文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年11月16日】
夫に病業の状態が現れる
2017年3月のある晩、夫が寝ていると、突然あるものが夫の首を押さえつけて、すぐに息をする事ができないことを夫は感じました。夫は心の中で「師父、たとえ弟子が精進しなくても私は呼吸しなければなりません。師父、私に少し呼吸をさせてください」とお願いしました。すると、すぐに呼吸ができるようになり、正常になりました。生死の瀬戸際で師父は夫の命を救ってくださいました。その時、これこそが業力の消去であると私たちは思いましたが、過ぎ去ると内に向けて探さず、正念を発しませんでした。
この時、師父は、釈迦牟尼佛が弟子に浴槽を掃除させた物語から、心を動揺させずすべての動きをコントロールしなければならない、ということを私に悟らせてくださいました。私はさらに自分の両足が踏み殺した多くのムカデや虫が靴の裏に張り付いているのを見ました。私はずっとその内涵を悟りませんでした。
数日が過ぎ、夫は息切れを感じ、足に力が入らないように感じましたが、食事も睡眠もできたので、私も夫も深く考えていませんでした。しばらく経つと、ある日、夫の足が腫れており、続いてさらに足だけでなくおなかも腫れていることに気づきました。この時はじめて、事態の重大さに気づき、私たちは毎日高密度に正念を発し始めました。
私は「このようなことが私の周りで起こるのは、私に問題があるに違いない」と思いました。私も内に向けて探し始めました。私は地元でずっといくつかの協調の仕事を行っており、確かにやることが比較的多かったのでした。私たちの家はいつも2人で、家事も多くなく、買い物は私の服や日用品を含めていつも夫が買っていました。料理も夫が作り、お金も夫が管理し、私は銀行へ行ったことがありませんでした。修煉上のことも同様で、明慧ネットに上がったり、真相を伝えることなども夫が私に協力し、夫はまるで家政婦のようでした。私は「私が夫に頼りすぎているという隙を旧勢力が突き、夫に対する迫害を重くすることを通じて、私に大法のことを集中して行わせないという目的を達した」と思いました。翌日、私は夫を座らせ多く法を学ばせました。家事は私が行い、買い物と食事を作る時間がなく、昼食は息子がインターネットでテイクアウトで注文を配達させ、朝晩の私たちの食事は、いつも簡単なものでした。旧勢力はこの取るに足りない方法で私たちを悩ませることはできないと感じました。しかしだからといって私たちに対する旧勢力の迫害がなくなるわけではありませんでした。
旧勢力の按排を認めない
ある日の午前中、私はベッドの上で「夫が小舟に乗って振り返りもせずに飛び去り、平らな台まで飛び、少し止まり、再びさらに高いところへ向けて、跡形もなく飛び去り、ただ赤紫の服が地面に投げられ残っていた」ことを目を開けてはっきりと見ました。私は「これは人間の皮膚かもしれない」と思いました。夫は人間の皮膚さえ脱いでしまい、「彼はすでに生きていない」と思いました。この時に夫を失ったもう一人の私が現れました。
夫の全身のむくみはどんどん重くなり呼吸はどんどん速くなっていきました。私は夫に付き添って正念を発し、昼間はさらに法を実証するいくつかのことを行わなければならず、私たち2人の生活を按排し、3時間の学法の都合をつけなければなりませんでした。夜の7時半から10時まで携帯電話で人に真相を伝え三退を勧めました。それから夫と一緒に師父の講義録を一講聞きました。続いて夫と一緒に45分間正念を発し、夜の12時すぎ、私は自分の部屋の中に座って法を暗唱し、内に向けて探し、向かいの部屋の夫の動きに注意し、もし何も聞こえない場合は、夫は息継ぎができず魔によって常に命を失いかねないと起き上がって見に行きました。
その時、夫の学法は今までより真面目でしたが、夫がこの関を乗り越えることができるかどうか私にはまったくわかりませんでした。私はいつも夫に内に向けて探すように要求し、探して見つからなくても夫は何も話しませんでした。夫は夜いつも夢を見て、誰かが夫に質問し答えさせるという夢を見て、目が覚めてすぐに交流し「夫の答えは法に則っておらず、再び関をしっかり乗り越えられなかった」と思いました。さらにむくみは再び重くなりました。「目を覚ましている時ならまだしも、夢の中でどうやって答えを見分けるのか?」と夫は感じました。
