【明慧日本2022年4月23日】湖北省武漢市江岸区の法輪功学習者・朱光栄さんは3月9日、2年6カ月の不当懲役を終えたが、いまだに家に帰れていない。
朱光栄さん(72)は2019年9月、法輪功迫害の実態を伝える資料を配布中に警察に連行された。 その後、裁判所から懲役2年6カ月の不当な判決を言い渡され、今年3月9日に刑期を終えた。しかし刑期を終えた日に家族が武漢女子刑務所に朱さんを迎えに行ったが、彼女と会うことはできなかった。 警官らは、朱光栄さんをまた3カ月間洗脳班に入れると言い、家族には朱さんの所在を教えなかったという。
朱光栄さんが受けた迫害の実態
1999年7月、江沢民は法輪功学習者に対する残酷な迫害を始めた。朱光栄さんも連行、家宅捜索、監視、不当拘束、労働による再教育、不当な判決などの迫害を受けた。彼女が受けた迫害の概要は以下である。
2000年1月28日、朱さんは法輪功迫害の実態を訴えるために、同修たちと一緒に北京へ向かったが、駅で610警官らに止められ、上海街派出所に連行され、不当に拘束された。
2000年の元宵節の後、上海街派出所の警官ら数人は朱さんの家を訪れ、「話があるので、派出所に来るように」と言った。警官らは朱さんを騙して派出所に行かせ、手錠をかけ、翌朝、宝豊路刑務所に連れて行き、1カ月間不当に拘束した。朱さんは長い間、法を学ぶことや煉功することができず、急に目が痛くなり、よく見えなくなってしまった。その後、 朱さんは江岸区の洗脳班に移され、迫害を加えられた。1カ月間刑務所で拘束されたあと、家族が保証金を支払い、彼女は家に戻った。
2000年11月、朱さんは同修の家を訪問したところ、同修の家に侵入してきた西馬街派出所の警官らに連行され、一年間不当に拘禁された。この間、朱さんの左目は完全に見えなくなり、右目の視力も低下してぼんやりしていた。朱さんは煉功をしたため、1週間手錠をかけられたまま鉄格子に吊るされ、トイレに行くのも許されなかった。朱さんはハンガーストライキを行い、強制的に灌食された。その後、朱さんは何湾労働収容所に移されたが、毎日何人かが来て「法輪功の修煉を放棄する」声明を出すことを強要し、その声明を出すまで釈放されなかった。
拷問の再現:野蛮に灌食される |
2003年、地元の610弁公室の人員らは揚子江町内役人に朱さんを連行するよう3回も指示し、毎回3カ月間、朱さんを洗脳班に連れて行って迫害した。 最初は2003年1月、610弁公室の人員らは朱さんを車に押し込むよう朱さんの家族に強要し、江岸区の洗脳班に連行して迫害した。 二回目は2000年5月、610弁公室の人員らと揚子江町内役人、洗脳班の人員が朱さんの家に押し入り、無理やり朱さんを車に引きずり込み、江岸区の洗脳班に連れて行って迫害した。三回目は2000年9月、天津路と揚子江の町内役人2人が朱さんの家に押し入り、朱さんを階下に呼び出して話をした結果、また駆け付けた数人に江岸区の諶家矶洗脳班に強制的に連行された。 洗脳班では毎日、法輪功を誹謗中傷するような文章を読まされ、書かされた。
2011年6月20日、武漢市江岸区の610弁公室の幹部・胡紹斌は、上海街派出所の警官ら、町内会、610の人員らなど電気バットで武装した20人以上のチームを率いて朱さんの自宅へ行った。そして、朱さんを連行しようとした。朱さんはドアを開けずに彼らに迫害の真相を伝えた。警官らはドアを壊して中に入ろうとしたが、朱さんの親族に止められ、朱さんの自宅の付近で一晩朱さんが出るのを待った。その間、朱さんは塀を越えて脱出した。翌日、警官らは朱さんの家族に無理やりドアを開けさせ、家の中に侵入して家宅捜索をした。彼らは朱さんの行方を追うために毎日朱さんの家族を尾行し、朱さんの家族に大きな精神的なストレスと苦痛を与えた。朱さんの家族は常に朱さんの安否を心配し、一日中ずっと緊張した状態で過ごした。
2019年9月10日午前、武漢市江岸区の法輪功学習者・傅攸生さんが漢陽駅で法輪功迫害の実態を伝える資料を配っていた。私服の警官に資料を渡したところ、警官は傅攸生さんを漢陽駅派出所に連行した。これを知った朱さんは、漢陽駅派出所に駆けつけ、傅攸生さんを釈放するよう説得しようとしたが、彼女も警官らに連行されてしまった。当日の昼、傅攸生さん、朱さんは2人とも不当に家宅捜索され、その夜、2人は武漢市第一拘置所に連行された。その後、朱さんは地方裁判所で2年6カ月の不当な懲役を言い渡された。