文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年3月30日】先日、ある同修が病業を乗り越えるための手伝いに参加しました。その数日間の体験を文章にして同修の皆さんと共有したいと思います、法に則っていないところがあれば、同修のご指摘をお願いします。
病業の同修・Aさんのために、長時間、集団で発正念をすることに参加したのは初めてです。夜10時頃にAさんの痛みが激しくなり、身内ではない私たち2人を除いて、その場にいた同修はみんなAさんの身内で、少し動揺していました。その時、私の心は非常に落ち着いており「Aさんのすべては師父でしか決めることができず、自分のやるべきことをしっかりとやります」という一念だけを持ち続けました。その場にいる同修に影響されることなく、発正念の掌をしっかりと立てて深く入定し「邪悪が消滅されない限り、正念をやめません」と思いました。一時的に戸惑った同修たちは、全員再び座り正念を発しました。2時間以上が経過して、Aさんは安定したので、皆が解散しました。
その後、同修から「あの時の、あなたの正念はとても強かったです」と言われましたが、それは自分の普段の修煉ができているわけでもなく、師父の強大なご加持のおかげで、当時の正念を守り続けたのだと思いました。その後、同修はその当時の過程を振り返る度に、必ずその時の私の様子を提起します。それを聞いて、私は「顕示心や歓喜心を生じてはいけない」と、何度も自分に言い聞かせました。
以前、他の都市の同修と交流したことがあり、そこの同修から修煉体験や法に対する理解、心性を向上させる過程などを聞き、自分の心性を向上させる上でとても役に立ちました。ですから、私も時々それらの経験談を周りの同修たちに話し、ここの同修たちにも参考にしてもらい、全体の向上にも繋がると思いました。
なぜだか分かりませんが、その後の数日間は発正念の状態が悪くて、足の激しい痛みで、15分間も組めなくなり、考えも集中できませんでした。幸いなことに、その数日間ずっと多く学法や、発正念をしていました。
ある日、発正念が終わってから引き続き学法をし、本を開くと、最初に自分が読んだのは「顕示心理」の段落でした。その時、心が一瞬固まったのですが、あまり考えずに法を学び続けました。学法が終わって、私は「顕示心がありますか?」と自分に聞きました。自分はいつも自分に対して注意を促しているのではありませんか。しかし、もっと深く探してみると、この「顕示心」があまりにも深く隠されていることに驚きました。この「顕示心」は、狡猾かつ陰湿で、自分の生命の非常にミクロな部分に潜んでいて、簡単には発見できないのです。 特に同修と心性交流をするとき、その目的は純粋でも、その話しぶりや表情に影響されることがあります。自分の何かを顕示しているような印象を相手に与えてしまい、交流の効果が薄れ、同修に抵抗する心を生じさせやすくなります。 この「顕示心理」の危害は本当に大きいのです。悟ったあと、私は心の中で「顕示心を滅しよう!」と強い一念を発しました。その後、1時間の結跏趺坐と、30分の半結跏趺坐をして発正念を続けても痛みがなく、体も軽く感じて、考えも集中することができました。
その日、自分の「焦る心と安逸心」も見つかり、心身とも大きく変化しました。
師父は「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります」 [1]と説かれています。
師父が説かれたこの段落の説法を、私は以前より深く理解することができました。師父の教え「内に向けて探し」の玄妙さも実感できました。その数日間の体験を通じて、今後も、着実に修煉する決意をさらに固めました。
この法が正される最終段階において、弟子が師父の慈悲深い救い済度に応えるには、時間を無駄せずに三つのことをしっかりと行うしかありません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』