邪悪、魔、卑しい鬼はやはり常に私の頭の中にさまざまな考えを送り込み、虚像を作りました。ある日、私はベランダで衣類を乾かしており「これから1カ月間、服を取り込まなくても、誰もあなたのために取り込みません。あなたが夜遅く外から帰ってきても、家の中は凍えるように寒く、お湯を一口も飲めなくなります」というある声を聴きました。私はさらに夫のために開いた追悼式を見て、私と子供たちが書いた感謝状さえも職場の表門の前に貼ってあるのを見ました。夫を失った後の悲惨なシーンがいつも私の頭の中で思い乱れました。この時私は夫を失った後の苦痛に打ちのめされ「2人の自分」の間で生活し、1人はすでに夫を失った私であり、もう1人はもうすぐ夫を失おうとしている私でした。私は本当に息をつくこともできませんでした。
ある日、師父が厳粛に私の名前を呼ばれ「あなたはあまりにも自己中心的で、彼が乗り越えるのをすぐに助けず、いつも自分のことばかり考えている」と言われるのを聞きました。私は急に目が覚め、私はどうして旧勢力にふり回されて歩んできたのだろうか? 夫はまだ生きているではないか? これは旧勢力の遠い昔の按排でした。以前に夫が何度も業を滅する難関の中で、私もいつも夫を失うことを恐れ、旧勢力に足もとを見られ隙を突かれ、旧勢力が私たちに対する迫害を強めるのに私は協力してしまいました。師父は「私たちは旧勢力そのものが現れたこと、それらが按排した全てまで否定しており、旧勢力の存在自体を認めていないのです」[1]と説かれました。これは完全に虚像であり、私はすぐに正念を発して虚像を除去しました。
私と夫は認識を統一させました。漏れがあれば私たちは大法の中で正します。誰も私たちを試す資格はありません。私たちは師父にお任せしていました。私は旧勢力に対して「誰かが彼を迫害することは私を迫害することであり、私と彼は一つの全体であり、私が行うことはみな彼も半分やっており、誰かが彼を迫害するなら、私はその誰かを排除しなければなりません」と言いました。ある日の夜、夫は、「私がまさに息ができないと感じた時、まるでエアコンがついたかのように一陣の冷たい風が心臓部で吹きすぐに楽になった」と言いました。生死を分けるような関で、師父は再び夫を救ってくださったのでした。
夫のむくみは少し引き、そんなに時間がかからずに再びむくみ始め、それを繰り返しました。私の右足は理由もなく日夜痛くてたまらず、視力もぼやけ、私の天目は部屋の上空に暗雲が立ち込めているのが見え、邪悪、魔、卑しい鬼が密集し、一群を滅するとまた一群がやって来て、私が長時間正念を発したために、丹田の中はまるで空気が入っていないかのように感じました。腰も真っ直ぐにすることができなくなり、旧勢力が本当に私たちを殺そうとしているのを感じました。
夫はずっと堅持して病院に行かず、夫は「大法を修煉してもよくならないのなら、病院でも治らない」と言いました。夫の足は腫れて一番大きなスリッパも履けなくなり、顔も変形し、胸も腫れ、呼吸は非常に苦しく「夫が旅立っていってしまう」予感がしました。私は家の預金のパスワードとパソコンのパスワードを知りませんでしたが、夫に尋ねず、夫に負担を増やさないと私は決心しました。夫は自分から銀行口座の帳簿を取り出し、私にパスワードを伝えました。私は見ることさえせず、それらの物は私にとって少しも重要ではないと感じました。私は師父がおととし私にくださった法器を昼夜ぶっ通しで使い、正念を発しながら邪悪を祓いました。私の空間場にはやはり暗雲が立ち込めており、さらにまた凶悪で恐ろしい形相をした邪悪な悪魔と邪悪な笑い声を絶えず出す卑しい鬼が混ざり合っていました。
ある日すでに朝の5時になり、私が正念を発するのはすでに一晩中となり、私は「師父、私は実際抵抗できず、神兵と神将を派遣してください」と申し上げました。その瞬間、空間場が明るくなりました。しかし翌日には邪悪な悪魔がまたやってきました。私は食べず眠らず、おなかがすいているのもわからず居眠りもせず、苦しい魔難の中で、体重が6キロ減少しました。
師父は「これらの魔難が前倒しでやってきました。受けた圧力が強く、心性に対する試練をなかなか乗り越えにくく、時に大きな関に遭いますが、なんと言ってもこれらの魔難は必ず去っていくのです。全部清算され、勘定されるのです。(みな笑って) これはとても良いことではありませんか? ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです」[2]と説かれました。私は「師父が説かれているのは悪いことは良いことだということであり、私たちは師父が説かれた『いまの次元にとどまりすぎているのではないか、もっと心性を向上させるべきではないか』[3]のようではなかったか」と思いました。
