文/中国東北地区の大法弟子
【明慧日本2021年10月18日】1997年4月、私はずっと寝たきりの状態になっていたのですが、大法を修煉して3週間で健康になりました。大法の師父が私に新しい命を与えてくださいました。私達家族は喜びいっぱいで、出会うすべての人に「法輪功は神の功であり、死にかけた家族が救われました」と言いました。
近所の人が私の家に来て、学法と煉功をするようになりました。私が先に修煉を始めたので、世話人になりました。最初は7、8人が私の家に来て、学法と煉功をしました。そのうち20〜30人、それから30〜40人、最後には50〜60人まで増え、家に入り切らず、庭でもやっっていました。あまりにも多いので、もう1人の同修が家で煉功場を作ってくれて、20人がその同修の家に行きました。
法輪功は健康面で奇跡的な効果を引き起こすことが、人口100人足らずの村に広がりました。さらに、他の村まで広がりました。他の村の人まで私の家に法輪功を習いに来ました。重病の人は、私の家に来て数日泊まりました。大きい地区を担当する世話人が、私の家に来て師父の説法を流すとき、毎回、数十人が師父の説法を聞いていました。ある時、他の村の煉功場の20人あまりの学習者が全員来ました。私の家の中も、外も法を求めに来る人であふれていました。
慈悲で偉大なる師父は、この宇宙の大法の佛光を普く照らしました。私達の衆生は、師父の慈悲なる済度と恩恵を受けています。2年あまりの時間、法輪大法はここで人々の心に深く根をはりました。その時、私は法を広めるために毎日忙しく、とても楽しく充実していました。私の生活は希望に満ちあふれていました。
修煉の初期のころ、毎回農閑期になると、師父が私の体を浄化してくださいます。私は業力が多いので、体が浄化されるたびにベッドから起きれなくなり、毎日の食事は夫が作って食べさせてくれました。夫は修煉していないので、不安で昼夜を問わず、2人の子供と一緒に看病してくれました。娘は修煉者なので父親に「師父が母さんの病気を取り除いているので心配しなくてもいいよ」と言っていました。
私の体が浄化されるとき、どんなに辛くても苦しくても、私は師と法を信じ、数日が経つと治療を受けることなく治るのです。毎回の病業の浄化は師父が私を手助けしてくださっていることを、私は知っていました。
私は修煉して1カ月で、師父は天目を開いてくださり、他の空間の景色が見えるようになりました。私は病業の試練を乗り越えるとき、とても苦しく辛いとき、目を開けても閉じても、他の空間の山は青く、水は清く、景色は清らかで美しく、鳥がさえずり花が咲いていて、人間の言葉では言い表わすことができなくて、とても不思議でとても神聖なる景色が見えていました。これらの人間世界にない景色が私に信じる力を与え、毎回の病業の試練を乗り越えることができたのです。
1999年7・20以来、私には毎年、病業が現れ、少ない年は2、3回ありますが、多いときは4、5回ほど寝込んでしまい、家族に面倒を見てもらいました。
2002年の冬、私は流浪生活を強いられ、1人の同修と一緒にいたとき、病業がやってきました。その同修は法の実証で忙しくしており、時には帰りが遅く、そのうえ私の世話もしなければなりませんでした。あるとき私はベッドで寝ていて、目が覚めると目に見えるのは無数の法輪で、雪のように私の目の前に回っていました。多くの法輪を見たことで、私の信じる度合いが倍増しました。私は力をふり絞って起き上がり、火を点けてご飯を作りました。
その当時の私は学法についていけなかったのですが、毎日、法輪を見ていました。しかし、心の中では不安でたまらず、私はもうすぐ死ぬ、生きられないという考えに妨害されていました。私は正念がないうえに、悟性も悪かったのです。このような正念のない弟子を師父は放棄せず、ずっと私の側にいて守って下さいました。1カ月後、私の体は回復して健康になり、師父から新しい生命を授かりました。
2012年の冬、家庭の煩雑なことで私の心性は常人の次元に落ちてしまいました。旧勢力に隙に乗じられ、病魔に襲われました。胸が苦しく呼吸が難しく、一日中寝ていました。このとき、よく人の災難を喜ぶ四不象(しふぞう:角がシカ、頸部がラクダ、蹄がウシ、尾がロバに似ている)の生命をが見え、目の前に飛び回り、私は発正念して取り除いていました。私は発正念をすると、四不象が逃げ出し、しばらくしてまた戻って来ます。私は発正念をし続け、そして四不象が見えなくなりました。しかし、呼吸は依然として難しく、特に夜になると、よく息切れが起き窒息になるような状況が現れました。このとき私は「師父、弟子を助けてください、どうぞ、弟子を助けてください・・・」という言葉を繰り返して念じました。すると息ができるようになりました。
数日がすぎ去り、そして十数日間が去り、私は生死の淵にさまよっていました。夫は怖くなり病院に行くように勧め、行かない私を今度は息子までも病院に行くように勧めましたが、私は行きませんでした。私が死ぬのではないかと恐れた夫は、再び病院に行くようにと言いました。私は「私の命は師父に預けました」と言いました。私の頑な態度を見た夫は何も言わなくなりました。しかし、夫と息子はずっと私を気にかけ、死んでしまうのではないかと心配していました。1カ月後、私は奇跡的に回復して健康になりました。師父は再び新しい命を与えてくださいました。
