文/ドイツの大法弟子
【明慧日本2022年5月14日】幼い頃、私はよく夜に1人で坐禅をしていました。その頃の私は天目が開いていて、それは私にとってごく普通のことでした。字が読める前の5歳くらいのとき(1970年)、私は数カ月に亘って、夜にいつも同じ夢を見ていて、それがとてもリアルで鮮明な夢でした。
「ホッホシュアウアーラントクライス県のある小さな町に住んでいた私は、村の裏手にあるロベック山に登り、木々に覆われた山頂にある広い草地で空を見上げました。
次第に周りの景色や環境が薄れて消えていき、私は少しずつ空に持ち上げられていきました。雲が私の周囲で円形となり、空には超自然的な空間が目の前に現れてきました。
そして、一層一層の天空が私の前に現れてくると同時に、私は無重力状態でどんどん高く浮いていきました。
至るところに音と鮮やかな色彩があり、すべてが霊性のある生きもののように見えました。
そして、すべてが言葉では言い表せないほど美しかったのです。
何かとても厳粛で神聖なものが、想像を絶するほどの高さからひらひらと舞い降りてきました。
私は一種の神聖な幸福さに包まれました。
私は両手を頭上に持ち上げて、神聖な超然さの中で、1冊の青い本が粛々と私の手に舞い落ちてきました。
その青い本はさまざまな色彩を放ち、金色の文字が明るく輝き、表現しにくい美しさをしていました。
当時、何が書かれているかが分からず、それに似たものも見たことがありませんでした。
夢の中でその本を手にする度に、私は夢から目が覚めるのでした」
子供の頃、私はそれを「天国からきた神聖な青い本」と呼んでいました。
私は親に何度も「『天国からきた神聖な青い本』を買ってほしい!」と聞きましたが、誰もそれが何のことなのか分かりませんでした。それより問題だったのは、カトリックが浸透しているホッホシュアウアーラントクライス県では、それが異色のものとみなされていました。地元の神父は儀式に従って我が家のすべての部屋を清め、私が座禅することも禁じられました。だからこそ、その出来事は私の記憶にしっかりと定着し、保持されてきたのかもしれません。
やがて私はその夢を見なくなり、心に一つの予感だけが残りました。それは、いつか、私はある青い本からとてもとても大切なことを知ることになるということでした。
子供の頃に見た光景が現実となりました。
2005年、地元の法輪功学習者がケルン大聖堂の前で真実を伝えるイベントを行い、私はそこで李洪志先生の『轉法輪』を受け取りました。しかし、当時の私は世間のあれこれに深く絡まれていました。
師父は無限の慈悲で私を助け、導いて下さいました。大きな業カを消去していく長い苦難の段階を経て、私は2017年にようやく、師父の法を真に認識することができました。大法を修煉し始めてから、私は子供の頃に夢で見た金色の文字も再認識することができました。
何十年も探し続けて、私はようやく運命の道を見つけました。今までの人生において経験した苦痛や見た光景のすべては『轉法輪』にてその意義を見出し、師父の説法から解釈を得ることができました。
私はこの法のために世に来ており、法を得て、さらに法を実証し、師父の按排に従うためにこの世に来ていると確信しています。
「天国からきた神聖な青い本」はほかでもなく、私が幼い頃に見た夢から28年経った1998年にドイツで初出版された、李洪志先生の著書である『轉法輪』です。
『轉法輪』および李洪志先生のご慈悲に感謝しています。