文/中国の青年大法弟子
【明慧ネット2022年7月29日】2020年の初め、中共ウイルスが蔓延しているなかで、私の仕事は他の業種のように仕事が半分にならなかったばかりか、反対に倍の忙しさになりました。なぜなら、業績を下げてはならず、会社の要求を達成しなければならないと上司が要求したので、私は毎日頭の中で仕事のことを考えていました。週に一度のグループ学法を除き、基本的に普段は三つのことは抜け落ちた状態で、さらに一歩進もうと法輪功迫害の真相を伝えようとしますが、ひとつも成功せず、落胆していました。
昨年の初め、私は依然として、精進の状態に戻ることができませんでした。多くの同修にもこのような経験があるのではないかと思います。もし学法が足りなければ、たとえ常人の中で何か良いことを得ても、それは一時の安逸であり、実質上、心の中の深い所では非常に焦っています。それは、あたかも夏休みの最終日になっているのに、まだ宿題が終わっていないまま、明日は宿題が点検されることと同じようです。私は、忙しくない仕事に転職して、多く学法をしたいという一念が出てきました。
私は会社の中堅社員で、もし仕事がうまくいけば昇進し続けることができます。収入もかなりあるため、常人からすれば良い仕事だと思われていますが、いろいろな問題の絡みもあり、転職することは困難からの逃避ではないだろうかとも考えました。
私の職場環境は確かに複雑で、プレッシャーも大きく、魔難も少なくありません。いくらかの関を乗り越えましたが、学法が不足しているため、いつも順調にはいかず、時間がかかりました。しかも、職場の技能訓練をするに従って法からも離れてしまい、私の考え方は常人社会の職場主義の影響を受け始めました。また年間の収入、職位、どのように成長しようかなどを考えるようになりました。先月、利益を求める心を放下したはずでしたが、今月にまた試練としてやってきました。そして、常人が問題を対処する方法を採るようになっていました。
私はあれこれ考えましたが、これほど時間が経過しても改善せず、精進していないため、問題への対処の仕方が段々と常人のようになりました。そのため私は、やはり忙しくない環境に変わろうと思いました。法を良く学べば、どこに行ったとしても修煉することができます。
この考え方を抱いた後、小さな会社に転職するチャンスがあり、私は躊躇することなく、そこへ行くことを選択しました。ウイルスが流行っている状況の下で転職してはいけない、安定した収入は必要だという同修の善意の忠告も中にはありましたが、修煉の道はやはり自分で決めて、歩むべきだと思いました。私たちはどんな状況下でも、いかに速く向上できるかを分析すべきです。私たちにとって目の前のどんな環境も修煉の場であり、心性向上の助けになります。もし、心を静めて学法できずに迷ってしまうなら、それは本末転倒ではないでしょうか。
さらに私はこの数年間の経験の中で、大きな選択問題に出くわし、正念に基づいて1つの選択をしましたが、比較的順調な時には基本的に問題はありませんでした。
師父は「もし自分の修煉が良くなければ、多くの学習者が経験しているように、あなたがしたことはあまり順調に行かないでしょう。多くの厄介なことに遭うかもしれません。あなたが修煉について行けて、普段の修煉もしっかり出来て、何かをする時は常に修煉状態を保つことができれば、問題が起きた時は容易に解決することができます。皆さんはこの事を身をもって体験されていると思います。しかも、皆さんは仕事のために仕事をしているのではなく、圓満に向かって行っているのです」[1] とおっしゃっています。
師尊の慈悲のお蔭で、私は転職することができたことで時間が比較的自由になり、仕事量も以前より少なくなったため、毎日同修と一緒に学法する時間がとれるようになりました。この数か月で転職することなど思いもしませんでした。会社の収益も特に良く、私の収入は下がるどころか、逆に大企業にいた時より多くなりました。
実は以前の仕事の中でも、心を放下できれば、状況はすぐに『柳暗 花明 又一村』[2] (苦境を経てようやく希望が見えてくること)というように突然良い方向に変わって行きます。しかし私は転職が良いことだと言っているわけではありません。
ここで私は仕事上でのある不思議な体験を分かち合いたいと思います。私は転職する前からよく考えていたことは、転職後の仕事は収入があればあるでよく、あまりなければないで気にせず、足りなければ貯蓄を崩せばいいのだ、と考えていました。いずれにせよ、私は学法の時間だけは確保しなければいけないと思っていました。実は思いがけないことに、失ったものは何もなかったばかりか、学法の時間を多くとることができるようになりました。これはすべて師父の按排してくださったことです。師父に感謝致します。
