文/オーストラリアの大法弟子
【明慧日本2021年11月9日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は今年69歳で、法輪大法を修煉して18年になります。ここで10数年来、ダーウィン市中心部で法輪功を紹介する体験を皆さんと分かち合いたいと思います。
1、修煉してから性格がすっかり良くなった
私はトルコの出身で、2002年にメルボルン市で法を得てから今まで、真剣に修煉を続けてきました。2002年、中国の団体が中国当局に迫害されたと聞きました。中国共産党の迫害を受けるのなら、きっと良い団体だと思いました。そこで探し求めていくと、メルボルン市中心部に座禅と煉功を教える無料の煉功場の新聞広告を見つけました。そこに行ってすぐに煉功を学び始めると、煉功中、指にヒリヒリした痛みがありました。当時、他の多くの座禅のやり方を学びましたが、こんなに強烈な感覚を体験したことがありません。それはとても珍しくて、ほかの方法とは違います。これからはもう他のものを勉強せずに、法輪功だけを学ぼうと決心しました。
私は、毎週煉功点に行って勉強を始めました。同じトルコ出身の同修から『轉法輪』と『法輪功』の本をもらい、『轉法輪』を一度読んだあと、さらに20回以上も続けて読みました。その後チラシを配ったり、法輪功迫害の真相を伝える活動にも参加しました。また、系統的な師父の「各地での説法」も読んでいます。
修煉前、私は非常に性格が悪く、器が小さくて怒りっぽい人でした。些細なことで人と口論したり殴り合ったりして、常に争いの渦中にいます。言動もマイナス思考にコントロールされているようで、心に恨みが多くあります。一晩中ディスコバーで過ごすことがよくあり、いろいろな遊びに溺れて、金を無駄に使っていました。修煉後は、すっかり変わりました。師父は私の思想業力を根本から除去して下さり、心が寛容になり、自分の思想を制御することが出来るようになりました。悪い考えが出てきたらすぐに発正念をして、その考え方を正すことができます。もう誰とも喧嘩をしたくないのです。
大法の法理は、私に常人のレベルを超える価値観を与えてくれました。常に物事に対する自分の判断や見方は世間の利己的な基準ではなく、大法の基準に適っているのか、自分のやっていることが誠実かどうかをチェックしています。一つのことが間違った方向に進んでしまった時は、まず自分自身を探して、自分に間違っているところがないか、自分の執着心、悪い欲望、人心や観念がこれらのトラブルを発生させたのではないかを探すように大法から学びました。学法を続けることで、正念も強くなりました。病気や魔難が起こる時、何も偶然なことはなく、それは前に作った業力を返済していると分かっています。旧勢力や邪悪からの妨害に気づいたら、すぐに発正念をしてそれを除去します。
2、ダーウィン市中心部で真相拠点を設置
2005年にノーザンテリトリー準州の州都であるダーウィン市に引っ越して、長年来、法輪功修煉者といえば私1人しかいません。長年来、多くの風雨を経験して、師父のご加持のおかげで現在まで修煉を一生懸命に続けてきました。私が思う最も重要な原因は、毎日大量に学法をしていることにあります。仕事の都合で時間がたくさんあるので、その利便性を生かして大量に学法しています。各地での説法を繰り返して読んで、暗記できる段落もあります。大法に励まされたので、やる気を失くしたことは一度もありません。
ダーウィン市中心部のショッピングセンターの入口は、市の最も賑やかな場所です。そこに私は垂直に立った垂れ幕を設置して、365日置くことができます。一面は法輪功に対する簡単な紹介、もう一面は法輪の図形と五セットの功法の動作の写真です。通りの向こう側には、たくさんの役所部門やホテルがあり、多くの人が垂れ幕を見ることができます。ショッピングセンターのスタッフに真相を伝えたら、彼らの理解と応援を頂きました。10数年の間、この拠点を私たった1人で守ってきて、最近、もう1人の同修が加入しました。
私が住んでいるアパートの2階のベランダの外壁に、長さ3メートルの大法を紹介する垂れ幕も掲げています。2018年に出国する前に、垂れ幕を外すかどうかを考えましたが、それでも外さないことにしました。休暇から帰ってくると、垂れ幕はショッピングモール前の垂れ幕と同じく傷つけられてはおらず、様子も変わっていません。
功法の実演を見てもらうことは、大法を紹介する最も良い方法の一つだと思いましたので、時間が許す限り、ショッピングセンターの入口に設置している垂れ幕の横で、ほぼ毎日座禅をしています。私が行く時間はお昼の一番賑やかな時間帯なので、多くの人が私の座禅の姿を見てくれています。
