【明慧日本2021年11月2日】家族とはいつも一緒に暮らしているので、お互いを良く知っているからこそ、衝突しやすく、または心性を高める機会も多くあります。最近、私は「忍を修める」に対しての理解を深めました。
日常生活の中で、家族に指摘された時、無意識のうちに家族と口論になることが多く、お互いの気分も高揚してきます。その後は後悔し、全ては些細な事なのに、どうして争ったりするのでしょうか。何度も同じようなトラブルが生じるたびに、また無意識のうちに口論してしまいます。
最近、学法をして「黙って」という言葉が良く頭の中に現れてきます。家族とトラブルが生じる時、もし法に従って「黙って」と思えば、物事は良い方向に転じることを悟りました。しかし、実際にやってみると言うのは簡単ですが、着実に修煉しないとなかなか実行できません。
これが常人の常識にこだわり、つまり執着しすぎて形成する習慣であることに気づき、中には闘争心も混じっており、違う空間で既に常人の物質になりました。トラブルが生じてこの物質に触れると、当然良くない反応が起きるのです。修煉者として、忍を修め、この常人の良くない物質を取り除かないといけないのです。そこで私は「黙って」という方法を覚えました。
この文章をまだ完成していない時、同じようなトラブルがまた現れました。私は外に真相を伝えに行きましたが、思うように上手くできませんでした。帰宅して同修である母と交流し、母は私を指摘したのです。私は言い返したいが、ふと「黙って」の方法を思い出し、そこで何も言いませんでした。「一歩引き下がれば世界が広々と開ける」[1]、心がホットした感じになり、母も話を止めました。
私は「忍」を修めて高めると同時に、内に向けて探し、このことから私が完璧を求める人心を暴露され、この人心を捨てなければなりません。これは一石二鳥です。
個人の悟りであり、同修に参考して頂ければと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:「轉法輪」