なぜ同修の夫にこのような状況が現れたのかと、夫と一緒に内に向けて探しました。私は心をえぐられ骨にまで突き刺さるように何度も内に向けて探して、夫に対する恨む心を見つけました。昔のいくつかの事によって、私の心の中に深い恨みが積み上げられ、常人の中で多くの恨みが積み上げられ、私は学法を通してすべて基本的に取り除き、ただ夫に対する恨みだけは、私も取り除きたいと思いましたが、取り除けず、恨みが滞っていました。私は「この恨む心は絶対に天上に持って行けず、必ず取り除かなければならない」と知っていました。普段も昔のことに触れると、烈火のごとく怒り、話す言葉もとても辛辣で、夫を確実に圧倒していました。
私は毎晩法を暗記し、師父が説かれた「一挙四得」の法理が、夫に対する恨みを取り除きました。再び夫のよいところを思い出しました。私たちは結婚して50年で、私の実家が遠く離れており、身内がみなそばにおらず、夫は私の唯一の最も身近な人であり、私たちは困難を共に切り抜け、生死を共に添い遂げてきました。私は3年以上労働教養所に拘禁され、労働教養所の規定では毎月2回しか面会できず、雨の日も夫は一度も面会を欠かしたことがありませんでした。ある時は長い間会えない時がありましたが、夫はそれでも来てくれました。夫はりっぱで、忠実で、優しくて、常人から見ると、得難いよい夫でした。もし夫が本当に先に逝ってしまったら、私は一生悔いを残すでしょう。もし師父がまだ夫に対して償う機会を私に与えてくださるなら、私は必ずこの夫に対する恨みを断ちきらなければなりません。
夫は西北高原の無人地帯の部隊に18年間おり、過労で病気になり、この場所に戻ってきても1日も楽に過ごせませんでした。1996年に幸運にも大法に出会い、師父のご加護の下、かつてのぜんそく、高血圧、高原性心臓病、深刻な糖尿病、全身の皮膚炎などの全身の難病がすべてよくなり、現在(訳注:2018年)80歳近いのです。法を正す時期の最後に、旧勢力は強いて夫を引き離そうとしていました。私の夫に対する恨みは徹底的に解体され、慈悲心が出てきました。それに伴って、観念と行為にも大きな変化が生じ、以前の私は夫が食べ残した物を食べず、はいた靴下は夫が自分で洗いましたが、現在は夫を嫌う汚れた概念は少しもなく、夫に対するかんしゃくも押さえられ、夫を見ても感じがよいと思いました。他の人に対しても同様で、話すことや物事を行うことはみな物静かで和やかさを保ちました。師父は私のために恨みという執着心を取り除いて持って行ってくださいました。
以前私は「夫の法理に対する理解が入門したばかりの新しい修煉者のようだ」と思っており「夫は大法のことも少し行い、毎日法を学び煉功し正念も発しているが、本当はまったく学んでおらず、法を理解しておらず、内に向けて探したことのない人だ」と思っていました。私たちは一緒に切磋琢磨したことがありませんでした。私はかつて何度も夫に「あなたのは修煉ではなく、これっぽっちの修煉で物事をごまかしているだけです」と伝えたことがありました。私が伝えた時、口ぶりもよくありませんでした。夫は「あなたがどれだけ高く修煉しても私はあなたを嫉妬せず、あなたは私に関わって何をするのですか?」と言いました。ですから毎回いつもけんか別れでした。私たち2人は、従来から学法と煉功はみな別々に行っていました。
現在(訳注:2018年)、私たち2人は一緒に法を学び、ネット上の同修の修煉体験の文章を読んでいます。ある日、夫は自分が内に向けて探した内容を話しました。夫の話を聞いて、夫はまだ内に向けて探すことをマスターしていないと感じました。たとえば、1999年「7.20」私が北京に行った時、夫は当時とても支持し、夫はすぐに銀行に行ってお金を引き出し、私のためにしっかりと航空券を買い、夫は行かず、なぜなら夫は自分が行ってしまうと職場が混乱することを恐れたからでした。夫も私に対する恨みについて伝え、夫はふだんは私に対して恨みの心はないと何度も言い、夫も恨みを腹に抱えていたとは思いませんでした。さらに夫は自分が間違っていることに対してまったく認識していませんでした。私自身がどのように内に向けて探すかということと内に向けて探した後の感想を私は話しました。それから私は夫に「内に向けて探すにはまず法に則り、修煉者の基準で自分を律しなければなりません。あなたも大法弟子で、大法は迫害に遭い、師父は魔難に遭い、あなたが当時守ったのは常人社会であり、法を守ったのではなく、あなたは私を支持しただけであり、これではまだまだ足りません。他の何事でもあなたは具体的な事にまで気を回すことができず、是非をもつれさせ、当時自分がどのように動いたのかを考えなければなりません。もし人心なら、人心を自分だとみなしてはならず、さらにすぐに正念を発して人心を取り除かなければなりません」と伝えました。
