文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年6月4日】 私は75歳です。数年前、私たちの村では水道管を掘る工事をしたのですが、通りや路地に各家へ通じる主管と枝管があり、工事中、数日間は車も自転車も通れず、歩くしかありませんでした。
水道管が敷設された後、各家は自分の敷地内の枝管を埋めるだけで、誰も本管を埋めようとしませんでした。私が見た状況は、車や自転車は路肩に寄せられ、通勤や学校の送迎の人たちも道路脇に密集し、時には何時間も身動きが取れない閉塞状態でした。村議会はなぜ側溝工事に人を派遣しないのだろうと思ったものです。しかし、この状況は私が目にしたのですから、私が側溝を埋めればよいのだと悟りました。
初日の朝4時、私はスコップを肩に乗せ通りに出ました。静かな通りでしたのので、まずは通りの端から、スコップで一回ずつ土を掘ったり、溝を埋めたりしていきました。朝7時、通行人が増えてきたころに家に帰りました。
続けて何日も、一人で黙々とスコップで溝を埋めていきました。5日目、同じ時間に、いつものようにスコップを背負って道路に出かけました。なんと! たくさんの人が スコップを一本ずつ持って土を掘り返して溝を埋めていたのです。 私は笑顔で「来てくれたんだね、よかった。みんなで溝を埋めて、もっと楽に歩けるようにしよう!」と声を掛けました。
たちまち溝は埋まり、私は周りにいた十数人に囲まれ、中には「おばちゃんが毎朝早起きして溝を埋めていたと聞いて、泣きたくなったよ!」と言う人がいて、「おばちゃんは70代、役人は関わらないが、70代の女性が自分で溝を埋めている。なんとも不思議な話ですね。世の中には、こんな不思議な話があるでしょうか。何のためにやるんですか?」と聞く人もいれば、「おばちゃんは法輪功の学習者だ、もし私たちの村の全員が法輪功を修煉すれば、誰もが人のことを考えるようになり、喧嘩や陳情はなくなるでしょう。どんなに素晴らしいことでしょう」と話した人もいました。
その後、村の人々の私に対する見方はすっかり変わり、私が再び法輪功や迫害の真相を話すと、ほとんどの人が耳を傾け、自ら真相を尋ねるようになりました。
私は何か特別な事をしたのではありません。ほんの些細なことですが、それがこんなに大きな効果を生むとは思ってもいませんでした。
私たちはしっかり行い、修めてこそ、はじめて大法の素晴らしさを実証できるのです。