学法を始めて3か月が経過しましたが、集中して時間がとれるというわけではありませんが、毎日平均して2時間位の時間をとることができます。学法を始めた最初の月は法に対する悟りが悪く、文字の表面の意味しか悟れず、私はやや焦り、自分の法の理解が低く、とても劣っていると感じました。学法時間の蓄積と同修との交流や励ましによって、現在学法が良好な状態に戻ってきました。内に向けて探すことが徐々に強まり、頭が明晰になり、常人の友達は私の顔色がとても良いと言います。自分でも毎日心が充実していると感じています。
私は今回の転職で体得したことを更に多くの青年の同修と分かち合いたいと考えています。私は比較的幸運な弟子だと思います。多くの同世代あるいは年齢の近い同修と知り合いました。多くの同修は非常に精進していますが、様々な人間の観念によって妨げられている人もいます。
例えば、以前の私のように、仕事が忙しいために、心の中に法があるにもかかわらず、心を静めて学法ができず、一日24時間の大部分の時間が法の上になく、常人の考えと混同してしまい、仕事の事情によって余裕がなくなっています。またあるいは、結婚して子供を産んだ人の中には、同修と一緒に交流する時、その人がよく修めたいと思っていても子供からの電話一本によって、完全に目の中の光彩が覆われてしまいました。名利を追求し、スマホを見る事で一時の快楽を得て、修煉をとても苦しく感じる人もいます。
当然のことですが、放下できないものがある一方、自分があまり精進していないことによる自責の念をもち、既にみんなについていけなくなっているため、グループ学法をしたくない状態が現れます。両親が迫害を受けている者や怖れる心が生じた者、常人の安逸な生活をしたいと思っている人もいます。実は以上述べたこれらは、私たちが修煉を始める妨げとなっている観念なのであって、決してあなたの考えではありません。あなたは大法弟子として、億万年待ち望んでいたのに、この一時のために、どうして法を放下してしまおうとするのでしょうか?!
師父は経文の中で常に本を多く読むようにと説かれています。本を多く読むようにというのは教えではなく、法を学ぶことなのです。学法を多くすれば、それらの観念が自然となくなり、生活の中のことも学法と実修の道で、上手く処理することができます。たとえ様々な「面倒なこと」が起きても、あなたの心に法があれば、大法弟子は内に向けて探すことができ、自分の正しくない要素を正すことができます。そうなれば、もう常人のように面倒な措置を採る必要はないのです。
ある同修は忙しすぎて本を読めないと言っていますが、スマホを見ることでリラックスしたいと思っています。私も最初はこのような言い訳をしていました。その後の学法で、師父は説法の中で私がどうしてそのような状態になったかの理由を教えてくださいました。なぜならこのような言葉を言うのはあなたではなく、業力だからです、と師父は仰っています。
師父は次のように説かれています。「私が既に言ったように、人間の身体は衣服のようであり、誰かがそれを着たらその人になります。人間の考えは帽子のようであり、誰かがそれを被ったらその人になります。口では時間がないと言っていますが、実はこれは業力が言った話であり、彼に本を読ませないようにしています。彼にいろいろなことがあるようにし、本を読むことを思い出させないようにしています。これが法の中でよくあらわれる問題なので、くれぐれも気をつけてください」[3]
現在、さまざまな事情で忙しい同修が、本を読むための時間をより多くとれる方法を見つけることを願っています。また眠ってもいけません、それはすでによくありません。学法について来られれば、状態はすぐに回復し、マイナスな考えは法によって解消されます。法をよく勉強することによってのみ、人々を救うことがしっかりできるのです。学法グループの精進している学習者は、より寛容な環境を提供し、周囲の人達が遅れをとらないようにすべきです。
師父の経文は、ますます時間の緊急性を示しています。師父の猛喝の下で皆さんが目を覚まし、ますます精進することを願っています!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『大紀元新唐人メディア法会講法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の経文:『北米第1回法会講法』