文/山東省の大法弟子
【明慧日本2022年10月1日】娘は1994年生まれです。娘が3歳の時に私は大法の修煉を始め、娘も一緒に師父の説法を聞きました。
ある日、娘は跳んだりはねたりしながら鏡を見ていましたが、「ママ、早く来て! 私の髪は青色でくるくるしているよ!」と叫びました。私は直ぐに駆けつけてみたのですが、鏡に映った娘には何の変化もありませんでした。しかし娘の真面目な表情を見て、これは娘の天目が開いて真の自分を見ることができたのだとわかりました。
1、一片の雪
師父は説法の中で「私が法を伝える時になると、神は雪が舞うように降りてきました。それほど多いのです」[1]とおっしゃいました。
それから、娘はよく私と一緒に学法、煉功し、一緒に出かけて人を救う資料を配ることもありました。夢の中で師父がとても美しいところに連れて行ってくださったと話したこともありました。それは「西遊記」に描かれた、翡翠の家に金色の釘、朱色の扉に色とりどりの鳳凰が舞い、随所に龍と鳳凰が舞い上がる精緻な彫りが施された宮殿のような仙人の住み家で、不思議な花と草があるような場所で、美しさは枚挙にいとまがありません。師父はまた、そこは娘の家だと伝えられました。更に、師父はよく娘の口を借りて私を励まし、啓示を与えてくださり、私の修煉を大いに助けてくださいました。
2、遠方に進学し、大法から離れる
娘は遠い所にある大学に入学してから、私と一緒に居る修煉環境を失いました。そして徐々に常人という「染め物がめ」で汚染され、修煉をほぼ放棄してしまいました。スマートフォンに時間を費やし、ネット動画を見たり、ネットショッピングをしたりすることにはまっていました。私はよく彼女に時間があるときは学法をして、修煉を放棄しないよう促しましたが、彼女は聞く耳を持たない上に、口を酸っぱくして言うと毛嫌いしました。仕方なく、段々とやりたいようにさせるようになりました。院試に合格してからは学業のストレスが大きく、いわゆる鬱病の状態になりました。毎日「生きる意味なんてない、死んだほうがましだ」と愚痴をこぼしました。
娘は私に対する恨みが深く、常に、小さいころ私は彼女をぶったり叱ったりして、大して頭が良くなく、賢くないから、周りから抜きん出ることができないのだと文句を言いました。また、私が彼女の人生を壊した、一生恨むなどとも言いました。他にも私を刺激する言葉をたくさん言い、彼女と話すたびに腹が立って涙を流しました。当時私には不平に思う心、恨む心、怒る心がすべて現れていました。私は手塩にかけてやっと娘を育て上げ、大学院まで通わせたのに、彼女は感謝するどころか私を敵のように扱っていることを解せませんでした。更に気がかりだったことは、もし彼女がある日思い詰めたらどうしようということでした。
3、恨む心を修めると、道が開ける
私は娘の状態が正しくないと知っていながら、私の状態も常人と同じにすぎないどころか、常人にも及ばないときもありました。師父は、「いかなることも偶然ではなく、いずれも二つの要素があります。あなたに試練を与えているのか、あなたを手助けしているのかのどちらかです。この二つの要素です。自分で考えてください。偶然なことはありません」[2]とおっしゃいました。私は、娘の状態は偶然ではなく、私を修煉させて向上させるためだと考えました。では私に何を修めさせようとしているのでしょうか? 娘が電話して来るとき毎回私を恨んでいたことを思い出しました。それは私に恨む心をなくさせようとしているのではないしょうか? 私は自分に恨む心があるかどうか探さなければなりません。
探してみると驚きました。私の恨む心は大変重かったのです。先ずは義母に対する恨みです。義母は男性を尊び女性を卑しみ、私の子育てを手伝ってくれませんでした。次は夫がひ弱で女々しく、私の側に立ってくれないことを恨み、それから娘が恩を仇で返すことを恨んでいました。娘の態度は私に見せるためであって、私に恨む心を修めて取り除かせようとしているのだとわかりました。私は恨む心をなくすことを決心し、娘に電話して「お母さんが間違っていた、謝ります。あなたが小さいころにぶったり、叱ったりするべきではなかった。あなたのことを傷つけてしまった、ごめんなさい」と誠意をもって謝りました。それ以降、私は恨む心を修めることを重んじました。
