文/カナダトロントの大法弟子
【明慧日本2021年10月31日】
偉大で慈悲深い師父、こんにちは!
同修のみなさん、こんにちは!
私は5歳の時母と一緒に法を得ました。12年前まだ小学生だった時、台湾からカナダへ移民した青年大法弟子です。私は2020年、英文大紀元の購読部門に入りました。このような重要な時期に、メディアで働くことができたのは本当に幸運なことです。この期間中、苦しい時も楽しい時もあり、達成感もあれば挫折も経験しました。全ての経歴や内心の変化は、メディアに参加する前までは想像すらできませんでした。
就活での困惑と考え
2019年から2020年の間、私はトロント大学で最後の学期を迎えていました。周りの同級生たちは仕事を探し、未来の計画を立てており、私も自分は何をやりたいかを考えていました。
私は、大学で会計を専攻し、会計専門のすべての上級コースの授業を受けていました。この領域でうまくやろうとすれば会計士になるべきであり、会計士の資格を取得する必要があります。私にとって、専門の資格を取って、この領域でエリートになるのはそれほど難しくないと思っていて、うまくやれる自信もありました。しかし、私は自分に問いかけていました。「これは本当に自分が望んでいたものだろうか」、「本当にこの道を歩み続けたいのか」と、私は真剣に考えてみることにしました。
私は、あまり会計に熱情が持てませんでした。これを選択したのは自分の成績がよく、将来仕事を探しやすいからでした。私はいくつかの会社の面接に行きましたが、面接官になぜ弊社に入社したいのか、なぜこの分野で働きたいのかと聞かれた時、答えられませんでした。厳密に言えば答えられなかったのではなく、当時の答えは私の本心ではなく、ただそれだけのその問題に対する標準的な答えだったからです。自分には、確かに会計という分野に入るモチベーションがなかったのです。
私は「どの会社だったら…」、心の中からこの問題に答えることができるのでしょうか? またどの会社だったら、私が喜んで精力と情熱を傾けられるでしょうか? そのとき私は大紀元を思い出したのです。
私が初めて大紀元で働いたのは、2018年の夏休みでした。その時は夏期の実習生を募集していました。母はどうせ私が暇だと思い、私に応募させました。そして最終的に英語編集部に入りました。その年の夏休みに、映像編集や新聞原稿の書き方、取材、ソーシャルメディアのスレッドの管理など、とても多くのことを学びました。これらのことは皆後に貴重な体験となりました。その時は他にも5、6人の青年同修が一緒に実習を受けており、毎日一緒に仕事や勉強、歓談したりして、とても楽しかったのです。私は同修と一緒にいる感覚がとても好きでした。
素敵な思い出を残していたため、次の年の夏休みも、私は再び大紀元の実習を受けました。私がその年、最も得たものは、煉功と学法が生活に溶け込んだことでした。メディアの方で毎朝煉功と学法があり、同修が私を招待してくれました。早起きは非常に苦痛だったものの、一旦煉功と学法を終えると、心の底から嬉しさと充実感を感じていたのです。
大紀元で実習した期間は、私を大いに成長させてくれました。比較的よく精進するようになり、初めて何かが私の人生を充実させ、幸せにすることができるのかを認識することができました。大法の保護の下で成長してきた一つの生命として、私は大法の素晴らしさと、真相を伝えることの重要性を知りました。そのため私は大紀元に参加し、自分も一人前の力を出し、先史の誓約を果たしたいと思いました。
フルタイムでこのメディアに加入するのは一見すると簡単ですが、そうともいえません。私は学校での成績は優秀な方で、同級生はよく私の助けを求め、しかも私は頭が良くてすごい人だと思っていたのです。仕事を探す時、常人は通常給料が良い会社や大手会社に入りたがりますが、これは常人にとって、成功した指標です。故に、大紀元に入ることが最も良い選択だと分かっていても、名誉を求める心や競争心が私の心を揺るがしました。同時に私は、両親が大金を払って私に会計の勉強をさせたのに、結局メディアに勤務することは、理解できないだろうと心配していたのです。
