文/メキシコの大法弟子
【明慧日本2022年5月29日】
尊敬する師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
私は、修煉してもう12年になります。多くの場合、師父が説かれた法理を思い出すことができますが、時々、自分と大法の間に何か隔てがあるような気もします。
以前に同修が亡くなったと聞いた時、なぜ彼らが命を失い修煉を続けることができないのか、もし自分の漏れを見つけて直すことができなかったら、彼らと同じように大きい難に遭遇するのだろうか、とよく困惑しました。
修煉者の前に二つの道があります。一つは常人の考えに従う道で、もう一つは師父が按排した道です。言い換えると、自分の考えを抱えて文字の表面から法理を理解するか、それとも心の奥底から法を悟るかでは、大きく異なります。
しかし、どの執着が大法との同化を阻んでいるのか、根本的な執着心がなかなか見つかりませんでした。そんな時、師父は私に次の試練に遭遇させました。
魔難と試練
2021年6月15日のことでした。歩いていて転んだ私は、すぐに「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり」[1]を思い出しました。通行人が病院に行こうと提案したのですが、私は「李洪志師父以外の按排を一切認めない」と思って断りました。腕は動かせませんが、職場まで歩くことができます。職場に着いたら腕を元に戻せると思いました。しかし「やはり肩を脱臼したな」と思ってしまいました。その考えこそが、私の漏れでした。
「修煉者として、このような試練を与えられます。この時、本当にあなたに試練を与えており、あなたは修煉者として見ているのか、それとも常人の心で考えているのでしょうか。人心で対処するなら、病院に行って見てもらえば良いのです」[2]
職場に着くと、脱臼した肩を元に戻そうとしました。しかしなぜか、私は「法輪大法が良い、真善忍が良い」を唱え続けていたにも関わらず、修煉上の漏れが大きくなっていきました。
私は病院に送られました。病院に行っても検査の結果は無事だったという同修の例もあるので、大法弟子としての自覚を忘れていない限り、私の検査結果もきっと大丈夫だと思っていました。検査を受けようとしただけでなく、奇跡が起きることも求めていました。このように、漏れはますます大きくなりました。常人の観念に振り回されている時、大法に同化することはできません。他の同修の経験を手本にすることは、求める心の現れだと分かりました。
検査の結果、左腕と右膝にひびが入ったということで、ギプスを付けられました。私は絶えず『論語』を暗唱し、病院内で会ったすべての人に法輪功の真相を伝えました。しかし、私の漏れはまさにそこにあって、レントゲンを見て検査結果を信じ、常人のように治療を受けたのは事実です。その一方で、驚いたことに、師父がずっとそばにおられると感じていました。
師父の慈悲を感じる
これらを経験したからこそ、やっと根本的な執着心に気づくことができたのではないかと、今になって思います。家に帰ると体が別人のものになったような状態で、ほとんど自力で動けません。ほぼ何もできませんでしたが、心は穏やかで落ち着いていました。そのような状況だったからこそ、以下の3つの主要な執着に気づき、取り除くことができたのです。
1、支配欲。体が不自由になると、周囲をコントロールしようとする気持ちが弱くなりました。それが分かって、素直に受け入れました。
2、名声への執着。他の人の役に立てなくなってしまったので、役に立つことで認められ、愛されることを追求しなくなりました。
3、顕示心。もう周囲の人に何をすべきかを伝えるのを断念して、他の人が意見を言えるように私は黙っていました。
以上の執着心を取り除くと心は静まり、純粋でシンプルになり、自然に委ねる感じがとても素晴らしいのです。幸いにも私がそのように変わると周囲の友人や親戚から多くの善意や寛容、友好を感じ、多くのことを学ぶことができました。そして同修たちとも、以前よりもっと一緒に学法と煉功をしたくなりました。大法弟子に起こった魔難は、実は全体に向かって発生したものだと思います。難に陥る同修に、私たちはもっと慈悲の心で接したらいいなと思うようになりました。
根本的な執着に気づく
私は、師父を身近に感じることができました。しかし同時に、一つ大きな疑問がありました。つまり、私は大法弟子で、師父を信じて大法を信じているのに、どうして常人の状態が現れるのでしょう。内に向けて深く探すと、次第に根本的な執着が明らかになりました。
「『修は己にありて、功は師にあり』と言われるのです。 あなた自身はそういう願望を抱いて、そう思うだけで、実際のことは師がやってくれるのです」[1]。
その部分はもう数え切れないほど読んだのですが、この時、ついに自分の執着心に気づきました。今まで得たものは、すべて自分の努力を通して手に入れたものであり、師父の法力ではないと思っていました。これでは師父の法力が私に作用することを妨げたのも当然です。このような自分勝手で自己中心的な考えの下で、どうやって心性を高めることができるでしょうか。法輪功を修煉する前、小さい頃からほかの気功をしていたことがあります。その経験が観念まで形成して、私が大法に溶け込むのを邪魔していたのです。
また、法理が分かっても行動に移さなければ、自分自身を証明したい顕示心がすぐに浮かんでくるようです。恥かしいと思いながら、師父の無量の慈悲のおかげで自分はずっと大法の修煉から離れていないことに、この上なく喜びを感じています。
今の特別な時期に、修煉の道はますます狭くなっています。一見普通に見える執着に邪魔され、修煉の道から逸脱してはいけないと思います。また、自分が大法弟子である自覚が強ければ強いほど、同程度の師父のご加持を頂けて昇華できることを悟りました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
(2021年メキシコ法輪大法修煉体験交流会の原稿)