この心をなくすのも容易いなことではありませんでした。しばらくするとまた出て来ました。しばらくないように見えても、数日後にはまた現れます。現れる度に娘から電話がかかってきて、私に文句を言います。私は慌てて内に向けて探し、この頑固な恨みの心を取り除きました。その後、義母と夫に対する恨みの心が無くなったと感じました。しかし娘はやはりたまに電話をかけて来て文句を言いました。私は続けて探し、他の人に対する恨みの心を見つけることができ、それを取り除きました。
こうしてしばらく繰り返していくうちに、私は心性の向上を感じ、以前私を傷つけた人のことを考えても心がふさぐことはなく、気楽になりました。私は心の底から彼らが業を滅する助けをしてくれたことに感謝し、少しも恨まなくなりました。
私はこれでこの関を乗り越えたと思っていました。しかしある日、娘はまた電話してきて私に文句を言いました。今回はさらに激しく、聞くに堪えないもので、いつかは全てにけりをつけるとさえ言い出し、まるで私たちの間に解けることのないわだかまりがあるかのようでした。
電話を切り、私はすぐに、邪悪が娘を利用して私を妨害することを絶対許さない、師父が私の面倒を見てくださっているので、至らないところがあれば法の中で正す、と正念を発しました。
すると、その日の夜、娘から電話があり、初めて私に謝りました。自分が間違っていた、私を傷つけるような発言をするべきではなかったと言いました。
4、観念を変えると、娘は再び学法する
それ以降、娘が私に文句をいうことはほとんどなくなりました。しかし彼女の状態はまだ優れず、時々自分を卑下し、消極的になることがあると感じました。私は、彼女に真面目に学法し、着実に修煉し、早く観念を変えるよう促しました。彼女は分かっていると言いましたが、何日過ぎても依然として改善しないままでした。私は困惑して、どこを誤ったのか全く分かりませんでした。
ある日、明慧ネットで私はとある同修の交流文章を読み、心が大いに揺さぶられました。師父は私がまだ悟っていないのを見かねて、同修の文章を通して私を諭して下さいました。娘に観念を変えるよう促しているが、自分の観念は変わったのでしょうか。娘の状態については、口で言わなかったものの、心の中で「鬱病」とみなしていて、これは病気だと認めているのではないでしょうか。真面目に学法するよう促し、学法によってのみ状態を変えることができると考えるのは、大法に病気を治すよう求めているのではないでしょうか?
なるほど娘の状態は私の観念が間違っていたために生じたのであって、私の問題でした。彼女の状態は「鬱病」ではなく、師父が彼女の思想業力を取り除き、表面まで押し出した時の反応であり、物事は極まれば必ず逆の方向へ転化し、これは業力が滅びる現われであり、良いことです。その瞬間、私の考えが変わり、心が一気に軽くなり、体も軽やかになったと感じました。
次の日、娘は電話して来て、気分が良くなり、真面目に学法できるようになったと話しました。更に数日後、嬉しそうに電話で、「お母さん、私は戻ったよ、大法の中に戻ってきたよ!」と言いました。私は「観念転ず 腐敗物は滅され 光明が顕あらわれる」[3]を真に体験することが出来ました。また、師父はずっと子ども弟子を見守ってくださっていることも体得できました。
結び
この一連の出来事を通して以下の二点がわかりました。一つ目は師父を固く信じ、大法を固く信じることです。娘の状態が最もひどかった時、私が最も彼女を心配して崩れそうになった時に、「私には師父がいらっしゃる、師父の按排に従う」と考えると心はすぐに落ち着きました。
二つ目は内に向かって自分を修め、他人を修めないことです。娘の状態はどうであれ、娘の現れを目に留めず、娘を修めるのではなく、着実に自分を修めるべきです。
振り返ってみると、娘は私の向上のために演出し、私の向上を助けていたのだと感じ、心から感謝すべきでした。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十四』「大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『洪吟』「新生」