文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年1月11日】私たちの修煉環境がリラックスしたものになると、苦難が見えにくくなることがあります。そして、快適さや一般社会の誘惑に執着するようになるかもしれません。このような執着は、私たちの神性を遠ざけ、修煉に励む妨げとなります。
生活が快適であればあるほど、修煉に励むことが難しくなります。さらに、三つのことをうまく行うのも難しくなります。どうしたら突破口が開けるのでしょうか。
法輪功迫害の事実を語る際に異論がない場合、代わりに「私の信念を尊重してください、これは聞きたくありません」、「このCDは受け取れません、あなたに返します」、「私たちは信念が違います」と聞こえるのです。 このように、すべての切り口をふさがれたような状態で、話題も見つからないことが多くなりました。しかし、人は私の一挙手一投足まで見ています、私の言動の一つ一つが法輪功の一部を代表しているためです。
結局、自分の環境が快適すぎたのだと気づきました。法を熱心に学ぶうちに、常人と修煉者の違いは、他人のために考えているか、自分のために考えているかによることが分かってきました。私達は人を救う心がある限り、法輪功迫害の事実を伝える方法を探すべきです。私は今、ここで修煉者としての信念を貫いているのです。
私は次第に、法の勉強や功を煉る最中に半分眠くなるようになりました。寝坊して朝の煉功に間に合わないこともありました。師父の指示を聞き逃すと、すべての動作が終わらないので、五つの練功動作をきちんとこなすこともできませんでした。私は、快適さへの執着が邪魔をしているのだと気づきました。
師父と大法に啓発された私は、煉功の時間を延ばし、第二式の功法を1時間バージョンで行い、睡眠時間を減らしました。3日後、私は少し改善されたのを感じました。
さらに私は、煉功場所をベッドから部屋に移し、最終的にはベランダに移しました。ふと気がつくと、屋外で煉功しているのです。朝の空気を吸いながら、爽やかな気分になりました。背筋を伸ばして、正しく動作ができるようになりました。気分も良くなり、快適さに執着する前の自分の修煉状態になったような気がしました。
寒くなるにつれて、手が凍りつくなど、動作をする上で困難が生じました。1999年以前のように、屋外で修煉者たちと朝の煉功をするときに戻ったような気がしました。氷や雪の上で禅を坐禅を組んだことを思い出し、寒い中でも功を煉ることを続けようという気持ちになりました。
そして、部屋の暖房を消すことにしました。少し寒いけれども、法を勉強していると眠くならないのです。
このようなことを繰り返しているうちに、私は次第に、勤勉さは生活のあらゆる面に反映されることが分かってきました。私達はこの決意さえあれば、できるのです。