文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2022年5月2日】ある日の夕方、私は近所の家に粟(アワ)を取りに行きました。この家は大きな犬を飼っていて、非常に凶暴で、いつも庭に繋がれていました。誰かが彼女の家に行く時、飼い主が出てこなければ彼女の家に入ろうとするなどとんでもないことでした。人を噛まなければ庭の木の棒をガリガリと噛んでクズにし、その姿勢は人を噛んで粉砕してやりたい、人を生きたまま飲み込んでやろうというほど強力なものでした! 彼女の犬は本当に凶暴で有名でした! その日私は彼女の家に行って、直接ドアを押して彼女の家に入った時、部屋にいた2人(その中の1人も近所の人)は、私を見て非常に興奮して、真っ青になり慌てて私に「どうやって入ったの?!」と聞きました。私はこの時彼女の家の凶暴な犬を思い出しました。そうです、なぜ犬の声が聞こえなかったのでしょう! 私はなぜ彼女の家のドアを直接押して彼女の家の中庭まで入って、部屋にまで入れたのでしょうか?
私はその時、その犬を恐れる観念も無く、師父が私を守って下さったのです。
このことは、私にあることを連想をさせました。私達が真相を伝える時、人の観念(相手が聞きたいかどうか? 私を罵り通報しないだろうか? などなど)が無ければ、慈悲心を抱いて、世人を救う心をもっていれば、效果は必ず良くなるはずです。反対に、もし心が静かでなく、ためらったりするとき、容易に妨害され、相手に受け入れられなくなります。そうすると、人を救えないだけではなく、人に業力を作らせてしまいます。
例を挙げると、ある日、人に三退を勧めたり「共産党についての九つの論評」を手渡したり、真相を伝えたりするために出掛け、野菜を売っている中年男性に出会いました。私は、まず彼の野菜を買って、心の中で、私は「共産党についての九つの論評」を彼に渡して真相を伝えようと思いましたが、心の中で少しためらいがあり「彼は受け入れるか? 彼に渡そうかどうしようか」と思いました。この時、私の人の観念がすでに主動作用を起こして、神の一念を抑制し始めました。それでも私はやはり彼に「お兄さん、あなたはとても善良に見えます。あなたに一冊の本を渡すので読んでみてください!」と言いました。彼は「何の本ですか?」と聞きました。私は「『共産党についての九つの論評』です」と答えました。彼は「あ!」と言って、「あんたは共産党に反対するのか!」と言いました。私は慌てて「共産党は一体どういうものかを見てみてください」と言いました。彼はまだ騒いでいて、私はすぐにその場を離れました。
その後、私は自分のどこが間違っていたのかを探しました。私は自分の心が純粋ではなく、穏やかでもなく、慈悲心が足りず、人間の否定的な観念が重すぎて神の一面を抑制し、神の一面が機能しなかったため、この生命は救われるチャンスを逃してしまったのだと悟りました。真相を良く伝えたいならば、必ず良く学法し、純粋な心と善良な心で衆生を救い済度しなければなりません。そうすれば予想外の効果が得られるのです。