文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年11月30日】私は1998年7月に法輪大法の修煉を始めた、64歳の女性大法弟子です。
法輪大法を20年間修煉した経験を振り返ると、幸福、苦難、浮き沈みなどの試練がありました。 大法弟子の修煉の各段階は、師父の細心な保護と切り離せないものであり、私は修煉の中で、常に師父の啓発と励ましが欠かせませんでした。 修煉における成果にしても、人生における福報にしても、師父は私に多くのものを与えて下さいました。
2000年2月3日、私は大法が公平な扱いを受けられるように北京の政府機関へ陳情に行きました。 北京の信訪局に到着すると、北京の瀋陽事務所の警察署に連れて行かれ、瀋陽に連れ戻されて不法に拘束されました。 私が監禁されていた独房は、11~12平方メートルほどの広さで、18人がいました。 半分は大法弟子で、夜は横向きに寝ていたため、起きれば自分の寝る場所がなくなるほどの広さでした。
私が拘置所に到着した最初の日に、同修から、ここには囚人長がいて、新しく到着した人はすべて彼女の言うことを聞かなければならない、彼女はとても威張っていて、時には人を殴ることもある、と聞きました。しかし、 法輪功迫害の真実を理解した後は、彼女はとても親身になって支援してくれ、いじめや殴り合いはなくなりました。 その頃は、毎日みんなで煉功して法を暗記し、切磋琢磨していました。 日中はスペースがなくて煉功ができないので、夜や早朝に煉功していました。 また、私たちと一緒に功法を習って「外に出たら煉功したい」という常人もいました。
ある時、看守から全員廊下に出て作業をするように言われました。 私たちの独房は3階でしたが、作業内容は布団を4階から3階に移すことでした。廊下はとても広いので、廊下にはたくさんのスペースがあり、布団は一人分以上の高さに積まれていました。私たち十数人が1時間ほど作業しました。終わるころに、私ともう一人の同修は3階に通じる階段の入り口に行き、入り口から廊下の向こう側を覗いてみると、向こう側に警官の管理事務所の様な部屋がありました。同修と 中に入ってみると、その場所は本当に警官の事務所でしたが、誰もいなかったのです。 部屋の入り口に緑色のキャビネットが置かれていました。「その中に大法の本があるかもしれない」という考えが私の頭をよぎりました。大法弟子たちが不当に拘禁された際、大法の本は警官に没収されることがあります。 考える間もなく、キャビネットを開けてみると、目の前に2冊の『轉法輪』が置かれていて、二人で合図をした後、それぞれが1冊ずつの本を取って服の中に隠し、出てきました。 ここで「仕事が終わったから部屋に戻れ」という警官の声が聞こえ、私たちの独房は3階にあったので、他の十数人と一緒になって独房に戻りました。 独房に戻ってから、2人で『轉法輪』の本を取り出して、他の同修に見せました。 同修のみんなは大喜びで、大法の本を大事にしまいました。
翌日、昼過ぎに警官が私たちの独房に来て「この後、独房の中を調べる」と言ったので、瞬時、空気が緊迫してきました。 これは2冊の『轉法輪』を探しているのだろうか? というのも、当時は部屋のチェックやボディーチェックも時々行われていたからです。同修たちが法を覚えるために、師父の経文と『洪吟』を紙に書いていたことがあり、それを看守が見て、部屋のチェックやボディーチェックが行われていたのです。 しかし、捜索されれば、布団や身の回りのものがひっくり返され、隠す場所がないことは誰もが知っています。 どうすればいいのか? 手提げ袋も持っていなかったので、とても不安でしたが、大法の本を再び看守の手に渡すわけにはいきません。 なかなか良い方法を見つけることができませんでした。最後に、一人の同修が家族からの差し入れが入っている未開封の袋を開け、2冊の『轉法輪』をその袋の中に入っていた洋服の間に並べました。再び袋の封をし、 私たちは、大法の本が入ってる服を丁寧に床に置き、その上に自分の身の回りのものを置いていきました。
私たちが荷物をまとめているときに、警官がやってきて、耳が聞こえない女性を一人連れてきました。その女性は私たちのボディーチェックをしてから私たちの布団も満遍なく探しました。同修の服が詰められた袋を見ると、隅に寄せてくれました。 結局、何も見つからず、警官はその女性を連れて行きました。 私たちは皆、ようやくほっとしました。
この本が再び警官の手に渡ることがあってはならないと思い、何とかして拘置所から出したいと思いました。 同修に相談したところ、全員が私の考えを支持し「拘置所から先に出る人が本を持ち出しましょう」ということになりました。 約一週間後、自分の服を使って大法の本を包んだ同修が、2冊の本を持って拘置所から出ていきました。 拘置所から出て行く同修の姿を見て、胸を撫で下ろしました。
あれから20年が経ち、今振り返っても凄い出来事だった思います。 当時は、この2冊の『轉法輪』を拘置所から出したいという願いだけでした。 師父のご加護があったからこそできたことであり、当時のこのような邪悪で恐ろしい環境下では師父のご加護がなければ、その結末は想像を絶するものでした。