文/山東省の大法弟子
【明慧日本2021年11月8日】私は2012年、幸運にも法輪大法の修煉の道を歩み始めました。慈悲なる師父は時々刻々、精進していない弟子である私を見守り、励まして下さいました。師父への感謝の気持ちは言葉では言い尽くせません。ここで大法を修煉した後の私の変化と、修煉の中で体験したことを師父に報告し、同修と交流したいと思います。
苦難の中、修煉の道へ
私は実家で甘やかされて育てられ、嫌な思いは一つもありませんでした。そのため、わがままや気まぐれなどの悪い癖がついてしまいました。結婚適齢期になったとき、叔母がある男性を紹介してくれたのですが、婚約した直後、その男性は窃盗の罪で7年の判決を言い渡されました。この厳しい事実を前にしても、私は諦めずに彼を待つことにしました。言うのは簡単ですが、7年という年月は長く感じました。いつも彼への思いと、自分の惨めさに泣いていました。
ようやく彼は出所して帰ってきました。彼は刑務所で反省、更生が認められたために刑期が2年短縮され、5年で出所できたのです。私たちは直ぐに結婚しました。
私は「夫の家族が私に感謝してくれる、絶対私に優しくしてくれるはずだ」と、甘く考えていました。しかし、彼の家族は私に感謝するどころか、一家全員で私をいじめ始めたのです。とにかく皆が、「一つも良い所がない」と私を見下すのです。当時、家はいつも張り詰めており、夫の家族と毎日戦い、大乱闘することもありました。「自分にいけないところがある」と認めながらも、「こんな扱いをされるなんて」と、悲しくなり、嫌になり、恨む気持ちを持ち、「良心のない家族だ」と次第に憎むようになりました。
冷たい家族に直面して、私は意気消沈し、生きる力を失ってしまい、自殺を考えるようになりました。それは、夫の家族に後悔させるために死のうと思ったのでした。しかし、よく考えてみると、「自分が死ぬのは簡単だが、子供と母はどうなるのだろうか。死ぬことはあまりにも愚かで身勝手なことだ。このまま生きていくしかない」と考え直したのでした。
長期にわたり、私はあまりにも怒ったり落ち込んだりしていたので、体調がどんどん悪くなり、頚椎症、乳房痛、便秘、めまい、椎間板ヘルニアなど、様々な病気が私に襲いかかってきました。大量の薬を飲んでも効果はありませんでした。家事や仕事をしなければならないのですが、仕事に行くと、ひどい腰痛でしゃがむことすらできず、地面に蹲り、その痛みは本当に耐え難いものでした。
そんな時、ある法輪功学習者が私に法輪大法を紹介してくれました。以前、法輪大法のことを聞いたことがありましたが、共産党から注がられた無神論に害毒されており、それに当局が法輪大法への誹謗中傷、宣伝、法輪大法に罪を被せるために作った『天安門焼身自殺事件』を見て、法輪大法に対して否定的な考えが生じてしまい、受け入れることができませんでした。しかし、この学習者は『轉法輪』を持って来てくれて、法輪大法の五式の功法も教えてくれたのです。ここまでしてもらったので、私は法輪大法を学んでみようと思いました。
そして、『轉法輪』を読んだ後、「人はなぜ生きているのか、何のために生きているのか、なぜ人はこんなにも苦しい思いをしなければならないのか」などが分かるようになりました。大法の法理は私のわだかまりを理解してくれました。義理の両親を恨む心もなくなったし、過去の恨んでいることも基本的には放下しましたが、それでも時々、思い出すことがありました。修煉は口先だけのことではなく、実行することによって、それが本当の修煉だと言えます。渾身が業力ばかりの常人から、偉大で輝く神になるまで修めることは、容易いことでしょうか? それは苦を嘗め尽くして修めなければならないのです。
徹底的に義母に対する怨恨を取り除く
ある時、義母が病気になって手術が必要となり、私が世話をすることになりました。本当のことを言うと、私はやりたくないという怨恨の心が出てきました。この気持ちが湧き上がってきた瞬間、すぐに自分は法輪大法の修煉者であり、師父は私たちに、「人のことを優先に考え、善を持って人に接する、どこにいても良い人であるべきである」と教えてくださったことを思い出しました。それで「義母を家族で、もっと優しくしてあげなければならない」と考え直しました。その頃、主人は歯を全部抜いたばかりで、しかも義姉も色々忙しくしていたので、義母の世話ができる状態ではありませんでした。「これも大法を実証するチャンスだ」と私は思い、義母の世話を快諾しました。このことで夫はとても感動して、「僕の代わりに苦労してもいいの?」と言ったので、「私は嫁だから当然のことです」と答えたのです。
義母の入院中は、食事や生活面の世話する以外に、義母に時間をかけて法輪功迫害に関する資料を読んで聞かせたり、大法の素晴らしさを伝えました。義母は読み書きができないので、私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」の「心からの九文字」を心から唱え、大法を信じ誠意を持っていれば、師父が面倒を見てくださると伝えました。義母は直ぐに「わかった」と言いました。手術は成功し、すべてが順調に進みました。今では、義母は「法輪大法は素晴らしい」と唱え、1度に200回唱えたこともあり、義父にも唱えるようにと教えているのです。
義父は80歳過ぎていますが、今では義理の両親はともに元気です。これらのすべては師父が与えてくださったとわかっています。弟子は師父に感謝申し上げます!
