文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年7月3日】2年前、私は新型コロナ感染症(武漢肺炎)が流行する中、繁華街で法輪大法の資料を配ったとして、街道弁事処(街道と呼ばれる郷級行政区である都市基層政府の出先機関)の人員に見つかり、通報されて警官に連行されました。家宅捜索もされたのです。その後、私は懲役2年の実刑判決を言い渡されました。
出所する数カ月前に、ある高齢の同修が、私が拘禁されていた部屋に送られてきたので、同修と接する機会がありました。この同修は、5年以上の重刑を3度も言い渡されたことがありましたが、師父と大法を堅く信じ、決して揺らぐことなく、非常に強い意志を持っていると感じました。しかし、残念ながら、同修自身はどの原因でこのように次々と魔難に遭っているのかがわかっていなかったのです。
ここで、同修が修煉できているところと、足りないところを言いたいわけではません。同修は嫉妬心を取り除いていなかったことから重い病業をもたらし、そして、その執着を認識できた瞬間に病業が消えたことだけを取り上げたいと思います。
ある日の夜9時半、同じ部屋にいる人が布団を敷いて寝ようとしたとき、同修が私のところにきて、「お腹が痛いので助けてください」と言いました。その時、同修の様子は元気そうだったし、みんなの布団を一斉に敷くので、私は布団を運ぶのに協力しなければならなかったので、同修の要求をあまり気にしませんでした。
しかし、その5、6分後、同修が再びやってきて「お腹が痛いので助けてください」と言ったのです。しかも、こんな痛みは初めてだと言いました。話しているうちに、同修が両手でお腹をおさえ、苦しそうに背中を丸めて、冷や汗をかき、青白い顔をし、体も震え出し、声も出なくなりました。この前後は1分もかからなかったのです。
急変した同修の様子を見て、部屋の人たちは怖くなり、部屋の管理人はすぐに「医者を呼びましょうか」と言いました。同修は弱々しく首を横に振って拒否しました。私は「大丈夫、しばらくすれば治る」と部屋の人たちを安心させましたが、こんな危険な状況に初めて直面し、どうしたらいいのかわかりませんでした。部屋の人たちは、同修を壁の前の寝台に坐らせるのを手伝いました。私はほかの人たちに布団を続けて敷くようにと言って、同修の隣に座りしました。
私と同修が2人きりになったとき、私は同修に「最近、してはいけないこと、言ってはいけないことを言ったりしたことはない?」と聞くと、同修は「自分はそれらのことをした覚えがない」と言いました。また「私は大法師父の弟子で、たとえ漏れがあっても邪悪に迫害されてはいけない」と言い、邪悪の要素を取り除くために、発正念をし続けました。しかし、あまり効果がなく、痛みはひどくなっていくばかりでした。
私は急いで法理上で同修と交流し、改めて同修の問題点を指摘しました。一つは陰口、もう一つは嫉妬心です。私は、同修がこの部屋に移された直後から、同修の陰口という問題に気づき、何度か注意しました。最初同修はその問題を認めなかったのですが、後になって「陰口を言うことはいけないことだ」と気づきました。しかし、しばらくはどうしても直せませんでした。この問題が、同修に深刻な病業をもたらした主な原因ではないかと思います。
もう一つの嫉妬心の問題も大きいと思っていました。同修にこの病業が現れた30分余り前に、ある出来事がありました。その日、同級生から私に手紙が届きました。昔の便箋のような縦長の書式で、繫体字で書かれていて、とてもきれいな文字でした。手紙を受け取ったとき、部屋の人たちがペン字練習帖を送られたのかと思っていたのですが、手書きだとわかると、その同級生の字を褒めまくりました(刑務所では誰かが手紙をもらうと、同部屋の人たちの手紙みたいに、みんながよく読みまわします)。その日は、この美しい文字の手紙でかなり騒然となったと言ってよいほどでした。
