協力できますが、それに、告訴のことは、あなたたち警察とは何の関係もないことです。法律を執行する役人として、これだけは守ってほしいのです。今後、あなた方は誰に何を言われても、まず法律でそのことの是非を図って下さい。違法なことは決してやってはいけません。私なら、たとえ仕事を失っても、悪いことはしませんよ。今、法律を執行する役人が罪を犯した場合、罪がさらに重なっていくことになるのですよ。昔の人は『除隊して故郷に帰り農業に携わる』とよく言っていたものです。それはつまり、『悪いことを決してやらない』ということです。たとえ生計を失っても、田舎に帰って畑仕事をしても、圧力に頭を下げないことなのです」と若い警官に教えました。
その女性も若い警官も、私の話を真剣に聞いてくれました。女性が「江沢民を告訴して、何か困難なことにでも遭ったのですか? 何か困っていることがあるなら、団地の事務所に言えば、少しは手助けできると思いますよ」と言いました。間もなくして、2人は帰っていきました。その後、女性は三退し、若い警官は辞職したそうです。
2016年の12月、警察署から、また電話がかかってきましたが、師父のご加護のもと、そして同修の励ましのもとで、私は恐怖心を克服することができました。私は正々堂々と警察署に行きました。悪いことをしないように助言し、家族への嫌がらせを直ちにやめるように要求しました。また、もし、私の家族に何かあったら、あなたたちが責任を取らなければならないと厳しく伝えました。すると今回、警官たちは私への態度が、180度変わったのです。丁寧に車で私を家まで送るとも言ってきましたが、私はそれをやんわりと断りました。それ以来、彼らは私の前に姿を見せなくなりました。
しかし、私が三回目の邪党の人たちと向き合ったときには、正念が足りず、動揺してしまいました。人心による妨害があり、知らず知らずのうちに、邪悪の要求に協力してしまったのですが、その後、法理が明白となり、正念も固まり、どのようにして彼らに真相を伝えるべきかが分かるようになりました。そして、師父のご加護のもと、私は彼らに真相を伝えることができたのです。
この三度の経験を通じて、私は、大法弟子は法をたくさん勉強しなければならないことと、学法の重要性に気づかされました。心の中に法がなければ、正念は生じず、邪悪による迫害を突破することができません。まして、師父の要求に従い、衆生を救うこともできないのです。そして明慧ネットに掲載されている交流文章を読むことは、正念を強めることに繋がると認識しました。