毎日、警備員として一晩中仕事をした後の朝はとても疲れて眠くて、時にはとてもお腹が空きます。座禅を止めて、直接家に帰って休みたいとよく思います。しかし、毎回ショッピングモールの入口で、座禅をするように自分を説得します。今は怠けたり、快適な生活に執着したりする時間がありません。毎回座禅した後、非常に気分が良くなり、体がパワフルになったと感じ、もう眠くも疲れも感じません。師父のご加持に感謝します。
座禅をしている時、私の横に座って動作を真似て、少し座禅をしてから出勤する人もいます。動作を教えてくださいと言われる時、私は簡単に大法とは何か、大法の主な著作を紹介し、五つの功法を実演して、最後に真相資料を渡します。買い物に来る人々は、よく法輪の図形や功法を紹介する内容を写真に撮って、法輪の意味やヒトラーの記号とどんな関係があるのかを尋ねます。私は大法の法理、修煉した人がどのように心身両面の健康を手に入れたか、李洪志師父の主要な著作である『轉法輪』などを紹介します。
毎週私は海辺のバザールに行って、法輪功迫害の実態を紹介するブースを設置しています。そこはダーウィン市の最大の市場ですから、そこの観光客がとても多いのです。
大学は主流社会が文化をリードする場所であり、法輪功の活動の広報にはとても重要な場所だと思っています。毎学期、私は大学の各場所の掲示板に大法を紹介して迫害を暴露するポスターを貼り付けて、チラシを十分な数だけ置きます。時々、大学のキャンパスに入って法輪功のチラシを配ったり、迫害停止を求めるための署名活動をしたり、キャンパスの各場所に『明慧特刊』やチラシを置きます。
病院は常に人が多くて、大法を紹介する良い場所です。私は各病院で迫害の真相チラシを配ったり、掲示板にポスターを貼ったり、大法の資料を置いたりしています。特に医師、看護師、病院の職員に臓器狩りに関する資料を多く渡しました。
3、妨害を排除し、真相を伝える
ある団体の宣教者は、しょっちゅうショッピングモール入り口前の真相拠点に妨害行為を加えました。彼らは、私が座禅している間に机の上の全部のチラシ、ポスターをゴミ置き場に捨てます。私は毎回ゴミ置き場からポスターを取り戻して、きれいに拭いて、また元の状態に戻します。彼らは大きい垂れ幕を盗もうとしました。ある日、彼らはなんと小型クレーン車を運転してきて、垂れ幕を潰そうとしました。もし垂れ幕を破壊したら、あなたたちを起訴する、と私は彼らに厳しく警告しました。
彼らの背後にある邪悪な要素を解体するため、発正念の回数を増やしました。次の日に彼らがまた来て、私は追いかけて「なぜこんなことをするのか」とその中のひとりに聞きました。そして、私は冷静に彼と会話をして、私にはこのことをする権利と人権がある、法輪大法の素晴らしさを多くの人に伝えるためにこれをすべて無料でやっていることを話しました。それ以降、彼らは二度と妨害をしていません。師父が彼らを止めて下さったのだと思います。このことを通じて、いつでも強い正念をもって、怠らずに精を出して着実に修煉しなければならないと悟りました。
私は現地の中国人団体にチラシを配って、各テーブルに法輪功の雑誌を置くと、多くの中国人がじっと私の行動を見て、チラシを読みました。しかしその後、頻繁に妙な電話がかかってきて、私は「こんにちは」と言っても相手は何も話しません。これは私を脅迫しようとする中国共産党の仕業だと知っています。そこで、電話会社にこの状況を訴えて、「沈黙の相手」の電話番号を教えてもらいました。その人に電話をかけて「私に電話をしても無言だけど、何か私で助けられることがありますか、どんな質問にも答えることができますよ」と言うと、その人は「大丈夫だ、大丈夫だ」と言いました。それで、妙な電話はかかってこなくなりました。
地元には多くのオーストラリア先住民がいて、彼らも最初は真相拠点を妨害しようとしました。時間が経つにつれて、大法に対してとても尊敬するようになり、私に対しても尊敬くれるようになり、時々、彼らは私のそばに座って、私の動作を真似て一緒に座禅をします。
4、師父はいつも弟子を見守っている
私は毎年オーストラリアの法会に参加していますが、海外の法会に参加したのは一度だけです。それは2018年、ワシントンDCで開かれた国際法会で師父にお会いして、師父の説法を聞きました。実は、師父はいつも弟子たちを見守っていて下さるのだと思います。
ある日、急に鼻水が出はじめ、とてもひどくて、あとで座禅をする時にどうしようと心配しました。これは私の問題ではないので、鼻水が出れば勝手に出ていい、座禅は諦めないぞと思いきりました。ポケットティッシュをたくさん用意しましたが、ショッピングモールの入り口で煉功を始めると、奇跡的に鼻水はすぐに止まり、それからは一度も出ませんでした。これは旧勢力が私に煉功を止めさせようとしたのですが、私に何の効果もないので、最後に私を妨害することを止めたのだと思います。