私たち2人ははじめて同修のように心を開き、率直かつ冷静にコミュニケーションを取り、交流を通して、私たちはお互いに思いを晴らしました。その時から、夫も本当に内に向けて探すことをマスターしました。
夫は部隊で仕事をして18年で、地元に転勤し、ずっと指導的な地位に立ち、党文化の影響を深く受けました。修煉しましたが、多くの思考や観念がみな中国共産党(以下、中共)文化の烙印を残していました。この点を認識した後、夫は毎日高密度に正念を発し「共産党についての九つの論評」、「解体党文化(党文化を解体する)」、「党文化について論ずる」を聞きました。毎晩師父の広州での説法のビデオテープを2講聞きました。深夜、夫は抜け出すことができなかったため、座って法を暗記し、さらにいつも自分の一思一念を修めました。夫は真相を伝える数台の携帯電話を持っており、夫が夜中に起きて携帯電話のために充電し、操作がとても難しいのを私は見ました。師父が「本当に正道によって修煉すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたりすることはできません。それにわたしの法身に守られているので、何の危険も起こらないのです」[3]と説かれたのを思い出しました。私は夫に対して「あなたは死ぬはずがありません。あなたが修煉すれば、師父は絶対にあなたを放棄したりはなさらないでしょう。師父は必ずあなたを守ってくださいます」と言いました。
師父が万能であることを確信する
夫のむくみはずっと消えず、さらにまた日に日に増大し、私は一晩じゅう夫のために正念を発し、内に向けて探し、師父も何度も心性を守るように私に注意してくださいました。師父が私に注意してくださるたびに、信念が十分であり、夫の魔難も解体されたと感じました。翌日見てみると、むくみにはまったく好転の形跡がなく、私も解決の方法を考えられませんでした。
子供達の度重なる主張で、夫は地元の市のある療養院に行って検査をしました。医者は心不全の治療を行い、夫は腫れが引き、2分間尿器で尿をし、5日後、全身のむくみが消え、呼吸も一定しており、さまざまな検査も終わりました。もともと医者は夫の心臓部にステントを入れなければならないと言っていましたが、二度と言及せず、医者は、私の夫には細い1本の心血管が通っている、ということに驚いて気付き、医者は「どうして全身のむくみが再びあんなにひどくなったのか?」と不思議に思いました。医者が処方した薬を夫は飲まず、7日目に退院しました。退院した後私たちはしばらく以前の家に戻って住みました。
ある日、夫が庭の外から戻ってくると、「さっき夫の首から下の部分から丹田まで、突然大きな硬い石板のようになり、すぐに転びそうに感じた」と言い、夫はすぐに心の中で発正念の口訣を叫び「師父、助けてください」と叫び、落ち着いたと言いました。瞬時に即発した生死の際で、師父は3度も夫を救ってくださいました。
1カ月後、学法を通じて、私の心性はすでに安定していました。私は「病院は夫の病気をしっかり治したわけでは決してなく、ただ夫に対して強制的にむくみを消したのであり、さらにこの重病人にとってみれば危険であり、体の損傷に対しても深刻だった」ことがわかっていました。この時、夫は、夫のおなかが再び少し腫れている、ということを言いました。私は「これはよいことであり、心性を守るということは私たちが行うべきことを行うということです」と言いました。
退院して2カ月後、息子は私たちのために家のトイレとキッチンをみな少し模様替えし、またヒーターを設置しました。すべてがみな整い、天気も寒くなり、私たちは戻ってきて住みました。1週間後の夜半、階下の2人のお年寄りが門口までやってきて、お年寄りたちの家が水漏れで、トイレと主寝室のその面の壁の位置だ、ということを言いました。私たちは必ず責任をもってしっかり修理するのであわてないように、とお年寄りたちにお願いしました。翌日、私たちは作業チームに通知し、1カ月後、すべてしっかり修理しました。
