文/中国遼寧省の大法弟子
【明慧日本2022年5月7日】1996年8月、私は幸運にも法輪大法の修煉をはじめ、大法の法光を浴びながら、心身ともに限りなく喜びを感じました。最も喜ばしいことは「私には師父がいらっしゃる! 私は修煉している!」ということでした。
師父は、宇宙の最高特性である真・善・忍に従って修煉するよう教えて下さいました。学法しながら、着実に修めるなか、少しでも法理を悟ったら、そのとおり実践し、同時に家族のみんなにもこの高徳な大法を伝えました。ここでいくつかの例をもって同修と交流したいと思います。
一、利益の心を修める
現代社会において人々は、物質的利益や金銭を非常に重くみていて、お金を稼ぐためなら手段を選びません。このような大きな染め物がめの中で汚染されて、私もその流れに身を任せ、道徳が低下していくことを意識できず、自分が悪いことをしたとは考えもしませんでした。
修煉をはじめる前、私の妹の子どもはまだ幼く、病気治療のため、注射したり、薬を飲んだりすることが多かったですが、その医療費を精算するところがなく、またかなりの費用でした。妹を助けるために、私は妹に「あなたの子供が医者に診てもらう時、私の娘の名前を書いておけば、私の夫の会社で経費精算できる」と言いました。それを聞いた妹はとても喜んで、よく自分の子どもの医療費の領収書を私に渡しました。私も喜んで夫の会社の経費で精算してもらいました。
法を得て、修煉してから、私は失と徳の関係について分かってきました。師父は次のように説かれました。「ところがこの宇宙には、『失わないものは得られず、得るためには失わねばならぬ』という理がありますから、失いたくなくても強制的に失わせられるのです。誰がこの役割を果たすのでしょうか? ほかでもない宇宙の特性がこの役割を果たします。ですから得ることばかり考えてはいけません」 [1]
大法の法理の理解の下で、修煉しない人にとって、これを利用することは大きな問題にはなりませんが、私は大法を修めているため、高い基準で、さらに高い基準で自分を律するべきだと感じました。ですから、会社に損をさせてはならないし、徳を損なうことをしてはならず、直ちに医療費の経費精算を止めなければなりません。
当時、私は法を得たばかりだったので、妹にどう伝えたらいいのか分からず、またしっかり説明できなければ、妹が理解できないことを心配していました。そこで私は夫に、「もう会社に妹の医療費の経費精算をしてはなりません。そんなことをしたら徳を失います。徳を積むのは容易いことではないし、徳を損なうようなことをしてはいけません」と伝えました。夫は「ならば彼女の医療費はどうするの?」と聞きました。私は、「そのお金は我々が立て替えましょう。私が説明しても理解できないだろうし、当分何も言わず、私たちが精算してあげましょう」と答えました。夫もすぐに納得し、「わかった」と言ってくれました。本当にとても嬉しかったです。それ以来、私はうちのお金で妹の医療費を精算してあげました。しばらくすると、妹もおかしいと思ったのか、私に精算を求めなくなりました。
夫は大法を修煉していませんが、とても優しい人で、文句を言わないでコツコツと働き、後になって生産現場の主任になりました。私は彼に、「会社の誰から贈り物をされても受け取らないでください、従業員とは優しく接するべきで、彼らは少ない収入で家族を養わなければならず、容易なことではないのです。従業員に親切にしてあげれば、あなたは福に報われます」と伝えました。彼は「善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある」という道理をとても信じています。会社のものに手を出すことはなく、欲を出すこともありません。
ある祝日に家族3人でバスに乗って姉の家に行きましたが、私たちは果物などお土産をたくさん持っていきました。夫の会社の女性従業員がそれをみて、夫に挨拶しながら、「リーダー、どうして奥さんと子供と出かける時タクシーに乗らないのですか?」と聞きました。夫は「バスに一度乗るだけだし、かなり便利だから、タクシーに乗らなくてもいいですよ」と答えました。彼女は「家族3人で出かけて、こんなにたくさん荷物を持って行く場合は、タクシーに乗り、会社に精算してもらうべきです」と言いました。夫は「できるだけ節約しなきゃ」と答えました。実は夫は一つのことが深く印象に残っていました。彼の前任の作業現場の主任はタクシー代として3,000元を会社の経費で精算したことがあったのです。
