文/吉林省の大法弟子
【明慧日本2021年11月19日】1999年7月20日、中国共産党は法輪大法への迫害を開始しました。 法輪大法を守るために、私は中国共産党から何度も迫害を受け、不当に拘禁されました。
拘禁された当初、私はいつも飛行機を操縦している夢を見ていました。しかし、飛行機が離陸しようとした瞬間、高圧線に触れそうになり、再び地上に着陸しなければなりませんでした。 どんどん大法が頭の中に入ってくるにつれて、ついにある日、夢の中で私は青空の下で自由に飛行機を操縦していました!
拘置所での奇妙な出会い
1999年7月20日の事件の後、私は法輪功の陳情のために北京に行きました。 私は連行された後、長春の拘置所に拘禁されました。拘置所に入ると、何十もの独房があり、不気味さを感じました。 看守に連れられて中に入ると、独房の一つに入れらました。
誠実に生きてきた大学教員として、まさか自分が監房に入れられる日が来るとは思っていなかったので、やはり少し怖かったのです。後から入った人は、先に入った人たちにひどい目に遭わされると前に聞いていたので、やはり怖かったのです。 すぐに師父の法を思い出しました。
師父はこう説かれました。
「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]
監房に入った途端、多くの人の目が私を見つめ、圧迫感と緊張感に包まれました。 その時、誰かが 「名前は?」と聞いてきました。私は自分の名前を伝えました。 また、「故郷はどこですか?」と尋ねました。 ある県や町のことだと言いました。 彼は「それでは、私を2番目のおじさんと呼ばなければならない!」と言いました。 私は、「あなたのことは知らないので、どうして2番目のおじさんと呼ばないといけないのですか?」と言いました。 彼は「あなたのお母さんには、30年以上前に故郷から長春に引っ越ししたおばさんがいたが、知っているか?」と言いました。 私は「そうですね、母がよくおばさんのことを話していました」と答えました。すると 「僕は彼女の息子なので、だから、2番目のおじさんと呼んでくれ」と言いました。また彼は「あなたのお母さんは、私の家に来たときにあなたのことを話していたので、私はあなたのことを知っている、2人とも法輪功を実践していると聞いている」と話しました。
私の母には確かにこの親戚がいて、常に連絡がありました。 このおじさんは、名前しか知らず、30年以上も会ったことがありませんでした。 まさかこのタイミングで、この場所でお会いできるとは思いませんでした。 喧嘩や裏社会活動で監禁されていた彼は、この監房の責任者でもありました。
他の受刑者たちは、房長が私の親戚だと聞くと、すぐに私のところに来て、とても気を遣ってくれました。その時、私は、師父が私を保護するためにこの独房棟に入れたのだと分かったのです。こんなに偶然が重なることは他にないでしょう。師父は、一度も会ったことのない親戚である私に、危機的状況にある私を助けてくださったのです。私は心の中で師父に感謝しました。
これは、私が拘置所に不当拘禁されていたときの最初の不思議な出会いでした。
その1年後、私は大法を守るために再び北京に行ったことで拘禁され、同じ拘置所に入れられましたが、監房は別でした。今回は、前回のように親戚の人が監長になっているような幸運はないだろうと思っていました。
監房に押し込まれると、中にいた男が「Aさん、またここに来たのか!」と叫んでいました。見てみると、去年まで同じ房にいた受刑者が、ここに移ってきて房長になっていたのです。正義感の強い方でした。 彼は「中国共産党が法輪功をこれだけ弾圧しているのを見て、法輪功は良いことに違いないと思いました。 そうでなければ、こんなにたくさんの人が学んでいないでしょう。私もこれから法輪功を学んでいきたいと思います!」と話しました。この房長は、本当に法輪功の煉功動作を学び始めました。彼は、ここに拘禁されていた大法弟子たちをとても大切にしてくれました。
今回も、それほど大きな苦労はありませんでした。
3度目に遠方の拘置所に入れられた時は、法輪功迫害についてのCDを配布したために連行されました。 数日後、中にいた刑務官が私に「あなたは栄さんを知っていますか? 彼はあなたのために1000元を預けてきました」と言いました。 私は不思議な気持ちで、「どうして私の友人を知っているのですか?」と尋ねました。刑務官は「彼は私の妻の弟です」と言いました。現地では栄さんが唯一の友人でした。彼がこの刑務官の親戚であることは、ほとんど知らなかったのです。 私はこの刑務官に法輪功の迫害の実態を伝えました。それ以来、彼は私をとても大切にしてくれました。
私は拘置所に3回も不法に拘禁されましたが、3回とも奇跡的に助けられ、守られました。師父の守りがなければ、このような奇跡は起こりませんでした。
指導員は「退職後は、私も法輪功を学びたい!」と言った
私がいた刑務所の監房には、麻薬密売で逮捕されて連行されてきた男性がいました。お腹が大きくなる病気で、お腹が膨らんでいて、今にも命の危険がありました。 私は彼に、「法輪大法は佛法ですから、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』(心からの九文字)と心から唱えれば、あなたは治ります」と言いました。一週間唱え続けたところ、お腹の調子が良くなりました。それを知った所長と指導員は、「法輪大法は確かにすごいです」と感じたそうです。
この麻薬の売人には、別の房に収監されている共犯者がいました。長期間の拘留により、リウマチ性の心臓病を発症しており、拘置所の医師では治療できなかったのです。所長と指導員は、「彼らも法輪功を学べるように、この部屋に移して、ここで死んだとしても、私たちは責任を負いません!」と言いました。直ぐ2人の受刑者がリウマチ性心臓病の男を連れてきました。
私は彼に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」(心からの九文字)を唱えるように教えました。 私は彼に、「心が誠実でなければならないし、本当に信じていなければ効果がないです」 と言いました。1時間、心からの九文字を念じた後、介助なしで自力で歩けるようになりました。彼はとても興奮していて、歩きながら両手を高く上げて「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい」と叫んでいました。
この奇跡を目の当たりにしたのが、拘置所の所長と指導員だったのです。 指導員は「法輪功はこんなにも素晴らしいのか!」と感動していました。「やっとわかったよ、共産党がテレビで法輪功の報道をしていることはすべて嘘だ、退職後、私も法輪功を修煉します!」と言いました。
これらの出来事は、刑務所の看守や受刑者たちは法輪大法の素晴らしさを理解しました。法輪功を修煉している人たちはとても優秀なのに、拘禁されているのはとても不公平です。 共産党はただの悪です。しかし、刑務官は私を解放する権限を持っていなかったのですが、私に少しだけ自由を与えてくれました。そうすれば、中庭でより多くの人に法輪大法の素晴らしさを伝えることができ、そして法輪功迫害の実態を伝えることができます。 刑務所のほぼ全員が「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を知っていました。それを唱えている人もいて、みんな恩恵を受けていました。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)