文/台湾の大法弟子
【明慧日本2022年8月22日】私は台湾の大法弟子です。いよいよ今年、台湾は神韻公演を迎えることができました。新型コロナウイルスの流行のため、神韻公演は台湾で2年も行われませんでした。以前、神韻宣伝に携わる中で同修と協力して、心性を高める過程を思い出し、皆さんと共有して励まし合いたいと思います。
プレゼンターの資格試験を受ける
私は神韻の宣伝活動に参加してもう10年になります。地元で宣伝チームが設立された当初、私は協調人に自己推薦をして、宣伝チームに入りました。
ある日、神韻を宣伝するためのプレゼンターの資格試験を見習うために、地元の協調人のAさんと一緒に台北に行きました。当時、プレゼンターたちは授業を受けてトレーニングをし、資格試験を受けなければなりませんでした。試験に通らなければ、ステージに上がってプレゼンを行うことができません。試験に合格した後、決まったセリフを覚えて正装をしてステージに上がる、という標準的なやり方でプレゼンを行っていました。
私の常人社会での仕事は、よく舞台に上がってスピーチをするので、舞台に立って演説するのは私にとって難しいことではありません。Aさんに「やってみないか」と誘われて、何の準備もしていないのですが、難しいことはないと思って私は同修が提供してくれたスーツに着替えて、試験に参加しました。
結果は、想像しても分かります。神韻公演に対して敬意を持たず、神韻の深い内包も理解していなかったため、弁才があるだけでは合格できませんでした。ある審査員は「神韻公演の宣伝活動は偉大なプロジェクトで、軽い気持ちで講壇に上がって紹介してはいけない。神韻に対する敬意、および審査員に対する尊重を念頭において、準備をしていない方は試験に参加しないでください」と言いました。その言葉は私の心に重く響きました。そうですね、軽率に試験を受けるのは大法に対して不敬であり、師父に対しても不敬でした。
帰ってから、私は真面目に準備をして、多くのトレーニングに参加しました。それで、地元の第一回の神韻宣伝プレゼンの試験に合格しました。合格と聞いた時、感動して涙を流しました。
神韻宣伝を行う中で向上する
2年目の認定試験が始まる前は、私は神経を緩めず、所定の資料を暗記しました。試験の当日、「今日のプレゼンはとても流暢で順調で、きっと合格できる」と思ったのですが、意外に不合格でした。審査員の理由とは、「マイクから音声が聞こえず、審査員たちはまったくあなたのプレゼンが聞こえなかった」ということでした。
「マイクが音を出していないのは機材管理係の問題なのに、どうして私はそのせいで不合格になるのか」と思い、家に帰り修煉しない夫に不満をぶちまけました。夫は私の味方をして、「理不尽だな、もう神韻プロモーションに参加しないほうがいい」と強く言いました。夫の強い反応を見て、「きっと自分の強い執念が夫にまで影響して、夫はついそんなに強い発言をしたのではないか」と内に向けて探しました。
探した結果は、「プレゼンターは現場の雰囲気をリードする役なので、その場にいる観客はプレゼンターの言った内容と情緒に影響される。プレゼンターは観客の反応にいつも注意してこそ、はじめて最善でタイムリーに対応をすることができる。マイクが音を出していないことにさえ気づかないのは、私が自分にしか注目せず、観客に関心を持っていないことを語っている。それは私心ではないか、神韻の宣伝をうまくやれるはずがどこにあるのか。それこそ取り除くべき執着心ではないか」と分かりました。
そこで、元気を取り戻し頭を整理して、もう一回認定を受け、やっと合格しました。それから何年もプレゼンターをしてきました。その後、決まったセリフをやめてプレゼンの内容も統一しなくなり、内容はプレゼンター自身で作ることになりました。これは、プレゼンターに対する要求がさらに高くなり、特に内容の準備とPPTの作成において多くの時間と労力を必要としました。中国古典舞踊とは何か、伝統文化とは何かを理解するために、私は常人の書籍を多く読みましたが、答えが見つかりませんでした。そこで、毎年の神韻公演の演目や神韻公式サイト、同修たちの交流を参考にして、師父の説法を学び、何度も何度も神韻の伝えたい内容を考えて理解を深めました。
内に向けて探す
初期のプレゼンはよく結婚式、誕生日祝いのパーティー、団体の忘年会などのお食事会を借りて行われ、現場はいつもとてもうるさいのです。このような場では宣伝効果が良くないと思って、私はそのような形がとても嫌いでした。
ある日、ある団体の食事会に参加しました。ステージでは常人のショーをしていました。協調する同修のBさんはみんなに、各テーブルを回って来賓に神韻チケットを買うかどうかを尋ねるように指示しました。ステージで演奏する音楽のボリュームが大きすぎて来賓は私たちの質問がよく聞こえないので、Bさんはまた質問を紙に書いて来賓に意思確認をするように指示しました。玄関にブースを設けて来賓にチケットを買うかどうかを尋ねればよく、各テーブルを回るやり方は止めたほうがよいと思って、私はその場で反対意見を言いました。Bさんは私の意見を後にして他の同修を連れて各テーブルを回り続けました。
同修の後ろ姿を見て、自分には苦労を恐れ、メンツを重んじ、来賓に断られることを恐れる心があると分かりました。同修たちはメンツなどを捨ててチケット購入の確約を取得するために努力しているのに、私はまだ執拗に自分の意見を固守するのでしょうか。これでは皆さんと一つの全体になることはできなくなるのではありませんか。そこで、私はすぐに観念を捨てて、同じように各テーブルを回って来賓に聞きました。執着を捨てたら、ある来賓は遠くから私を呼んで、簡単に開演時間を尋ねて、すぐに現金を払って10枚のチケットを予約してくれました。私が神韻公演の紹介すらしていないのに、なんと彼はもうチケットを購入しました! これは、私が良くない執着を取り除こうとしたので、師父は励ましを与えてくださったと分かりました。
またあるライオンズクラブの集まりで、当日私は広報担当を担当しました。その日の妨害は多く、プレゼンターは影響されてプレゼンの効果が良くなく、プレゼンターがステージで途方に暮れていると感じました。しかし私はすぐに発正念をしないだけでなく、プレゼンターの漏れたところばかりを気にしました。終わった後、プレゼンターは自分がうまくできなかったためにとても落ち込みましたが、「どうしてみんなが発正念してくれなかったのか」と周囲を責めたりしませんでした。私は内に向けて探して自分を責め、プレゼンターに「申し訳ない、私自身もよくできなかった」と謝りました。
私たちがお互いに自分の不足を探して、相手を責めなかったからかもしれませんが、突然、ライオンズクラブの他の地区の会長がやってきて、その地区に行って神韻宣伝のプレゼンをするように私たちを招待しました。執着心さえ捨てれば、得るべきものはきっと得られる道理があらためて分かりました。
修煉者の一つ一つの考えは、師父が見ておられ、天上の神々も見ており、周りの常人も私たちの考えに動かされているので、私たちが正しい念を持ち執着を除去すれば、必ず苦境を突破できるのだと思いました。