修理している期間、夫の体は再びひどくむくみ始め、睾丸もむくみました。私は師父が説かれた「大法弟子は正念を固め、行うべきことをしっかり行い、三つのことを本当にしっかり行うことができれば、誰もあなたを妨害する勇気はありません」[4]を思い出しました。
師父が行うよう要求なさった三つのことを私たちは一刻も緩めたことはありませんでした。この時、私たちの心はみな安定し、考えたことは良いことだけでした。この正常でないすべての状態は虚像であり、虚像は自分ではなく、虚像を滅しました。
この時に子供たちは省内で最も権威のある循環器科の老教授に会い、病院のすべての検査結果を見て、私の夫はすでに心不全ステージ4であり、また最高レベルであると認定し、今までのところまだいかなる根治の方法もなく、ただむくみ始めたら腫れを引かせるだけだと判断しました。つまり、病院内ではすでに夫の病気に対して死の判決を下していたのでした。唯一夫を救うとができるのは、大法だけであり、ただ師父だけでした。この時私も過去に私たちの地区で全身のむくみを患った数人の同修が一人も乗り越えられなかったことを思い出しました。もし夫の体がずっとこのようにむくみ続けて極限に達した場合、応急処置に間に合うのでしょうか? その日の深夜、私は再び『轉法輪』第三講「師は学習者に何を与えたのか」を暗誦することが出来ました。この一説の最後に、師父は四つの話を説かれました。暗記し終わった後、私は突然「私たちの師父は万能である」と悟りました。あの長春の修煉者は、鉄パイプがたちまちあの高いビルからまっすぐに頭のてっぺんに向かってきて刺さりそうになり、きわどいその瞬間、師父はいつも助けることができたのです。師父は私たちのそばにおられ、いつも私たちを見守ってくださり、3回も師父は私の夫が死にそうな時に奇跡的に人生を好転させてくださり、私は絶対に100パーセント師と法を信じなければなりませんでした。物事は極点に達すると必ず逆の方向へ転化し、すべてがみな虚像でした。ここには必ず私たちが取り除かなければならない人心と、向上すべき要素があるはずでした。
全体で向上し、夫のむくみがすべて消える
私も二度と夫に内に向けて探すように強調せず、この時私たちは、ひたすら夫に内に向けて探さなければならないと強調することはまた、旧勢力の迫害を承認することでもある、ということを認識しました。夫は師父のご加護を受け、夫は法に則って向上しました。師父はすでに何度も私たちに「7.20以前に修煉を始めた古い弟子はみな、心性が高まっている」と伝えておられ、私たちの修煉はすでに完全に師を手伝い法を正し衆生を救い済度する偉大な歴史の進展に移転しており、師父は二度と私たちに過大な病業の関を按排されず、このむくんだ体は自分ではなく、すべて旧勢力が作り出した虚像であり、私達は虚像を消しました。
夫のことを私はずっと他の同修に伝えておらず、この時、私は「同修と全体で向上すべきであり、同修に頼らないことは間違っていないが、全体の力を発揮しなければならない」と悟りました。私は数人の同修に伝え、同修たちは時間がある時に常に家に来て正念を発し、さらにいかなる観念をも持っておらず、正念を発し終わると帰っていきました。その和やかで慈悲に満ちた正念の場が他の空間の邪悪を解体し、夫必ず生死の関を乗り越えなければならないという正念をなおさら強くしました。
ある日、私は夫と息子が話しているのを聞き、息子はやはり夫を病院に行かせたいと思っていました。夫は「私は大法を修煉しており、修煉者の基準で自分を律するべきです」と言いました。息子は今度は「それなら全身のむくみはどうすれば消えてゆくの?」と聞きました。夫は「それは心性が低いからであり、心性が一定の水準に達すれば消すことができる」と言いました。
数日後、1階の人が駆けつけてきて急いでドアを叩き、1階の人たちのトイレと主寝室が水漏れしていると言い「あなたたちがリフォームしたことで引き起こされ、あなたたちの家から原因を探さなければなりません」と言いました。私たちの家は3階に住んでおり、1階の人は私たちが言い逃れをするのを恐れていたので、態度が断固としていました。私は「焦らず安心してください、私の家の原因かどうか、私たちはみなしっかりと力を合わせ仕事を行います」と言いました。翌日作業チームがまたやって来ました。検査を通じて、私の家の3階の12センチ以上下の位置で、1本の水道管が水漏れしており、水道管が老朽化し振動によって引き起こされたのかもしれません。しかも私の家を通らず、2階から直接施行されており、団地の管理人も私たちとは関係ないと言いました。常人であれば、これもまたすぐには解決できない問題でした。はじめに原因を探すために、私たちの家の一面の壁がすでに取り壊され、床もめくられ、私たちは何の異議も出さずに同意し、私たちの家から2階と1階のためにパイプを修理しました。
