文/江蘇省大法弟子
【明慧日本2022年7月21日】全国的な「ノック作戦」により2017年9月、元の学法グループの人が転向させられました。それで、私はある人の紹介で成立したばかりのグループに入り、今もずっと集団学法をしています。
私はこの新しい学習グループに来た時、とても嬉しかったのですが、心の中の落差はとても大きいものでした。「このグループは4人で、3人は新学習者で、その中の1人は盲人で、法を聞くことしかできません。また、一人の古い学習者は、自由で来たり来なかったりしています。グループの交流はいつも常人の日常会話のようで、基本的には法に基づいておらず、グループ全体がゆらゆらと揺れ、風が吹くと揺れる草のように、非常に不安定でした。この状況を見て、私はここを過渡期としてしばらく学法した後に、離れると彼らに伝えました。このような考え方で、半年留まりました。
2018年5月、意外なことが起きました。グループの新学習者が町で真相を伝えていたところ、通行人によって告発され、その場で連行され、家財も没収されました。このことが学法グループに伝わった時、グループ全体の学習者はパニックに陥りました。連行された同修が耐えられるかどうか、厳しい拷問の下で私達を裏切るかもしれません。損失を減らすために、しばらくの間学法を中断するかどうか、騒ぎが過ぎてから状況を見て判断しようとみんなで話し合いました。私自身もどうしたらいいか分からずにいました。
そこで、私は静かにこのことを真剣に考えようと自分自身に問い正しました。「大法から考えると、どこへ行くべきですか?」。午後に考えた末、私は同修と交流し「みんなは一つであり、ある同修に何か問題が起きたからといって逃げることはできず、勇敢に取り組まなければ、連行された同修の圧力を軽減することはできない」と感じました。安全上の問題についても、生と死を放下し、師父の要求するように、本当に大法の中で修煉すれば、誰も私達を動かすことはできません。だから、集団学法は止めないと決心しました。同時に、他の同修にも伝えました。「集団学法は、師父が私達に残してくださった形式であり、いくら困難があっても、方法を考えて堅持しなければなりません。集団学法は揺るぎなく、参加することができる人は来てください。来れない人は、無理をしないでください」
このようにグループでの学法を継続していると、私達の遭遇した最初の騒ぎはゆっくりと治まりました。私もこのグループを見下すことをやめ、このグループに残って、グループの一員として続けることにしました。
またたく間に2020年11月になり、誰もある大きな試練が近づいているとは思っていませんでした。「別の古い同修が、スーパーマーケットで真相を伝えている時、顧客によって告発され、そして警察は監視と制御をしながら、警察は彼女の家まで追跡しました。これは3回目だったので、彼女の家はすぐに見つかりました(前の2回は正念で突破できました)。彼女の住んでいる所は、学法の場所から100メートル離れた所で、カメラが至る所にあり、ビデオで見つかりました。今回は明らかに、皆が少し困惑していました。しかし、私は困難があればあるほどより安定し、堅持して、自分自身を放下すれば、窮しても道は開けると思っています。集団学法を停止することはできません。師父は「一つの心が動かなければ、全ての変動を制することができる!」[1]と説かれました。
このようにして、3ヶ月が過ぎました。あの古い同修は、最も困難な時期を通り過ぎて、自分の中にある旧勢力に迫害された口実を見つけ、学法グループ全体はまた洗礼を受け、嵐の中にしっかりと立つことが出来ました。
今日、私達の学法グループは既に5年間堅持しています。各メンバーは三つのことをやっており、師父のご加護をいただき、最後の道をしっかりと歩んでいます。
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『各地での説法五』「2005年カナダ法会での説法」