文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年4月27日】私は今年65歳で、1996年から法輪大法を学び始めました。大法を学び始めた当初から、『轉法輪』を暗唱したいという気持ちがありました。しかし、何講か暗唱してみましたが、とても難しいと感じ、後の部分を覚えると、前の部分を忘れたりして、なかなか覚えられないので、やめました。数年後、また暗記しようと思ったのですが、数講まで暗唱し、「やはり通読した方が早い」と思い、また、やめました。 このようにして十数年も過ぎ去ってしまいました。
近年、私の住む地区で多くの同修は法を暗唱しています。ある同修は私に法の暗唱をするようにと勧めてくれました。私は「数回試してみましたが、難しくて途中でやめました」と話すと、同修は「覚えようとする気持ちがあればきっとできます。師父がきっと加持してくださいますよ。Aさんは『轉法輪』だけではなく、『精進要旨』3冊も覚えるようになりました。Aさんは今、師父の『各地での説法』を暗唱していますよ。私たちはAさんとの差が大きいですね」と話しました。
同修からそう言われると恥ずかしくなり、うなずきながら、「はい、暗唱してみます」と言いました。しかし、同修は、「あなたの決意が足りないと感じています。こんなに良い大法は暗唱してみるだけではなく、必ず覚えて、心に刻んでおきましょうね」と言って、立ち去りました。
「同修の話は正しい。確かにこんな良い大法は覚えて心に刻むべきだ。同じ師父の弟子で、同じ大法を学んでいるので、他の弟子が法を暗唱できたのに、なぜ、自分はできないのか? 難しいという考えが壁になっているのだ。その壁を乗り越えようとしていないではないか? その壁を押し倒さなければならない」と思いました。そして、大法の本を手に取り、師父の写真に向かって、「師父、弟子は絶対、一文字も間違いないように『轉法輪』を覚えます。ご加持お願いします」と話しかけました。この念が出た直後、難しいという物質が無くなったと感じ、確実に自分の体のミクロ的な部分から、法の暗唱を阻むものがないと感じました。
それから、私は『轉法輪』を一行よく覚えてから、次の一行を暗唱し、一行ずつ覚えていくことにしました。それから、段落を全部まとめて暗記しました。『轉法輪』を全部暗記するまでどのくらいかかったか覚えていませんが、2回目に暗唱し始めると、すでに暗記していた内容をほとんど忘れていることに気づきました。しかし、私は落ち込むことなく、「必ず『轉法輪』を暗記する!」という一心でやっていました。1回目と同じやり方で暗唱し、2回目は数カ月で暗唱し終えました。3回目の暗記の時は、焦らず1段落ずつ暗記しました。心が平静であればあるほど、暗記が早く進むことができました。
3回目の暗唱が終わって、4回目の暗唱になると、何の阻む力もなくなり、各段落をほぼ1~2回を読んですぐ覚えるようになり、暗唱すればするほどスピードが上がっていきました。それはきっと、師父が法を覚えたいという私の心を見て、加持してくださったのだと思います。段落を1つずつ繋いで暗記し、次にタイトルごとに暗記しました。現在、同修と一緒に1講ずつ暗記することにしています。スピードを追求せず、できるだけゆっくりと、法の一字一句が頭に浮かぶように、敬虔な心で暗記しています。
法の暗唱によって、知らず知らずに心性を昇華することができました。私は20年以上修煉していますが、姑(同修)への恨みが完全に消えたことはなく、姑に対し「修煉者に見えない、心性が低すぎる」などと思っていました。姑とトラブルがあって、関を載り越えられないとき、同修に相談しました。同修は「こんな多くの修煉者がいるのだから、それぞれ次元のレベルが違います。だから、姑さんとは同じ次元にいないかもしれません。姑さんと同じように物事を対処すれば、同じ次元になるではありませんか」と言われました。「確かにそうです。私は修煉者で、執着心を手放さないといけない」と思いました。しかし、しばらくたつとまた、姑が以前やったことが頭の中で蘇って、映画のように流れて、抑えようとしても抑えきれませんでした。そのように繰り返しして、本当に悩みました。
ある日、法を暗記し終えて、突然、「長年来、いつも外に向かって探していて、自分の内に1回も向けて探していない」という考えが現れました。それで私はすぐ、「そうだ。この20数年来、姑の欠点ばかりを見てきたが、冷静になって自分の内に向けて探さず、自分を修めなかった。姑を鏡にして自分を見つめるということをしたことがなかった」と、気がづいたのです。 あの日、私は座禅しているとき、目の前に古代のような小さな鏡が現れました。「それは師父が私に自分を探す(見つめる)ようにと啓発してくださったのだ」と、思った途端に体が楽になり、あの恨みの物質がなくなったような気がしました。
それから、姑のしたことを思い出すとき、「 姑は長年にわたり、私に夫への情や嫉妬心、利益心、虚栄心、傲慢な心、不平不満、恨み、面子、安逸心など、それらの執着心を取り除くためだった」と、認識が変わるようになりました。その後、姑のことを「法を堅く信じて、苦を恐れず、恐怖心があまりない。80代になっているのに、毎日1人で出かけて大法の真相を伝え、『三退』を勧め、人を救うことをやっている。3回も血を吐いたのに正念で乗り越えた」と思うと、「すごい姑だな」と思うようになりました。
法の暗唱で、私は「『轉法輪』を暗唱するだけではなく、確実に自分を修煉しなければならない」と認識しました。法の中で、自分の一つの考え、一言一行を正すべきです。新しい宇宙の大覚者の境地に到達するまで、勇猛邁進していきます。