文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年5月28日】修煉する前、私はカイコのサナギを食べるのが大好きでした。よく買ってきて、家で煮たり揚げたりすると、とてもおいしいのです。修煉後のある日、夢の中で、寝室の天井にカイコの前身がいっぱいいて、大きな緑色の幼虫が一匹一匹蠢いていて、心臓が飛び出るほど恐ろしくなりました。目が覚めたあと、これは師父がサナギを食べるという執着心をなくすために見せてくださったのだと気づきました。そして、もう二度とカイコのサナギは食べないと、家族にも約束しました。これも殺生だと気づいたからです。
久しぶりに、スーパーに行くと、また誘惑に負けて、金色のカイコを1.5kgほど買い、家に帰ってからすぐ揚げました。揚げたてのサクサクとした香ばしいサナギを見ても、約束したことをとっくに忘れて、箸を手に取り、一匹ずつ口に運んで欲求を満たしたのです。
食後しばらくして、顔が熱くなり、胸が張って息苦しくなり、その後、顔から赤いぶつぶつが出て次々と首や肩に広がり、かゆくて不快な状態になりました。この突然の試練に直面して、私はすぐに内に向け、非を探しましたが、理由を見つけることができませんでした。しかも「サナギアレルギーになったかもしれない」という間違った考えが頭をよぎりました。。
胸が締め付けられるような不快感があり、仕方なく、師父に助けを求めました。法を学ぶために『轉法輪』を手に取り、本を開くと、まず目に飛び込んできたのは「真の煉功者としては、高い次元に立って物事を考えなければならず、常人の考え方で物事を考えてはいけません。病気だと思えば、本当に病気を招いてしまうかも知れません。なぜなら、病気だと思った時、あなたの心性は常人と同じ高さになったからです。煉功と本当の修煉の場合、特に先程述べた状態では、病気に至ることはありません」[1]でした。
師父の法ですぐに目が覚めました。 私は真の修煉者であり、三界の理に支配されない存在です。常人は食べるとアレルギー反応を起こしますが、それは常人の理に適っていることで、私は修煉者です。ここまで考えていたら、その瞬間、私は突然気づきました。
自分が交わした約束を思い出し、それが根底にあったことが原因でした。約束を破り、修煉者として「真」でないタブーを犯し、殺生の罪を犯し、申し訳ないことをしてしまいました。悟ったあとすぐにこれらの生命に謝りました。私は、その生命たちに、自分の過ちを許してくれるよう懇願しました。それらの生命と善解し、彼らに良い未来を築いてほしいと思っています。そしてもう一度、これらの生命が自然に還り、安らかに眠れるように、残ったものをすべて埋葬することを約束しました。
この時、奇跡が起きたのです。さなぎを埋め終わった瞬間、体の赤いぶつぶつの広がりが止み、胸の熱っぽさも消え、盛り上がっていた赤いぶつぶつも徐々に消えていき、前後たったの20分ほどで、基本的に元通りになりました。それを目の当たりにして、改めて大法の不思議な力に驚かされました。
さらに驚いたのは、2日後、鉢の中に埋まっていた1キロもの蚕のサナギがすべて消えていたことです。鉢の土は乾燥していたので、そんなに早く腐敗するはずもなく、たとえ腐敗したとしても腐敗物が残るはずで、鉢にサナギの痕跡が残っていないのは不思議なことです。
今回の教訓を通して、私は修煉の厳粛さを深く理解することができました。修煉する人は、自分の約束に忠実でなければならず、どんな約束も守り、決して約束を破ってはなりません。修煉者が「真」に忠実でなく、約束を守らなければ、カルマを作ることになります。
今回の教訓を経て、今後は食への執着を断ち切るという意味で、自分を厳しく律しなければなりません。正法の最後になる瞬間、私は1日も早く大法に同化し、あらゆる面で真・善・忍に同化し、大法に対し合格した弟子となり、円満成就して師父と一緒に帰ります。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』