文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年12月20日】私が初めて法を暗記したのは、小学校を卒業した後の夏休みです。その頃、休みになると修煉が緩んだので、母に勧められて法を暗記し始めました。当時、母は私にスビードを求めなかったのですが、私は自然なスピードで緊張せずに一日に10ページを暗記することができました。こうして、一カ月ほどで『轉法輪』を全部暗記できました。
中学生になると宿題が増え、私の学法時間は少なくなりました。特に中学3年生の時、自分は疲れていないにもかかわらず、毎日やることが多く学法の時間が少ないため、母と私はとても不安でした。ようやく中間テストが終わると、貴重な休みを利用して2回目の暗記を始めました。
前回の経験があるので、今回の暗記も前回のようにスムーズに、同じスピードで暗記できるはずだと思っていました。私はこのような気持ちで暗記を始めました。
しかし始めたとたん、くしゃみや鼻水が止まらず、暗記できませんでした。とても辛かったです。すぐに私と母はこれは魔による妨害と考え、他の空間の邪霊要素を取り除くよう、一緒に正念を発しました。しばらくすると、私はだいぶ楽になりました。
暗記を続け、最初の2日間はそれでも1日に10ページ暗記していたので良かったのですが、少し骨が折れると感じていました。
3日目の朝、別の用事で少し時間がかかりました。帰ってから暗記を始めましたが、私は突然暗記の効果がよくないと感じ、一つ一つの文を何度も読んでみました。しかし、覚えることができません。午後はもっと暗記して、午前の分を補いたいと思いました。
しかし、午後も依然として4ページしか暗記できません。頭の中にずっと「向上」の2文字が飛び出してきており、これは師父が「向上すべき時だ」と悟らせて下さっていると分かりました。これまで学校の勉強が忙しくて学法を減らした結果、多くのものを失いました。今、私は自分で向上しなければなりません!
悟った後、私は心を静めました。法の暗記に速度を求めずに質を確保し、心から暗記しなければなりません。私は今回暗記を始めるとき、いつも前回の一日10ページの暗記を念頭に置いており、少し自慢していました。これは歓喜心の働きではないでしょうか。
また、暗記する時はいつも、早く暗記が終われば、その後はリラックスできると思っていました。これは安逸心であり、法への不敬ではないでしょうか? 私は法を暗記することの厳粛さを理解し、正念を発し、自分の思考のすべての悪い要素を取り除きました。そして師父に自分の間違いを認め、一心不乱に法を暗記できるように加持してくださるようお願いしました。
その瞬間、私は体がかなり楽になって、頭の雑念が消え、心静かで無為だと感じました。更に暗記していくと、法理が私に広がってきて、とても暗記しにくい部分がまさに向上すべき部分だと分かりました。私は、この一段落の法を繰り返し、完全に覚えるまで暗記しました。こうして私は、ようやく法の暗記の素晴らしさが分かるようになりました。
法の暗記も高校の授業の予習もしなければならなくて一日がとても忙しいときも、師父の詩句「苦を嘗めるをもって楽とす」[1]を思い出すと、すぐに苦を感じなくなりました。
このように状態が調整できると、毎日やることがいっぱいあるにもかかわらず、法の暗記の効果が素晴らしく、毎日がとても充実していると感じています。
法に浸る感じがいいですね!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」