2018年の春、息子が離婚し、嫁は孫を連れて行きました。夫が耐え切れなくなり、何事もないのに、よく私を怒り、私は二重の精神的な苦痛に耐えなければなりませんでした。年末、夫は病気で倒れ治療しても良くなりませんでした。私は焦り始め人心が現れたため、旧勢力に乗じられ病業が現れました。10日後、夫の病気は良くなりましたが、私は病業がますます重くなり、一日中息切れがして横になることができず、壁にもたれて座るしかできませんでした。気力がなく、覚えた法を暗唱し、4回の定時の発正念を行い、第五式の動作を煉功するのが精一杯だったのです。食欲がなく、水を飲むのも薬を飲むのと同じく苦しかったのです。
このときの私は体が非常に衰弱しており、一日中目を閉じていました。そして他空間の神々(男性の神もあれば女性神もあった)が私と接触してきました。目を開けた私はこれが旧勢力の按排だと悟りました。ある日、私は男性の神に「私は法輪大法の弟子です!」と言いました。その後、これらのいわゆる神が二度と顕れませんでした。
2週間が経ち、私はまだ横になることができずにいました。私は少し休めるように師父にお願いしました。ある日、私は寝床に入り心からの九文字「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」を唱え始めると、いつの間にか熟睡に入りました。「心からの九文字」を念じることの素晴らしさを体験しました。
その日から私は毎日、誠心誠意に「心からの九文字」を唱え続け、効果がとても良かったのです。私は眠ることができるようになり、ご飯を食べることができるようになり、水も飲めるようになり、身体が素速く回復しました。この度の病業の関を乗り越えるのに1カ月半の時間を要しました。家族は私が助かるとは思っていなかったようで、周りの同修たちは皆、私のために手に汗を握り、私自身も不安な気持ちでいっぱいだったのです。しかし、 師父は再び私に新しい命を授けて下さいました。
2019年3月から今日まで、あっという間に2年が経ちました。嬉しいことに730日間、私は一日も寝込んだことがありません。私が修煉の道を着実に歩むことができた理由は何でしょうか? どんな力が旧勢力が按排した私の病業を払拭することができたのでしょうか? 疑う余地もなく、それは慈悲深い師父と法輪大法の力なのです。
この2年間、私は時間があれば学法をしていました。 農作業や家事をしながら、明慧ラジオ『憶師恩(師恩を回想する)』『正法修煉園地(法を正す修煉園地』『神伝文化』を聞くことがよくありました。私の正念が徐々に高まリました。明慧ラジオが私の強大な言動力となり、学法がしたい、とにかく学法がしたいと渇望していました。なぜそうなったのかと言うと学法をする際、法理が脳裏に入り込み、絶えず私のミクロの次元にも入り込んでいくのを感じたからです。悟れないときは法が啓示して下さっています。
私は師父の写真の前に行き、つつしみ敬う気持ちで3回お辞儀し、3本の線香を立てて師父に感謝しました。私は知っていますが、お辞儀を3回、3百回、3万回をしても、師父の限りない慈悲への感謝は言い尽くせません。私はさらに知っていますが、師父は何も要らないのです。要るのは弟子の師と法を信じる心です。
それでは、真に師と法を信じるとはどいうことでしょうか? 私の理解では師父がおっしゃられたとおりに行うということです。
過去2年間、法を正す修煉の中で穏やかではなかったのです。旧勢力は私の人心を利用してよく妨害しました。例えば、衆生を救いに出かけようとした時、邪悪は私に悪夢を見させ、邪悪に追いかけられ、あるいは連行されそうになるなど、とても怖かったのです。目が覚めるとドキドキしていました。このような情況の中でも、私は師と法を信じていました。毎回出かける際には、私の正念を加持して下さるように師父にお願いしています。師父がいつもそばにいて守って下さり、何事もなく無事に帰ることができました。
時には、私は真相資料を配りに出かけよとすると、喘息と咳が同時に現れ苦痛で苦しんでいました。私は気にせず出かけていました。私がバイクに乗って出かける時はいつも、多くの法輪と神龍がずっと私を見守り、私のすべての病気の虚像が消え去りました。
ここまで修煉してきても、咳の病魔は私への妨害を諦めることなく、時々、私を妨害してきます。私は大量の学法を通して、旧勢力の策略を見破り、病魔を気にすることなく、すべきことを行い、修煉者には病気がないのです。例えば、熱が出たり、咳が激しくなったり、息切れしたりしたときも、学法の時間になると法を学び、発正念の時間になると発正念を行い、煉功の時間になると煉功をし、同修が真相資料を必要とするときは資料を届けにいき、書き終えていない原稿があれば、それを完成させるのです。
師父はこのようにおっしゃられたことを覚えています。「正しい念と正しい行い」[1]「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[2]このようにして、すべての病業が瞬く間に消え去り、病業の魔難も現れなくなりました。
かつての教訓として、私は心の中で自分を修煉者として考えず、旧勢力が作った魔難の中で関を乗り越えようとし、耐え難いときは、師父にお願いして、師父が魔難を引き受けて下さいました。もう一つは師と法を信じていないことです。思い返してみますと、自分の行いに対して、残念で恥ずかしく思います。
慈悲なる師父に感謝を申し上げ、魔難から乗り越えるために導いて下さり、師と法を信じる中で長年来の病魔から離れることができました。
次元に限りがあり、法に符合していない箇所があれば、慈悲を持ってご指摘して下さい。
注:
[1]李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
[2]李洪志師父の著作:『轉法輪』