文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年2月8日】私は1996年に法輪大法を修煉し始めました。 当時、私は30歳でした。 職場が主な修煉場所でした。 修煉を始めてからは、普段の仕事でも大法の真・善・忍の原則に従って行動し、物事を行うように自分を律しています。
一、真に従って物事を行い、予期せぬ良い結果をもたらす
あるとき、職場が使用済み品を処分することになりました。マネージャーから、インターネットを通じた買い手の募集を命じられました。 当時はWeChatを使っていなかったのですが、ネットで広告を出すために使う必要がありました。 そこでマネージャーに話して、他の同僚に仕事を頼めないかと聞きました。 数日後、マネージャーが「他の人に頼んだらうまくいかなかった」と言いました。 そして「ネットで募集しても誰も反応してくれないという報告書を書けばいいじゃないか 」と言われました。 それを聞いた私は「私は修煉者なのだから、真・善・忍の原則に従って自分を導かなければならない、嘘をついてはいけない」と思い、返事をしませんでした。
そこで私は、別の方法、つまり銀行のカードを紐付けすることで買い手を探す広告を出しました。
驚いたことに、数日前から電話や来客が続き、興味を持った人が値段を提示してくれました。 あるバイヤーが非常に高い値段を提示してきたので、好意から「値段は確かですか、よく検討してください」と2度ほど念を押しました。その度に彼は「はい」と肯定的な返事をしました。このバイヤーとの間で、ようやく取引が成立しました。 彼が提示した金額は、マネージャーの期待値の5倍以上だったのです。
二、世の中の流れに身を任さず
安全性は企業にとって重要であり、会社の社員の一部は安全教育やトレーニングの試験を受け、合格しています。 試験合格者には、3年ごとの再教育が義務づけられています。 今年はウイルス感染の影響もあり、安全再教育のための研修は自習とし、試験はパソコンのカメラを起動し、各受講生が一人で試験用紙を仕上げるオンラインテストを受けることになりました。
現代社会では、物事の善悪や美醜、あるいは白黒の区別がつかなくなりました。 試験に合格するために、人々はカメラを避ける為に細工をするのです。 ノートパソコンにモニターを取り付け、モニターの向こうに、試験の回答を手伝う人を使ったり、あるいはその人に直接マウスを移したりして不正を働きます。 試験前、みんなは機材の準備に追われ、私はいただいた参考資料の勉強に追われました。 ある日、試験を受けない同僚が事務所にやってきて、いつもより人が多いのを見て、「みんなは何に追われているんだろう?」「受験だよ」という声が上がると同時に、ある同僚は「私は詐欺師だ」とあっけらかんと言いました。 淡々と、まるで誇らしげに言ったのでした。 その同僚は、胸にひときわ目立つ中国共産党を象徴するエンブレムをつけていました。
三、自分より他人を大切にする
ある年、上級の昇進試験があり、関係者が集中的に勉強していました。 英語の試験前には通常、試験の成績が良くなると考えて、より多くの単語を覚えたいと思うものです。 当時は私も同じ考えでした。 試験の前日、同僚が私の読んでいた英単語集を借りに来ました。 自分は修煉者なのだから、もっと人に優しく、人のことを考えなければならないと思ったので彼女に貸し、自分は別の本を読むことにしました。
驚いたことに、翌日のテストの問題のいくつかは、たまたま前日に読んだものと同じだったのです。 私は合格しましたが、私の単語集を借りた同僚は不合格でした。
四、トラブルの中で自分を修める
一度、会社のパソコンの清掃作業を外部スタッフに依頼することになりましたが、まさかサーバーが突然動かなくなるとは思いもしませんでした。 財務管理に欠かせない重要な設備なので、事業部長がやってきて、嫌なことを言いながらキレていました。 これは私の管轄の仕事ではないので、侮辱に耐えながら、外部スタッフと一緒に原因を探っていきました。 今回の心性関自体は、あまり心穏やかなものではなく、内心に不平不満を感じました。 師父が「『忍』は非常に強いものであり、「真」と「善」を超えています。修煉の全過程を通してあなたは忍耐しなければならず、心性を守って、妄りに行動してはなりません」[1] と話されました。 後になって、遭遇したときに我慢しなければならないと認識できましたが、まだまだ心が動じない境地に到達するまでにはほど遠いです。今後、確実な修煉の中で益々その目標に到達させていきたいと考えています。
師父の慈悲なる救い済度に感謝を申し上げます。 法輪大法は素晴らしいものであり、すべてのご縁のある人々が法を得てその恩恵を受けることができますように。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第3章:心性を修煉する」