【明慧日本2022年4月15日】私の名前は喬喬(キョウキョウ)です。11歳で小学校4年生です。修煉を始める前の私は多くの病気があって、咳をしだしたら止まらず、喉が乾燥して痛くなり、夜中に咳で目が覚めることもよくありました。家には咳止めシロップが常備薬として常に十数瓶ほど置いてあって、毎日学校へ行く時も持って行きました。
6月1日、子どもの日の遠足の時、先生は食べ物や飲み物を持って行ってもいいと言いましたが、私は用意するのを忘れました。クラスメイトたちがおいしそうに食べているのを見ながら、私は立ちすくむしかありませんでした。ランドセルに手を入れると、薬の瓶に触れたので、私はそれを取り出して飲みました。同級生に「おいしいの?」と聞かれて、私は「うん」と答えるしかありませんでした。薬は甘かったのですが、心は苦しかったです。
また、私はよく風邪をひいて熱を出していました。ある日、母が買ってきてくれた薬は苦いと思い、飲むのを嫌がりましたが、母は必ず飲まなければいけないと言いました。仕方なく、私は鼻をつまんで、母がスプーンで口に入れてくれる薬を飲みましたが、途中で何度も吐き出しました。
私はよく薬を隠していましたが、いつも母に見つけられて飲まされました。1996年の年末に法輪大法を修煉してから全ての病気が消えて、私はとても健康になり、母に薬を飲まされることもなくなりました。
1997年3月5日、私は天目が開き、最初は白と黒の八卦図が見え、続いてすべての法輪バッジが回転しているのが見えました。3月8日、師父の法身が見えて、しかも2人おられ、会話しているようでした。3月12日、6人のとてもわんぱくな嬰孩が見えました。8月4日に『轉法輪』を読んでいたとき、中の文字が金色の光を放っているのが見えました。
ある夜、私は師父に連れられて、地面も壁も金色で、緑の葉っぱや色とりどりの花がある場所に行った夢を見ました。
金色の池から、青と白のしま模様の水が柱のようにわき上がっていて、陶器でできたような白い鯉もありました。
師父は金色の煉功服を着ておられ、私は普通の服を着ていました。師父は優しく話しかけて下さっているのに、私は何も聞こえず、私はまるでそこにはおらず、外にいるような感覚でした。そして、師父と私を隔てる大きくて透明なカバーが存在しているようでした。
目が覚めた時、「なぜ師父のお話が聞こえなかったのだろうか?」とずっと不思議に思っていました。母に聞いてみると、母は「師父と話しているのはあなたではないのよ。あなたは外にいるので、見ることができても聞くことはできなかったのね。しっかり修めれば、師父は常に加護して下さるのよ」と言ってくれました。
修煉を始める前の私は幼かったにもかかわらず、嫉妬深くて、顕示心と闘争心も非常に強かったのです。ある時、学校でクラスのリーダーを選ぶことになって、先生の注目を引いて選ばれるように、私は背筋を伸ばして座っていました。でも、私の反対側に座っていて、背筋を伸ばしていなかった女の子がリーダーに選ばれたのです。嫉妬のあまり、私は事あるごとに彼女と対立し、彼女の欠点を見つけて引きずり下ろし、自分が代わりにリーダーになろうとしていました。
今になって考えてみると、自分は修煉者なので、もうそんなことで人と争ってはいけません。学生として、私は知識を学ぶために来ているのであって、地位を争うためではありません。それに、リーダーは皆に奉仕するための仕事で、誰がやってもよく、人より自分のほうが良くできるとも限りません。真心から大法を学んでいる人なら、名利を重んじるはずはありません。いつでもどこでも人のために考えることができて、初めて「真・善・忍」の要求に符合していると言えます。
「真・善・忍」の基準に符合している人々は、みな善良な人です。法輪大法は人々を善に導く良い功法であり、江沢民が好き勝手に禁止していいものではありません。良い功法であれば、間違いなく永遠に人々の心に根付くでしょう。中国の警察のおじさんやおばさん達に一言いいたいと思います。どうか法輪大法の修煉者を殴るのをやめて下さい。彼らはみな良い人です。「善悪には報いがある」と言われるように、おじさんおばさん達のために呼びかけます。