文/山東省の大法弟子
【明慧日本2022年5月12日】2020年の初め、武漢市でコロナウイルスによる感染が猛威を振るう中、各省でロックダウンが実施され、人々は家に閉じ込められました。外に出られないので、暇をしていた私は以前同修がくれた真相DVDをセットしました。「あなたのために」という映画が流れ、救世主が神々を連れて人間界へ降りてきたシーンを見た瞬間、突如、目が熱くなり、涙が止めどなく溢れてきたのです。師父がまだ常人社会でさまよっている私を呼び起こしてくださったのです。
1995年の夏、私は母親と一緒に村議会で流れている気功を教えるビデオを見て、みんなと一緒に煉功を始めました。第五式の功法を煉っている時、師父が天目を開いてくださいました。眠っている時も金色に輝く花が自分の体に落ちてくるところがはっきりと見えたのです。
あの頃の私はまだ中学校を卒業したばかりで、高校は他省にあるため、『轉法輪』を持って行き、時間があるときに勉強しようと思っていました。しかし、遊び盛りで学法のことをすっかり忘れてしまいました。
卒業した後、1999年の「7.20」を経験して、それまでまじめに学法していなかったため、悟性も低く、修煉することにおいても、堅持できず、動揺してしまいました。2003年8月、母親が「610」弁公室に連行されたことをきっかけに、自分の漏れが多すぎたため、邪悪に隙に乗じられたのだと、ようやく悟りました。
母によると、拘禁されている間、中の環境は非常に悪く、強制灌食や、寝かせてもらえなかったり、煉功しているのがばれると、さらなる仕打ちや拷問をされたりなど、非常に非人道的で邪悪なものでした。母は大法を修煉するという心を堅持していたので、間もなくして中の環境が変わり、強制灌食も拷問も無くなっただけでなく、学法や煉功する時間も与えられたのです。1カ月ほどして、母は釈放されました。これは母が修煉する意思を堅持し、強い正念を持っていたので、師父が中の環境を変えてくださったのです。
後に、私は結婚して自分の家庭を持つようになりましたが、情に囚われて毎日喧嘩や不満をこぼし、闘争心や怨恨心などの執着心などにより、自分が修煉者であることを忘れてしまったのです。私の苦痛を見て、母は心を痛め、後に病にかかり、そのまま亡くなってしまいました。母親の死に、ショックを受けながらも、子どもがいるので、何としてでも生きていかなければなりません。お金を借りて小さな店を開き、それなりのお金が入るようになったことで、不動産や車などを購入するなど、長い間、名誉、利益、そして、情の中に浸って、大法のことをすっかり忘れてしまったのです。
武漢市でコロナウイルスの感染が爆発して、家に閉じ込められている時に、真相DVDを見て、ようやく目が覚めました。大法の重要性と衆生を救う緊迫性に気づき、大法弟子が背負っている使命の重大さを悟りました。それまで長い間、ずっと常人社会でさまよっていた自分が情けなくて、恥ずかしいばかりです!
目が覚めた瞬間、書斎から大法の本を取り出しました。師父は「この徳は功に転化でき、その人の修煉の次元と高低と、果位の大小を決めます。一方、常人社会で福の報いだけを求めるなら、これはほかの人と交換でき、金銭や財物に交換することができます」[1]と説かれました。
これまで、私は法で得た福の報いを金銭に変えていたのです! このままではいけません。これまでの時間を補わなければなりません! 心を決めた私は同修の助けにより当地区の学法チームに入ることができました。また、毎日店へやってきた顧客にも真相を伝え、「三退」を勧め、大法のお守りを渡しています。
ある日、会社のイベントで、30人ほどの顧客を招待して遊びに出かけました。私は貸し切りバスの一番前に立ち、真相を伝え始め、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」ことを皆さんに教えました。
顧客の中から疑問が出てきたので、私は天安門広場での焼身自殺事件の真相とその他大法が迫害を受けている真相を伝えました。師父のご加護があるから、一度に30人以上の常人に真相を伝えることができました。
後に、疫病が収まらず、町やコミュニティが何度も封鎖されたため、私は同修のところに行き、真相チラシや小冊子を印刷してもらって、配りに出かけました。1人でも多くの衆生を救い、師が法をただすことを手伝うことは非常に素晴らしいことです!
何度か試験を受けている夢を見ました。答えがわからない質問やたとえ答えを知っていてもかけないことがよくあったので、何度も夢の中で焦って泣き出したのです。これは学法が足りず、勉強しても心に入っていないから、師父が夢を通じて教えてくださったのだと悟りました。
ここで助けてくれた同修たちに感謝いたします!
常に見守ってくださっている慈悲なる師父に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』「広州での説法 質疑応答」