このようなことが何度も何度も起こり、間違いなく大きな漏れがありました。夜に法を暗唱し、私は自分に存在する問題を見て、また私たちの地区全体に存在する問題を見ました。長い間、私たちの地区では、多くの同修が病魔によって生命を失いました。多くの同修が生命を失っていった間、多くの同修がみな手伝って正念を発し、みな旧勢力の迫害を認める中で旧勢力に反対しました。実質上は旧勢力を助け、病業中の同修に対する迫害を重くしました。原因が見つからないために、発正念もうまくいかないと思いました。ある者は正念がないなどと直接同修に文句を言いました。魔難の中の同修に対して、みんながなすすべがないと感じ、拒むことができないと思いました。日が経つうちに、ある同修は早く去っていき、またある同修は長い間引きずられ、みんなも無感覚になり、そして誰も口出ししなくなりました。同様の道理で、中共に迫害されすでに拘禁された同修に対しても同様で、問題が一度発生すれば、みんなが同修の問題について話し、恨みの意識を伴いながら正念を発しても、邪悪は消えず、同修を救い出すこともできませんでした。
このような問題を認識した後、私たち協調グループは真剣な議論を行い、みな各自が内に向けて探し、さらに補う方法も提案しました
私はいつも作業に来た人たちに真相を伝え、さらに三退を勧めました。私の家の義挙のおかげで、作業に来た人もみな法輪大法は素晴らしいと言いました。1カ月後、つまり2017年12月20日夜7時、作業は竣工しました。作業チームの責任者が喜んで私に「みなさんの私たちに対するもてなしに感謝し、みなさんの献身的なご協力に感謝します。ご安心ください、今度は絶対に再び問題が出ることはありません」と言いました。息子と1階の人たちは最後に和解しました。
私たちの心は穏やかになり、正しい道を歩みました。翌日、夫は喜んで私に、むくみがすべて消えた、ということを言いました。この時私の足も痛くなくなっていることに私は気が付きました。師父の慈悲とご加持の下で、私たちは1年の間、多くの障害を乗り越え、この生死を分ける大きな危機を乗り越えました。
2018年1月20日は、私と夫の金婚式の日であり、親戚はみな、夫がこんなに早くこんなにしっかりと回復できさらに若返るとはまったく思いもよらなかった、そして「この法輪功は本当に素晴らしい」と言いました。
結び
師父は「旧勢力は中にある異なる時間を利用し、異なる空間の時間でやろうとしたことをやりました。実は師父はそれを逆手に取って、旧勢力が仕出かしたすべてを利用し大法弟子を成就させています」[5]と説かれました。師父はつまり逆手にとって巧妙に旧勢力の按排を利用し、私たちの心性を向上させ、私たちの業力を転化させてくださっているのです。
この1年近く夫と乗り越えてきた過程を振り返り、私の夫に対する恨みの強烈な執着は取り除かれ、夫も修煉の厳粛性を認識しました。私たちが歩むすべての一歩はみな師父の慈悲とご加持であり、すべて大法の法理のお導きでした。師父の慈悲とご加持および大法の法理のお導きによって、どんなに困難な状況であっても、私たちはひるまず、あきらめず、中共に向かって頭を下げず、旧勢力を過大評価せず、病業の虚像を重く見ないで、どんなに困難な状況であっても、ずっと堅持して人々に真相を伝え、自分の苦しみを脇に置き、師父が私たちに望んでいることを行います。
今回夫が生死の関を乗り越えたことは、周りの同修たちにとっても一つの大きな励ましでした。再び大法の素晴らしさと偉大さを目にしました。師父の計り知れない威徳を目にしました。私たち家族一同は師父の慈悲なる済度に心から感謝いたします。同修の皆さんの私たちに対する私心のない力添えをありがとうございました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
[2] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
[5] 李洪志師父の経文:『二〇一二年米国首都国際法会での説法』
(明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)