幸いなことに、両親はとても理解でき信じてくれ、私の選択を支持してくれたのです。大紀元に入った後、給料のことで悩んでいた時、父(常人)が、「大紀元は創立の段階なので給料は低いけど、大紀元で働くのはあなたの使命ではないの? 違う?」と言ったのを覚えています。私はとても励まされ、これも師父が私を励まし、啓示を与えてくださったのだと思いました。
後に法を深く学ぶにしたがって、私は自分に根の深い固定観念があることに気づきました。それはつまりメディアで働けば、自分の生活はとても苦しくなり、逆に、常人の会社で働けば財源を安定させられるということです。しかし、これは間違っていました。修煉者はどうして大法のことをすることで、福や元の自分に属するものを失ったりするのでしょうか? 裕福や貧乏は自分が携えた業力によって決められるのです。私が何かを失ったとすれば、それは自分の執着心が引き起こしたことです。大法の道を歩んでいけば、師父が私に最も良い按排をしてくださるのです。これを悟ると私は豁然と開けました。
仕事の中で自分を高める
予約講読部に加わった当初は、利用客がちょうど急速に増え続けていた時でした。その時は、私を除くとフルタイムで顧客サービスに従事していたのは一人だけでした。私が迎えた最初の試練は、全くサービスの経験がなく、顧客サービスのマニュアルが不完全な状態で電話に対応し、顧客の問題を解決することでした。
一回目に電話した時は、私はどもりながら喋っていて、しかも話す順番も論理性がありませんでした。その度に私は絶えず自分を励まし、縮こまりたい心を極力取り除こうとしました。そして何回かの試みの後、私はやっと、比較的平穏な声で顧客と交渉できるようになりました。同時に、「最も良く対応してくれた顧客サービスの人」だとか、「最も良いサービスを受けた」と私に言い始めたのです。私はとても励まされ、また、この挑戦を引き受けたことで、自分を高める機会を得たことを幸運に思いました。
私が仕事に適応し始めたころ、すぐに二つ目の挑戦に直面しました。世の人々に真相を知ってもらうため、カナダでは英語の特集が発行され、大きな反響を得たことで、ホットラインが大量に増えたのです。そこで会社は新たな人員を探しました。そのため私は、新人にトレーニングを行ない、第一線で顧客サービスの人員が解決できない問題の処理とか、メンバーが常日頃、更新されるサービスの系統になることを助けるように指示されたのです。私の仕事量は一気に増え、多くは以前に遭遇したことがない問題で、私もどうすべきか分かりませんでした。
私はトラブルに遭ったら、自分で処理するタイプなので人に聞くことに慣れていません。人に助けを求めるのは他人に迷惑をかけることであり、さらに他人の仕事量を増やすことだと思っていたからです。しかも自分は、能力があるように人に思われたかったので、トラブルに遭ったら自ら試してみて、その間違いから新たなものを学んでいたのです。しかしこのようなやり方では、その過程の中でプレッシャーが大きくなるのです。さらにトラブルが完璧に解決できないと、恨む心と恐怖心が生じて来るのです。私は徐々にネガティブになってしまい、自分の感情をコントロールできないことすらありました。ここで私は「自分を正さないと仕事を続けることができない」と気づいたのです。同僚たちの助けの下で、私は自分の間違った観念を認識し、トラブルに正しく対応する適切なやり方を悟りました。一つのチームの中で、みんなが助け合うことはごく普通なことであり、必要なことでもあるのです。私は自分の闘争心と顕示心理をなくすべきであり、そうすることによって始めてチームの中で最高の効果を発揮することができるのです。
