文/上海市の大法弟子
【明慧日本2021年1月8日】数年前学法チームで、ある同修が私に「あなたには善の心がありません」と言いました。その時、私はそうは思っておらず、自分には善の心があると感じていました。その後ちょっとした出来事があり、はっきりと私を目覚めさせました。確かに善の心を修めることを重視すべきだと気づきました。
それは2年前のある初夏でした。私はバスに乗って娘の家へ向かいました。窓側の席に座っていたので太陽に照らされ、体がとても暑いと感じました。二駅過ぎて隣の人が下車すると、私はすぐに向かい側の席に座り、その後は太陽に照らされませんでした。この時、側に立っていたある年配の女性が、一輪車を引いて、奥の席へ歩きながら、何か言っていました。私は最初あまり気にしていなかったのですが、良く聴いてみると私のことを言っていました。「あなたはどうしてこんなに悪賢く、自分は奥の席に座らず、私を日に当たる席に座らせるのですか」。この言葉を聴いても、私は何も気にしませんでした。このような席を変える動作はずっと習慣化し、これまで良くない事であると考えたこともありませんでした。みんなも同じ事をしていたからです。
家に帰って、私は座っていた席を変えた事を思い出してみると、自分が確かに間違っていたと感じました。私は常人ではなく、修煉者なので、口では「無私無我で、自分よりも他人のことを優先する」とよく常に言っていましたが、実際に物事が起きた時、自分は言った通りに出来ていませんでした。他人のことを常に考えるのが、修煉者としての正しい行動です。自分は太陽に照らされてなにか支障がありますか? これは私の善の心、慈悲心がないことを証明しているのではありませんか? 慈悲心のある大法弟子が私のように行動するでしょうか? そう思うと、自分が行ったことは本当に恥ずかしいことだと思いました。これから如何なる小さな事でも、すべて自分の一思一念に注意しなければならず、常人の考え方を放棄しなければならないと私は密かに決心しました。
ある時、私は地下鉄で席に座っていると、側に立っていた女性が彼女の連れの人に対して、「あなただけでも座る席があれば良かったのに」と言いました。その連れは「少し我慢します」と言いました。私はこの会話を全部耳にしました。私は頭を上げてこの人を見ると、彼女は特に変わった様子は何もなく、私よりもずいぶん若い人でした。しかし、彼女が席を必要とするには必ず原因があると思い、私は直ちに立ち上がって、彼女に席を譲りました。彼女は恥ずかしそうにひたすら私にお礼を言いました。隣の女性は彼女のお姉さんで、彼女の妹は2カ月前に膝関節の手術をして、今長時間立つことができないのだと私に説明しました。私は親身に彼女の病状を聞き、それから彼女に法輪功迫害の実態を伝えて、三退して平安を守ることを教えました。彼女はとても喜んで承諾しました。地下鉄には人が沢山いたため、私は彼女に伝えた話をお姉さんにも教えるように伝えると、彼女は承諾してくれました。ただ彼女のお姉さんに三退をしてあげることが出来ませんでした。「私がしたことは不十分だった」と感じました。
またある時、地下鉄の中での出来事でした。私の前に立っていた女性は、見た目は私とほぼ同じぐらいでしたが、精神的に良くなさそうだったため、私は立ち上がって座席を彼女に譲りました。彼女は「私は確かにとても疲れており、2カ月前に癌の手術をして、また化学療法をし、体に対する損傷はとても大きく、今日は病院へ再検査をしに行きます」と言いました。私はチャンスを逃がさず彼女に真相を伝えました。彼女はキリストを信じていると言いました。私は、「キリストは偉大な神であり、あなたが神を信じることで、神もあなたを保護すると信じていますが、あなたは無神論の団体に参加しており、それでは神の意図に背いていませんか? ただ共産党、共産主義共青団、共産主義少年先鋒隊から脱退することで、ようやく真に神の保護を得ることができます」と彼女に説明しました。法輪功迫害の実態を簡単に説明しました。彼女はまじめに聴いてくれて、私の考えた彼女に付けた仮名を受け入れ、またも一人の生命が救われました。
以上の三つの事は私にいろいろ悟らせてくれました。私はただ善意で座席を譲っただけでしたが、常人がすでに善のエネルギーを感じ、それから大法の法輪功迫害の実態を伝えることは、時機が熟すればことは自然に成就すると言います。考えてみれば、1回目に私に太陽に照らされたと言った彼女がもし、私が大法を修煉している事を知っていれば、彼女は大法に対してどんなマイナスの影響を持つでしょうか? このように、修煉には些細な事はなく、大法弟子の言動、一挙一動は常人に大きく影響します。