文/中国東北の大法弟子
【明慧日本2022年7月23日】地元はロックダウンを実施してから40日以上も経ち、私のこれまでの生活リズムは乱されてしまいました。以前、午前は出勤して、午後は真相を伝える活動をし、夕方に帰宅していました。一日のうち夕食だけを家で食べて、帰った時には夫が食事の用意をしてくれていました。リストラされた夫はすべての家事を引き受け、時々アルバイトをします。夫は私の修煉を応援しています。
突然ロックダウンになって、多くの瑣末なことと向き合わざるを得ないことになりました。一個一個小さいことで、私の良くない心はたくさんさらけ出されました。まず、外に出ることができないので、家で師父の各地での説法を一通り学びたいと思ったことです。頭に浮かんだのは「自分のやりたいこと」ばかりで、それは私心でした。
次は三食に関することです。今までの生活リズムの中で、私は「夫が失業して家にいて、私は外でアルバイトをしている。家のために多くの苦労を払っているのは私なので、当然すべての家事は夫が引き受けるべきだ」という観念を成して、夫に対して上から目線になりました。
ある日、夫は私に料理してほしいと言ってきました。「私が家にいるので、すぐ頼んできたな」と私はしぶしぶ作りました。その時私は夫のために料理しようと言う考えはありませんでした。大の男が毎日食事作りのようなこまごましたことに付き纏われて、実にたいへんです。
食事を作る時、ガス台や食器棚がきれいになっていないのを見て、私はそれを理由に夫に怒って、さっきのうっぷんを晴らしました。夫は「あなたはほかの人に優しく接することができるが、どうして私にそうできないのか」と言いました。修煉者としてこんなに言われるのは本当に恥ずかしくて、私はその場で呆然となりました。
夫がタバコを吸い、酒も飲むことに私はとても嫌悪感を感じています。夫がタバコを吸うと私は不快な口調で「廊下に行って吸いなさい」と言い、またいくつか文句を加えないと気が済みません。そこで、自分は気が強くて夫を見下している執着心を私は発見しました。
夫のタバコと酒への嗜好は夫婦喧嘩の引き金だったのです。修煉してから、そんなことで夫を嫌う執着心を放下したと思いましたが、実は全然放下できておらず、ただ喧嘩をしなくなっただけです。以前、私が家にいる時間が少ないため、夫がタバコを吸って酒を飲んでいる場面が見えず、今は外に出ることができなくなって、毎日それを目にしてしまい、気持ちが悪いです。しかし、気持ちが悪い状態は、修煉者の然るべき状態ではありませんね。自分は夫の欠点にこだわりすぎて、包容心が足りないことに気づきました。
ここ数日、食事をしている時、夫は時々「酒は、止めるべき時がきたら、私は本当に止める」と言いました。私が放下すると、夫も変わりました。もし私がもっと早く放下したら、夫はとっくに酒を止めたではありませんか。内に向けて探すのは本当にもっとも有効な方法ですね。
ここ数日の摩擦と試練を経て、文句を言わずに家事をこなすことができました。夫が酒を飲んだりタバコを吸ったりするのを見ても、心は動じなくなりました。夫はとても穏やかな性格で、何事にも執着しません。私は窓ガラスを拭くと、「内側をきれいにしておけば良いので、外側はてきとうに拭けば良い。それより下に落ちないでね」と言ってくれますが、私は内側も外側も全部きれいに拭かないと気が済みません。
フライパンを磨く時は、底をひっくり返してスチールウールで少しずつ磨きます。夫は「てきとうに磨いたら良いよ、あなたは、力強いね」と言いました。自分は完璧を追求しすぎていると思っています。田舎の実家で鍋を洗った時、私は洗いすぎて鍋の底に穴を開けてしまった経験があります。夫に 「強い」 と言われたのは何故でしょうか、それは一種の執着心で、完璧を求めて物事を自然に任せることを忘れていました。
ロックダウンの期間に学法を強化し、1999年「7.20」以前の師父の説法を一通り学びました。そしてまた多くの執着心を見つけました。今は1時間座禅をする時、足が痛くなくなり、入定できるようになって、修煉の醍醐味を体験できました。