正しい考えに導かれてから、私のプレッシャーも大いに解消され、また新しい挑戦にも積極的に応じることができました。振り返って見ると毎回自分の実力が足りないと考えたときは、いずれも修煉状態が良くない時でした。穏やかにしてから、内に向かって探して自分を正し、着実に学法し、煉功して、修煉がついて行くと、師父は私に智慧をくださって仕事をやり遂げられるようになるのです。大法とともに存在しているからこそ、私は自信満々になり勇気があふれるのです。私はもう消極的に挑戦に応じることはありません。毎回の挑戦は、自分の威徳を樹立する機会であり、修煉は人を待たないので、逃した後で後悔しても間に合わないものです。我々大法弟子は、毎回の威徳を樹立するチャンスをしっかりと掴むべきです。
過去の一年間、私と同修の間にも摩擦や、矛盾、誤解などが何回かありました。中には自分の心が非常に刺激されたこともあります。普段私は「忍」の心をもって対処していましたが、心の中では怒りと不満を感じ、それは自分は心性を修めているのだと思っていました。しかし後で、常人の「忍」はただ心性を守るだけで、向上させることはできないと悟りました。これを速やかに悟ることができなかったため、私は一つの次元で長い間留まっていたのです。関と魔難が長くなり、大きくなりました。さらに旧勢力に隙に入られ、周りの環境に否定的な考えが生じてしまいました。
一度電話が絶え間なく、鳴っていたことがありました。顧客サービスの人たちは、ずっと電話に出ていましたが、漏れなくすべての電話を受け取るために、私も助けていましたが、それでも多くのお客様が待っていました。忙しい状況の中で昼ごはんの時間になりました。電話が少し減ったところで皆に、「順番にご飯を食べて、すぐ戻るように」と伝えました。しかし、数分も経たないうちに急に電話が大量に掛かってきたのです。ちょうどその時、責任者が電話を待っているインスタントフローを見て、多くのお客様が待っていると分かり、「このように多くのお客様が待っているのに、今食事に行かせるべきではない」と指摘しました。
私は、電話が掛かってくる時間は、「自分が制御できるものではない」と思って不平に思いました。初めのころは、これは私の「忍の心」を修めるために生じたのだと悟りましたが、似たような関が次々と生じて来るので、自分の修煉に漏れがあるか、それとも悟りが間違っていると認識しました。そこで見つけたのですが、私は関に遭ったとき、自分に問題があるとは思わなかったのです。逆に自分は正しいと思っていたので、どう忍んでもトラブルは続いていたのでした。法のなかではトラブルに遭ったら、内に向かって探すように要求しています。小さい頃から私の自己防衛の意識は強く、誰かに誤解されたり、相手の口ぶりが良くなかったりすると、私は受け入れがたくなるのです。そのうえ自分が正しいと思ってやりきれない思いをしていたのです。このように、至る所で「自分を守りたい」と思う心は、利己的なものでもあるのです。私は他人を包容し、他人の立場になって問題を考えるべきで、さらに人に対して善でなければなりません。
また関の中で、私は「相手がなぜ、私にこのように接しているのか」と理解しようと試したことがなかったので、自分の直すべきところが見えていませんでした。内に向かって探していない常人の忍だけをやっていたので、自分は心性を修めているという錯覚に惑わされていたのです。それは真の修煉ではなかったのです。
これらの経歴でわかりましたが、「毎回つらい」と感じた時は、自分の観念と執着に囲まれているからです。私はそれを放下するべきであり、そうすることによってはじめて真実が見え、このような消極的な気持から解脱されるのです。
一丸となって協力し合った力量
英文大紀元で働く中、チームのメンバー間の助け合いや、互いの思いやりと、私心のない貢献に私は深く感動しました。この1年間、購読者数の急激な成長と絶え間ない新しいシステムの使用で仕事が多くなりましたが、全員複数の任務を担いながらお互いを支え合いました。
私たちはかつて、たったの3週間で、30人もの顧客サービススタッフを探してトレーニングさせ、勤務に就かせたことがありました。短い時間内にこのような多くの人を、勤務に就かせることは容易なことではありませんでした。この過程で一人でも助けが必要というメッセージを貼りだすと、その問題がお客様に関わる問題であれ、後期のシステムの操作であれ、時間が取れる人はすぐに出て協調し、根気よく説明しました。責任者は我々のような小規模のチームでこの目標を達成したのは奇跡だと言いました。私もこれは大法がメンバーに力を与えてくださったので、やり遂げられたと感じました。