同修は拘禁された後、一度も手紙をもらったことがなかったのです。私は同級生や家族、他の同修から手紙をもらうと、いつも同修にも見せていました。その日の夜、そのきれいな文字の手紙も同修に見せました。すると、同修は最初「いい字だね」と言いましたが、男性で修煉者ではない人からの手紙だとわかると、すぐに態度を変え「女性の同修が書いたものだと思っていたから、男性ならこれぐらいの字だといい字とは言えない。普通だ」と軽蔑した言葉を口にしました。
その時の同修の表情に私も少し驚きました。同修は「私もきちんとした字を書くので、いつも印刷体みたいだと褒められるよ」と言い続けました。その言葉から、嫉妬心、常人への蔑視だと感じた私は、同修に嫉妬心があることを指摘しました。しかし、同修は「私は嫉妬していない。ただ思っていることを言っただけだ」と言いました。
この出来事から30分後に、同修に重い病業が現れました。同修に改めてそのことについて話すと、同修は声が出せなくなったものの、自分に問題がないと思っていたようです。私は同修と交流し続け、2、3分後には同修の表情が変わり「自分が間違った」との思いが、私に伝わってきました。ほぼ同時に、同修は「良くなった、もう痛くない」と、口にしました。同修は立ち上がり、何事も起こっていなかったかのように自分の寝台まで歩いて行き、ほかの人とおしゃべりしました。以前と同じようにはっきりとした声で話していました。
この過程を書くと、長く感じるかもしれませんが、実際には3〜4分の出来事でした。同修が正常に戻った時、部屋にいる人たちは同修を見て、信じられないほど驚いていました。
修煉は本当に厳粛です。最後になればなるほど、厳しさが増します。 一見普通のことのように見えても、深いところに隠されている執着があるかもしれません。他人から問題を指摘されたり、自分自身が不快を感じたりしたら、それをすり抜けたり言い訳したりせず、あえて真正面から向き合い、執着を探し出して取り除けば、本当に修煉の向上に繋がると思います。
私自身の十数年前の出来事がありましたが、7、8年が経ち淡泊になっていると思っていました。しかし、拘禁中のあの日のことを改めて振り返ってみると、私を傷つけた同修たちに対する嫉妬や憎しみがまた頭に浮かびました。「それらの同修たちが問題を起こし逮捕されて重刑に処されればとか、法を実証することを失敗すればとか」などと思ったのです。というのは、同修たちがその件で自分たちが間違っていたと気づき、私のやり方が正しいと思うようになってほしかったのです。
当時、このような悪念が出るたびに、恥ずかしくて誰にも言えず、本当の自分の考えだと思っていました。私は心性を向上するように努力したり、悪念を排斥したりして、師父からの加持を受けましたが、根本的な問題は解決していないように感じていました。ある日、私は突然「これらの悪念は私のものではない。私に対する迫害で私を破壊させるためのもので旧勢力の按排だ」と気づいたのです。この目醒めた瞬間を掴んで、師父にこれらの邪念と生じた根本的原因である嫉妬心や憎しみを取り除く手助けをしてくださるようにと頼みました。同時に「嫉妬心や怨みの心は私のものではないので、私の空間場に存在してはいけない」と排除しました。すると、体の内側から激しい振動を感じました。
その夜、私はとても鮮明な夢を見ました。夢の中で、私の上顎から細い線が出てきたので、私は手でその線を引っ張ると、上顎に小さな穴が開き、そこから卵大の腐った肉の塊が出てきました。さらに、もう一つの穴があるような気がして、指を突っ込んで中のものを外へ引っ張っぱろうとすると、突然「引っ張ると脳みそが出て来るんじゃないか」という声が聞こえましたが「いや、その中身を抜いたほうがきれいになる」と私は言いながら、卵大の腐った肉の塊を取り出しました。
朝、目が覚めたとき、私は正しいことをしたとわかりました。師父が私の大脳を浄化してくださったのだと悟りました。師父に、感謝いたします!