夫が危険から救われる
夫のことを話したいと思います。夫のことを言うと、師父に感謝する気持ちが湧き、涙が止まりません。師父が夫を救ってくださったからです。
2018年のお正月の3日前の朝、夫は勤務している会社から「給料を取りに来るように」という連絡を受け、すぐに会社に取りに行きましたが、夫は夕方前になってやっと家に戻ってきたのでした。夫は家に入るとすぐにこう話しました。「車がウインカーを点滅せず、急に曲がって来たので、避けようとしたが間に合わなくて、車が自転車のハンドルに当たったんだ。その衝撃で、乗っていた自転車のハンドルがお腹に強く当たったので、帰宅途中痛みに耐えながら、「心からの九文字」を唱えながら、帰ってきたんだ」と話しました。
話が終わった途端、嘔吐し始め、血尿も伴いました。そして、怖くなった夫は3番目の叔父(村の医者)に電話をかけ、どういう状況かと聞きました。叔父は、慌てて「早く病院に行って診てもらいなさい!」と強く言いました。そこで、急いで車で病院に行きましたが、行く途中、夫は嘔吐したり、下痢したりして次第に手足が冷たくなっていきました。病院でレントゲンを撮った結果、腎臓と脾臓が破裂していて、すぐに入院して手術をする必要があり、医者は「腎臓の一つを取らないといけない」と言いました。
それを聞いて、私は心を動じさせることなく恐れず、「夫は大法を信じている、私の修煉を支持してくれている、師父がきっと見守ってくださる」と思いました。
医者は、すぐに入院の手続きをさせると「病状が重いので、今夜手術をしなければなりません。息子さんを呼んで来てください。あなた1人で介護は無理だからです」と言いました。息子はホテルで働いているので、ホテルの仕事はいまは忙しいはずだと思い、息子を呼びませんでしたが、医者に何度も促されて、息子を呼びました。私は夫に「法輪大法は素晴らしい」と常に誠心誠意に唱えるように言いました。その結果、非常に危険と思われた初日の夜を、無事に過ごすことができました。翌朝、医者が回診した際には、「よく介護をしましたね」と言いました。夫を守っていたのは師父だとわかっています。医者は、「後の2日間も危険です」と言いました。夫は「心からの九文字」を唱え続け、再び危険な2日間を無事に乗り越えました。医者たちは、夫の良好な経過に驚き、もう一度レントゲン写真を見ました。腎臓の周りには血が溜まっており、破裂していました。尿管に8日間、管を挿入していましたが、夫は「痛みを感じたことがない」と言いました。
師父が夫の痛みを代わりに受けてくださったと思うと、心の中で何度も「師父、ありがとうございます」と言いました。
夫は退院してからは、毎日家で師父の説法の録音を聞き、大法の真相資料を読み、「元気になったら、師父に感謝の気持ちを伝え、お線香をあげる」と真剣に話しました。
4カ月足らずで完全に回復すると、夫は何でもできるようになりました。このことは、夫の友人や親戚も大法の奇跡を目の当たりにしたのです。
大法を学んでから、我が家で奇跡的な出来事がたくさんありました。師父は弟子と衆生に多くのものを与えてくださいました。私は精進して、「三つのこと」をしっかりやり、より多くの人に「三退」を勧めて救い、全力を尽くしたいと思っています。
偉大な師父に叩頭いたします!