他の常人の会社と違い、大紀元では部門間の争いがありません。どの部門に属していても必要があれば、みんな私心なく互いに助け合います。購読部が創立されて以来、ほかの部門、特に営業チームは何回も私たちを助けてくれました。毎回新聞の宣伝活動では、臨時の顧客サービス人員が必要になると彼らはすぐ来て助けてくれました。実作業の前に色々な業務を勉強する必要があるとしても、彼らは文句などを言ったことはありません。
他に私が特別に感謝したいのは、チームのメンバーの間でサービスの質を上げ、もっと専門的になって効率を上げるために提出した提案と、互いのコミュニケーションです。提案とフィードバックに私は感謝の気持ちで受け取るべきですが、たまにできないときもありました。
ある同修は、システムや作業の流れや管理のほかにも、改善できるところがあると感じると頻繁に指摘していました。この同修は余りに率直に話ていました。例えば私が設計した作業の流れを見て「私はこのようにやった方がもっと良いと思います」と言うのではなく、「この設計は効率が悪い、あなたはこうやるべきです」と言うのです。私には同修が私を批判しているように聞こえました。さらに私は、同修は仕事の全部を分かっていないし、私がこのように設計した理由も聞いていないのに、なぜよくないと言うのか理解できませんでした。
あとで私はこの点について同修と交流しました。同修は、自分は批判するのではなく、私を助けて改善し成長させるためだと言いました。彼は、自分は他人からのフィードバックを聴くと、他の観点を見ることができ、勉強になるから非常に感激すると言いました。
この話を聞いて、私は振り返って考え直しました。そこで悟ったのは、自分に自信がなく、嫉妬心と体裁を保ちたい考えで他人の話を勘違いし、意見を受け取ることができなかったことです。考え方が変わった後、私はその同僚に不満を感じることがなくなり、自分に届いたすべての提案とフィード・バックを大事にするようになりました。
ここで分かったことは、チームのメンバーの間で率直に交流し、大法を一番肝心な位置に置けば、私たちは大法の支えの下で、仕事をベストな状態に進めることができるということです。
終わりに
私がメディアに入って、フルタイムで働くようになってからもう一年経ちました。私たちは毎日読者からの手紙を受け取っています。そこには、大紀元は一番良い新聞であり、それによって彼らは混乱の世の中で明晰な頭脳を保ち、正しい選択をすることができたと書いてあります。私は自分が働いている会社が、人を明るい未来へ導いていることに幸せを感じています。
メディアに入る前は、ずっと自分の心性は高いと思っていました。メディアに入って次々と魔難に遭ってから、自分には多くの執着心があり修めるべきだと分かりました。師父は偶然なことはないとおっしゃいました。こんな多くの試練を按排されたのは、速やかに自分を向上させて、もっと高い境地に到達して、より多くの衆生を救うことができるようにして頂いたのだと悟りました。
弟子は、自分にまだ多くの足りない部分があり、多くの執着心があることを知っています。私に足りない部分があるから仕事環境で同修と摩擦が生じているのです。師父はそれらを利用して私の執着心を無くし、私がプロジェクトの中でもっと良い作用を発揮するように按排してくださっているのです。「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」なのです。私は自分が選択した道をとことんまで歩んで自分の使命を果たし、師が法を正すことを手伝います。
以上は私がメディアに入ってから今まで1年間の少しばかりの体験です。適切でないところは慈悲なるご指摘をお願いいたします。
(2021年カナダ法輪大法修煉体験交流会)