ある日、夜中に突然膝が炎症を起こし、赤く腫れて痛くて曲がらなくなりました。これも明らかに旧勢力の妨害です。そこで私は発正念の時間を増やしました。私は普段家から徒歩30分で通勤していますが、その日は歩けず、タクシーで通勤することにしました。このように2日間続けて、上司は私を病院まで送ると言い、また数日の病気休暇を与えてくれようとしましたが、私は断りました。
激しい痛みのために片足を組むことすらできませんでした。その時、考えたのは「片足が駄目なら、両足を組んでみよう」でした。激しい痛みを我慢して両足を組んで、とても強い正念を発すると、痛みは軽減して止まりました。本当に驚きました。突然炎症がなくなって、妨害も業力も除去されました。同僚たちは、私の歩く姿を見てとても驚きました。
師父は「今、どういうものが大法弟子を迫害しているのですか? 虫の類のものや細菌などめちゃくちゃなものばかりです。正念を発することは非常に有効なのです! 正念を発すると、一面また一面と滅されてしまいます。しかし、たくさんおり、宇宙はとてつもなく広いので、しかも宇宙に多くの次元があり、滅されても、そうは経たないうちにまた滲み出てきます。来たら、また滅すれば良いのです。このように絶えず正念を発し、しばらく続けると、はっきりした効果が現れてきます。正念を発してしばらく良くなったのですが、また悪化したら、自信を失ってしまう人がいます。あなたに教えますが、旧勢力はこのやり方であなたの意志を消耗させており、あなたの確固たる信念を消耗させています。皆さんはこれらのことに気をつけてください」[1]と説かれています。何回か病気の関を乗り越えた経験を通じて、常に正念を保つことと、多く発正念することの重要性を深く感じました。
次は、真相を伝える時、師父に守られた経験を交流します。ある日、バスで遠くの町に行って住民の家に真相チラシをポスティングしました。夕方にすべての資料を使い切ったのですが、その町にはもうバスがないのです。乗り継ぎ駅からダーウィン市行きの最終バスはあと1時間で発車するので、1時間以内に草が生えている小道を辿って、乗り継ぎ駅まで歩いていこうと思いました。歩いていくうちに、1時間では辿り着けないことに気づいて、私は走りました。乗り継ぎ駅に着いた時、すでに発車時間は数分過ぎていましたが、最後のバスの運転手が警備員と話をしているのを見ました。
私は警備員に手を振って、警備員は運転手に「少し待ってください」の合図をしましたが、なぜかバスはすっと発車しました。後で警備員が運転手に知らせたのですが、なぜ取り合ってくれなかったのか私も分からないと言いました。
息を切らしていたのですが、私は怒らずに冷静さを保つことができました。もともと発車時間になっていたので、運転手がすぐに発車したのも間違いではないと思いました。そこで、他の交通手段を尋ねようとしたところ、突然、別のバスが目の前に停まり、運転手は「早く乗ってください。ダーウィン市行きのバスが、次の停留所であなたを待っています」と言いました。私は言われるがままに乗り、次の停留所には確かにダーウィン市行きのバスが待っていたので、その夜は無事にダーウィン市に戻りました。その一連の遭遇は、慈悲深い師父が私のために設けて下さった心性の関だと思います。
5、トルコに戻って法輪功を広める
トルコに戻り、トルコ第三の都市イズミル、及びいくつか50万人以上の人口を有する大きい都市で法輪功を広めたことがあります。これも地元の人々が初めて大法を聞いた機会です。
初めて休暇を利用してトルコで法輪功を宣伝したのは2013年で、場所はトルコ第三の都市、イズミル市でした。これまで、トルコの同修たちもイズミル市に法輪功を広めたことがないので、私はがっかりしたのと同時に焦りました。私はそこに4カ月住んで、法輪功のチラシを4万枚近く配ったのです。日曜日に海辺の賑やかな公園で煉功して、興味を持っている人に会うと功法を教えます。確かに興味があって『轉法輪』を読んだ人もいました。私は掲示板にポスターを貼って、市場で法輪功の活動ブースを設置すると、総じてそこの人々は法輪功を受け入れて、私にも親切でした。
2018年、私はトルコで3カ月半の休暇を過ごし、いくつかの都市で法輪功を宣伝し、約16000枚のチラシを配り、功法も実演しました。大多数の人は好意を示してくれましたが、チラシを断る人もいて、宗教理論を持って私と討論して、私を脅したりする人もいました。このような状況に私は慈悲をもって対応して、宗教の内容に触れずに、重点的に法輪功の健康を保つ効果を語り、問題を平和的に解決しました。初めてこれらの都市で法輪功を宣伝することができ、とても感動的で楽しい経験でした。今、その中のいくつかの都市で長期的な煉功点も設立されました。
師父、ありがとうございました!
同修の皆さん、ありがとうございました!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一五年アメリカ西部法会での説法』
(2021年国際ネット法会)