文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年3月12日】私は年配の修煉者で、のんびりとした性格です。これまでの修煉にあまり精進していませんでした。少し前のチーム学法で、煉功について交流した時、私は五式の功法を数日間かけて練っていると言いました。 それを聞いて、ある同修は、「毎日五式の功法を一気に行う同修が大勢いるのに、こんな最後の時期に、あなたはまだのろのろしているの? 自分の顔色を見てください。とても悪いですよ! なぜこれについて考えもしなかったのですか」と厳しく指摘してくれました。
それまで、私の修煉状態はあまり良くなく、目は辛くて痛いし、頭が時々ぼんやりして、頭痛がし、さらにひどい時には、一瞬意識を失いそうな時もありました。内に向けて探しましたが、ずっと見つかりませんでした。同修の指摘を聞いて、本当に嫌な気持ちになりました。それでも我慢して、正念をもって心を落ち着かせることができました。考えてみれば、同修が言ったことは正しかったのです。師父が同修の口を借りて私を悟らせてくださったのでしょう。
家に帰って、早速翌日から朝3時過ぎに起き、2時間半かけて五式の功法を一通り完成するようにしました。煉功が終わり、ちょうど6時に正念を発しました。眠気や疲れを感じないだけでなく、長い間解決できなかった頭のぼんやりとした状態も消えました。顔も赤みがさしてつやつやしています。修煉の道には本当に偶然なことはありません。
また、私はずっと結跏趺坐ができなかったので、いつも半跏趺坐のままでした。ある日、あまり馴染みのない年配の同修の家に行きました。発正念のとき、いつものように半跏趺坐をして、その同修に見られてしまいました。同修は「何年修煉してきたの? 長年修煉している人であなたのような状態の人はいませんよ。これでも修煉者と言えるの?」とずばり言いました。お互いのことをあまり知らない上、はじめてこのような場面に遭遇しました。当時の心性は今ほど高くはなかったので、言い返したかったのですが、何と言ったらいいか分からず、言葉を失いました。しかし、心の中では大変恥ずかしい思いをしました。
このことで2日間混乱し、なかなか落ち着くことができませんでした。しかし最後に、「同修はきつく言ったけれど、それは私自身のためであり、私自身を向上させてくれたので、同修に感謝すべきなのだ」と悟りました。
その時から結跏趺坐を始め、激痛に耐えながら最初の20分から、30分、40分、そして今は70分、80分まで坐禅できるようになりました。自分に厳しく要求し、根気よくやれば、自分も徐々にできるようになると実感しました。師父は、「法はわたしに言わせれば、本当に修煉しようとする人にとって、非常に易しいもので、高くて届かないようなものではありません」[1]と説かれています。
長年来、修煉がよくできた面があるとすれば、同修からの批判に直面したとき、それが正しいかどうかは別にして、争わずに静かに聞くことができたことです。たとえ不快であっても、ひいては激しくもがき苦しんだとしても、結局は法理に基づいて悟り、考え抜いて納得することができました。
現在、私の強化すべき点は学法と煉功、発正念をしっかり行うことです。普段、様々な厄介なことが起こります。私たちの功は普段の自分にかかっていると思います。普段、自分に対して厳しく要求し、常に自分の主意識が執着しているかどうか、正念が強いかどうか、妨害はないか、妨害の原因は何かなどを注意する必要があります。すべての面において、大法の要求に従って行うべきです。
普段の修煉では、暴風や高波に遭遇したことはありませんが、よくつまずいたり転んだりして、あれこれの妨害や阻む要素があります。すべての行動において大法の要求に達するために、自分に厳しくなければなりません。もちろん、法理が明確であることが大前提です。邪に悟ったり、道に外れたりしないように気をつけるべきです。
師父はこのように説かれています。「したがって、今後煉功する際、さまざまな魔難に遭うでしょう。それらの魔難がなければ、修煉がどうやってできるでしょうか? 誰もが和気藹々としており、利益についての衝突や心が乱されることもなく、ただそこに坐っているだけで、心性が高まることになるでしょうか? そんなことはまずありえません」[1]。このことから、転んで痛みを感じることで、自分のどこが間違っていたのか、そして、それをどう修正すべきかが分かると気づきました。
修煉の道に小さなことはなく、正しく判断し、強固な意志を堅持し続けることが大切です。師父は「迷いのまっただ中で、悟りに頼って元へ戻るよう修煉することは実に苦しみが多いのですが、戻ることもそれだけ速いのです」[1]と説かれています。もし私たちが師と法を信じ、師父が説かれたことを100%行えば、修煉はそれほど苦しくないでしょう。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』