文/中国東北の大法弟子
【明慧日本2022年6月9日】娘は妊娠7カ月で男の子を出産しました。早産児で生まれた孫は、全身がしわだらけで髪の毛も眉毛もなく、泣き声も弱かったのです。暫くすると黄疸が出ましたが、ほかの赤ちゃんは数日で黄疸が引きましたが、孫は40日以上も黄疸が続きました。誰もがこの赤ちゃんを見ると、生きていけるかと心配しましたが、私と娘は法輪大法を修煉しているので少しも心配することはなく、毎日孫に師父の説法録音を聴かせていました。孫は師父のご加護を受けており、生後3カ月になると正常に乳が飲めるようになりました。
大法の光を浴びて成長
孫はとても頭が良くて、生後6カ月で父親のいびきの真似をすることもできました。私たちは孫に毎日師父の説法の録音を聴かせましたが、泣かず騒がず静かに聴いていました。1歳になってから、『轉法輪』を基礎教材にして孫に字を教えました。4歳で『轉法輪』を通読できるようになり、私たちは毎日孫と一緒に学法しました。孫の発音は正確ではっきりしており、私たちは彼の幼い声で『轉法輪』を読んでいるのを聞くのがとても好きでした。
孫は小さいころから分別があって、人に嫌われるようなことはしませんでした。幼稚園で昼寝をするのは好きではありませんでしたが、ほかの子供の邪魔をするようなことはありませんでした。一人で目を閉じて足を組んで座っていたのです。幼稚園の先生がその光景を見て、とても面白がって写真を撮って私たちに見せてくれました。
孫が5歳くらいの時、私たちがドアを閉める際、不注意で彼の指を挟みました。指は紫色で平らになって、泣き止みませんでした。突然のことでみんながびっくりして、頭が真っ白になってしまいましたが、私は孫の手を取って「泣かないでね。私たちには師父がいらっしゃるから、早く師父に助けてもらうようにお願いしよう。早く『法輪大法は素晴らしい』と言いましょう」と言いました。みんなも一緒に言いました。どのくらい唱えていたか分かりませんが、やっと泣き止みました。指はまだ少し赤かったのですが、ほぼ正常に戻りました。その場にいた隣人が、「法輪大法は本当に不思議です!」と大きな声で言いました。皆が大法の超常さと素晴らしさを目の当たりにしました。
大法の超常さと素晴らしさといえば、もう一つ特筆したいことがあります。孫が9歳の時、ちょうど『洪吟五』が発表されました。『洪吟五』は繁体字で、大人でさえ読むのは大変だったのですが、孫はすべての繁体字が分かってすらすらと読みました。私は驚いて「これらの字をどうして知っているの?」と聞いたら、孫は私の質問自体を不思議に思ったらしく、「ずっと前から知っていたよ」と答えました。
孫が小学2年生になったある日、ずっとベッドに横になっていたので額を触ってみると、とても熱くて、「病院へ行こうか」と聞くと、孫は「おばあちゃん、MP3を持ってきてね。師父が僕の世話をしてくださっているので、病院に行く必要はありません」と言いました。孫は師父の説法の録音をずっと聴いていました。3、4日間何も食べませんでしたが、ただ水を少しだけ飲みました。顔は熱で真っ赤で目まで赤くなっており、体温は39.8度ありました。彼の父親は心細くなって病院に行こうと言いましたが、孫は「これは師父がぼくの業力を消去されているので、病院には行かない」と答えました。このようにして、8日目の朝になって、やっと起きてお粥を食べられるようになりました。それ以来、孫の体はとても丈夫になりました。
悔しい思いをさせられても恨まない
小学1年生になったばかりの孫が、学校から帰って手を洗った後、片方の手でもう片方の手を押さえて、黙って座っていました。「どうしたの?」と聞いたら、孫は「何でもない」と淡々と答えました。手を見ると、なんと手の甲に傷跡があって、真っ赤になっていました。孫は、「遊んでいて、クラスメートが、うっかり引っ搔いてしまったんだよ」と説明しました。また「おばあちゃん、先生に言わないでね。彼(クラスメート)はわざとしたんじゃないからね。先生に知らせたら、先生はきっと彼の母親に知らせてしまう。そうしたら、彼は叱られることになる。ぼくは痛くないよ。本当に痛くないんだから」と言いました。
正直にいうと、孫の手の甲の傷跡を見て、私は本当に心が痛まずにはいられませんでした。一方まだ7歳の子供でも相手のために考えることができていたのです。「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」[1]、私はとても嬉しく思いました。