またある日のこと娘が父親にタクシーの領収書を渡し、「会社の経費で精算してもらって」と言いました。私は娘に「お父さんはこの待遇を受けていて、タクシー代は会社に精算してもらえるが、あなたと私にはこの待遇がなく、タクシーに乗ったら自分で払うのよ。お父さんに精算してもらってはいけない。あなたも大法の書籍も読んでいるので、自分を厳しく律するべきだ。あなたが修煉していない常人だからと言って、やりたいこと勝手にやってはならない。悪いことをすれば業を造るし、返さなければなりません」と伝え、また「これらのことがちっぽけなことだとは思わないでね。利益を重くみれば、私心や貪欲の念が生じ、将来修煉が難しくなります」と付け加えました。
師父は、「一人が煉功すれば、一家全員が受益すると私は言ったではありませんか?」[2]と説かれました。夫はこれについて身をもって体験しました。夫は勤務先で行われた健康診断ですべての数値が正常であり、健康体であることを確認しました。彼はいつも、「あなたがしっかり煉功すれば、私も恩恵を受ける」と言います。私が彼に師父は「『煉功するその人が功を得る』[1]とおっしゃったので、自分の業力は自分は返さなければならないし、やはりあなた自身が修煉したほうがいいですよ」と伝えたところ、今は夫も大法の書籍を読んでいます。
二、自分をしっかり修め 家族をより良い方向に導く
修煉は厳粛なことです。私は父に話しをする時口調が優しくない時があります。そして私は善を修めることに気を付けていますが、トラブルに遭遇すると、やはり心性を守れない時があります。その時は自分のこの心を変えることに力を入れず、外に向けて探し、解決方法を探します。怒らないように自分を抑えようとしても失敗したりします。
そこで私は親に対する情が作用を働いていることに気付き、この情を修めるべきで、話しをする時、父が受け入れられるかどうかを考慮し、受け入れそうなことだけを話して、そうでないことは言い方を変えるようにしました。
父はよく私の前で義兄(姉の夫)の悪口を言いますが、どうやって止めさせれば良いか分かりませんでした。ある日、父はまた義兄があれこれ良くないと言いました。私は「お父さん、いつも人の悪口ばかり言うと、自分にとっても良くないですよ。それを信じていますか。信じるなら、そんなこと言わないでしょう。人の悪口を言うのはやめましょう」と伝えました。しばらくすると、父はまた人の悪口を言いはじめました。私は、「お父さん、人の悪口を言うことは良くないです。良い人は人の悪口を言わないし、悪口を言ったり、人を罵ったりする人は良い人ではありません」と伝えました。父は笑顔になりました。私は続けて「お父さんが悪口を言っている時、私がここで聞いていると、お父さんを容認していることになるので、私は共犯者になってしまいます」と伝えました。こうして何回か話す時、父も大変うれしそうな顔になりました。それから人の悪口を言うことはめったにありません。
ある日、父が入院しました。中共ウイルスの流行期間中だったので、看病する人は交替することができませんでした。私は一人で病院の父を看病していましたが、とても辛かったです。ある日、病室に患者さんが一人いたので、その人に法輪功迫害の実態を伝え、三退をしてもらいました。しばらくして、父はにこにこしながら言いました。「お前は真・善・忍を語っているが、自分自身は真ではないし、善でもないね」と。その言葉を聞いたとき、私は非常に落ち着いていて、恐らく自分のどこかが本当によく出来てないかもしれない、そうでなければ、父がこんなことを言う分けがないと思いました。心のなかで、自分は何を間違っているのかと思いました。私は穏やかに「お父さん、私のどこが真でもなく善でもないですか、私が嘘でもつきましたか? 私が変えられるように例を挙げてください」と聞きました。この言葉を私は心の底から言いましたし、自分を修めて基準に達したいと思っていました。父はしばらく考えていましたが、ずっと笑顔で、一言も言いませんでした。
そのときになって私はやっと、師父が父の口を借りて、真相を伝えた人の前で恥をかかされたときに私がどんな態度をとるか、私を試しているのだと悟りました。
修煉してから、私はいつも「自分はこの世の中で一番幸せな人だ! 私は大法弟子だ。大法弟子とは世界で最も栄誉ある称号であり、私には師父がいらっしゃる」と感じていました。師父の慈悲深い救い済度と保護に感謝します。真相を伝えるなかで、縁のある人に自分が法輪功を修煉していることを伝えると、心の中でいつも限りない誇りを持ち、私はより多くの人々に法輪大法の素晴らしさを伝えたいと思っています。
不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。
師父にひざまずいて感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』