文/黒龍江省の大法弟子
【明慧日本2021年12月11日】この数日、夫はひどく落ち込んで、「生きていくことはこんなに大変なんだ」と嘆きました。横に座っているのは重症筋無力症を突然患った一人娘です。右まぶたが垂れ下がり、ベッドからテーブルまでほんの数歩ですが、人に支えられないと自力で移動できません。舌も動かせず、お粥などの流動食しか飲めません。娘が突然このような不治の病を患って、夫は心配で夜眠れなくなり、数日で10キロも痩せました。医者は、治すには早くて2年、治っても全身が弱り、以前の正常な状態には戻れないと言いました。
娘は大切な一人娘であり、夫はこの病気が娘の結婚生活に影響するのを酷く心配しました。娘は結婚してまだ2年も経っておらず、娘が結婚した時、夫は娘が勤務する隣の都市に100平米余りのマンションを現金一括で購入し、結婚祝いのプレゼントにしました。娘は夫の希望通りに大学を卒業してから公務員になり、娘婿も夫の基準に沿って選んだので、生活は順風満帆でした。しかし娘の突然の病気で、家族全員が困り果てました。
娘に法輪功を修煉して健康を取り戻してほしいと思い、私は自分の修煉の経歴を娘に話しました。1998年3月28日、夫は法輪功を知って、病弱な私を法輪功の煉功場に連れて行きました。それ以来、毎日夕方6時に私を煉功場に送って、8時に迎えに来てくれます。間もなく、私は健康な人間になりました。1999年7月20日、残酷な迫害が始まり、私は北京に大法のために陳情に行って、留置場に暫く入れられました。その後、家族全員が私の修煉に反対するようになりました。夫を含めて家族の大半が公務員で、巻き込まれるのを恐れていました。夫が離婚を言い出しても私は修煉の意思は変わらず、いつものとおりに親孝行をしたので、だんだんと皆は私の修煉を黙認しました。
そのように看病していた2カ月の間、娘に自分の修煉体験を話しながら、伝統文化、修煉に纏わる物語りなども伝えました。娘はまだ修煉に踏み込む決心を下していません。最初、病院からもらった錠剤を毎日飲んでいて、飲んだ2時間後にやっとまぶたを開けることができました。飲まないとまぶたはだらんと垂れ、ものが見えなくなりました。
ある日の朝、娘が起きてから、薬を飲んでいないため、目玉を動かせなくなりました。娘が心の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と何度も暗唱すると、目玉を動かせるようになりました。そこで、娘は錠剤を飲むのをやめて、煎じ薬だけを飲み鍼灸を受け続けていました。
ある日、娘がご飯を食べた時、突然泣き出しました。「目玉が動かせることで、やっとおかずとお粥が見えるようになった!」と言って、感動して泣いたのです。これは、錠剤を止めた後に起きたことです。医者も「不思議だ、この病気の場合、こんなに早く回復する患者を見たことがない」 と言いました。夫も、私が娘に法輪功を勧めることを止めなくなりました。
2カ月後、娘と一緒に彼女の家に行きました。娘はまだ力がなくて、水が半分しか入っていないコップさえ持ち上げられなくて、私がいないと生活できない状態でした。私はすべての家事を行い、娘の入浴の介助もし、また毎日3時間をかけて薬を煎じなければなりません。娘は夜眠れないことが多いので、私の部屋に来て座る時がありました。一緒に『轉法輪』を読もうと勧めると、娘は「お母さんが読んで、私は聞く」と言ったので、私は毎日どんなに忙しくても『轉法輪』の1講を読み上げて聞かせていました。
学法してから娘は法輪功に対する見方を変えて、体調も少しずつ好転しました。勤め先は娘に毎日少量の仕事をさせて、残りの仕事は同僚たちが分担してくれていました。もちろん毎日私か娘婿が彼女を送迎する必要があり、娘は依然としてバッグさえ持てず、ノートパソコンはなおさら持てませんでした。娘を車で送迎する時もあって、歩いて行く場合は、ふだん徒歩で十数分の道のりが娘は30分の時間が必要なのです。
こんなに重い病気にかかってこんなに短期間で好転したのは、大法を勉強したおかげだと娘は分かっていますが、「修煉したくない、やはり常人の暮らしを送りたい」と言いました。私は「大丈夫よ、修煉を決心するまで時間がかかります。今は毎日の学法を続けなさい」と答えました。
娘は心性を修めることを気に掛けるようになりました。ある日、娘婿と喧嘩しそうになりましたが、娘は忍を守って優しく対応しました。「心性を修めることはこんなに良いことなんだ、昔の私ならば、きっと数日間、騒ぐような大喧嘩だった」と言いました。
以前、師父について話す時、娘はいつも「あなたの師父」と言っていましたが、いつの間にか自然に「師父」と呼ぶようになっていました。
娘はまた虚栄心も除去しました。ある日、職場まで娘を迎えに行き、「お母さん、今日職場の2人がお母さんを振り返って見ていた。以前の私なら、お母さんの服装がとても気になっていた。同僚たちに見られるので、少し良いものを着てほしいと思ったからなの。でも今はお母さんの服がどうなっているかを全然気にしていない」と娘は言いました。
娘は市役所に勤めていて、同僚たちはみな良いものを身にまとっています。その日、私はカシミヤのコートにマフラー、普通の靴を履いていました。娘の家に来た時、これからよく病院に通うと考えて、私は良い服を持ってきていませんでした。
またある日、娘はソファーに座り、台所で忙しく家事をしている私を見て、「お母さん、ありがとうね、この病気のせいでお母さんに苦労をかけたね」と言いました。私は「お母さんは修煉して健康な体を持ち看病ができるの、感謝するなら師父に感謝しなさい」と言うと娘は、「お母さん、昔の私なら、人の苦労が全然分からなかったけれど、今は他の人のことを考えられるようになった」と言いました。それを聞いてホッとして、「あなたは、修煉して心性を向上させているのよ」と言いました。
ふだん、私が『轉法輪』を読み上げるとき、娘は聞きます。また、娘は師父の説法を3回も聞いて、第一功法も覚えました。発病して5カ月後、娘は自力で通勤できるようになりました。医学的には説明のつかない奇跡です。
夫の職場では県外を出る移動を禁じているため、夫は娘の家に来ることができなくて、ずっと地元に残って仕事をしています。学法と煉功に使いたいため、私は夫にタブレットを送ってもらいました。以前なら、主人はきっと送ってくれなかったでしょう。私の代わりに家に祀っている師父の肖像画の前に果物を供えてほしいと頼んだら、夫は「言われなくても分かっている」と答えました。娘が学法してから回復したことを知っており、夫も法輪功に対する態度を変えました。師父、本当にありがとうございました。