8歳になったある日、私は担任の先生から電話を受けて、孫がクラスメートのAさんを殴ったと言いました。彼の父親はすぐに学校に行き、Aさんを病院に連れて行って検査して貰いました。幸い何の問題もなかったのですが、父親はAさんにたくさんのおやつを買ってあげていましたが、孫の言い分も何も聞かずにとても怒っていました。
後から、ほかのクラスメートから事の真相を知りました。孫は嘘を言っていませんでした。Aさんは本当は自分で転んで、孫は指一本触れてはいなかったのです。しかし、担任の先生は孫の説明に全く耳を貸そうとせず、ひどく孫を叱って保護者を呼んだのでした。そのため孫は、クラスメートたちから疎遠にされ、父親からも叱られてしまったのです。暫く孫は落ち込んでいました。
その担任の先生に、濡れ衣を着せられたことは他にも少なくありません。私は孫に「何回も担任の先生に濡れ衣を着せられたけど、先生を恨んでいないの?」と聞くと、孫は「まったく恨んでいないよ。ぼくは大法弟子なので、師父がぼくたちに『殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない』[1]と教えてくださっている。おばあちゃんは知らないけど、担任の先生の息子は休憩時間にぼくたちのクラスにやって来て、皆の前でなんと先生の名前を叫んで金を要求したんだ。とても失礼だよね。先生は自分の息子をそのような人間に育てたので、かわいそうだと思っている」と言いました。今時の子供が、このように考えるでしょうか? 子供どころか、大人でさえこのように物事を考えられる人は少ないと思います。法輪大法の基準で教えられた子供だけが、このように人のために気を遣うことができると思いました。
栄誉を得ても顕示しない
2年生になったある日、校長先生が何人かを連れて、孫のクラスの授業参観に来ました。校長先生たちが教室に入ると、孫は率先して立ち上がり礼儀正しく先生たちに挨拶をしたので、他の生徒も孫と同じようにしました。校長先生はとても満足し、他の先生も「この生徒(孫)はいつも礼儀正しくて、先生に会ったら、遠くからでもあいさつをしています」と言いました。それらの出来事は、担任の先生から娘(孫の母親)に電話があって初めて知ったことでした。担任の先生は電話で「息子さんは校長の前でクラスの好感度を上げました。担任として私も校長に褒められました」と喜んで話しました。
3年生になると学校は全クラスの隊列演技の試合を行うことがありました。担任の先生は孫に臨時にクラスの体育委員に代わって演技の練習を指揮することを依頼しました。孫は試合のルールを全部覚えていたので毎日クラス全員の練習を指揮しました。試合は全校30クラスの中で、孫のクラスは二等賞をとりました。しかし孫はこのこと何もなかったように、私たちには何も話してはいませんでした。隣人がとても興奮して私に言いました。「私は小学生らの演技の試合を見に行きましたが、いやあ、お宅のお孫さんは本当に凄かったですよ! 格好良かったです。あんなに多くの生徒(50人余り)をしっかり指揮して、二等賞をとったのですからね。大会の審査委員はお孫さんを褒めていましたよ。あなたはどうして見にいかなっかたのですか?」
私は孫に「試合があることを、どうして私に教えなかったの?」と聞くと、孫は「それを大切なことだと思っていなかったからだよ」と答えました。「では、あなたはこれだけで体育委員になるの?」と聞くと、「僕はもともと体育委員ではないので、臨時に練習を指揮しただけです。試合が終わったので、僕も普通の生徒に戻るんだよ」と淡々と言いました。妬みや不平不満を少しも持っていない孫を見て、とても嬉しかったです。こんなに純真な人に成長できたのは、大法の教育と恩恵を受けたからです。
10歳にも満たない子供が、栄誉を得ても威張らず、見せびらかすこともなく、誤解されても恨んだりもしないのです。私が今日、原稿を書こうとしていると孫は、「文章を書く時、おばあちゃんは恨む心と顕示心を生じさせないでね」と注意しました。
孫は師父のご加護の下ですくすく成長しています。その孫は今では13歳になり身長180センチ近い男の子に成長しました。彼は健康で聡明で、誠実で善良であり、人を助けることが好きで、我慢することもできます。孫が生まれてから今日までの13年間、大法の素晴らしさと超常さを証明しました。私たち家族は、師父と大法に限りない感謝を申し上げます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』