文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年6月14日】私たちの住む南部の都市では、「上火」(体内に熱がこもり、様々な器官に炎症が起きた状態のこと)という観念が根強くあり、地元の人は一般的に揚げ物などの「熱を呼ぶ」食べ物を食べる勇気がなく、野菜炒めでも最後に小さじ一杯の水を入れて、熱気を押さえてから食べるようにしています。喉のかすれ、鼻づまり、潰瘍、ニキビ、風邪、鼻水など様々な症状は「上火」が原因で起きると見られているため、人々は多くの食べ物を敬遠してしまいます。
妻(同修)は北方人で、「上火」という意識はなく、食べたいものは何でも作っていました。朝食に中華クレープを作ったり、餃子を焼いたりする時もあります。その時は、母(同修)はいつも敬遠し、別に朝食を作っていました。私は妻に勧められて、たまにこういったものを食べたりしましたが、喉がイガイガしたり鼻がつまったりするたびに、「熱のある」ものを食べてはいけないと、自覚してやめてしまいます。妻は私と法の上で交流し、私たちの体は超常であり、「上火」という観念は常人の理であり、それを否定すべきであると言いました。私はこの説はもちろん正しいと思いましたが、「上火」と見られるさまざまな症状が体に現れてくると、やはり完全な「師父を信じて法を信じる」ことができず、自分の次元がまだ低いので、法の威力はまだ自分に現れていないのではないかと思ってしまいました。妻は私が悟らないのを見て、何度も繰り返し私に話し、母にも言い続けました。その度に母は受け入れず、私は黙っていました。
ある日、妻がまた同じことを言い出したので、私は突然正念が強くなり、「そう、私は『上火』を恐れない、何でも食べれる。食べて見せよう、食べても『上火』しないぞ」と言いました。そして、たくさんの中華クレープを食べてみたら、次の日は何もなかったので、驚きました。その勢いで連続で何日も食べ続けてみても何もありませんでした。私は喜びの気持ちが湧いてきました。偶然ある朝、喉がとても気持ち悪いことに気づいて、きっと中華クレープをたくさん食べたせいだろうと思ってしまいましたが、「違う、これは見せかけだ、私は食べて見せる」と考え直しました。その結果、喉の不快な症状はしばらく続いただけで消えてしまいました。姉(同修)と母は私のこのような変化を見て、大胆になってきて、いわゆる「上火」を恐れなくなって、何でも食べるようになりました。姉は「以前なら、私はきっと『上火』になったはずだが、今は大丈夫だわ。」と話しました。
このことについて、私は、私たちが先に正しく悟り、次にそれを行動に移し、師父はそれを見てほかの空間の悪い物質を取り除いてくださったので、この状態が現れたのだと思います。
師父は、「あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」[1]と説かれました。
以前、私はこの段の法に対する理解はいつもあやふやで、どうやったら「行動においてこれをやり遂げる」と言えるのか分かりませんでしたが、今回のことを通して、師父のこの法に対して、更に深い理解を得ました。法に対する認識は、決して感性の認識だけにとどまってはいけない、この言葉は正しいのです。必ず行動に移し、本当に実行しなければならない、それが真修、実修であり、真に師父を信じて、法を信じることなのです。
人は社会生活の中で多くの観念を育成し、多くの場合、観念の中のものは正しいと黙認し、必ず従わなければならないと思ってしまいます。まず思い切って、それらを突破する「勇気を持つ」ことです。しかし、勇気を持っているかどうかは、師父と法に対する信念が試されているのです。
大法弟子が三つのことをするのも同じです。本当に法の上で認識できたら、表面の事情がどうであれ、こうすべきだと思ったら、勇気を出して、努力して実践することです。もしこのことができたら、師父は私たちのために、何でも手伝ってくださると私は悟りました。
次元が限られているため、認識が間違っているところもあると思いますが、同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』