混乱のウクライナ戦時下で真相を伝える
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文/ウクライナの大法弟子

 【明慧日本2022年10月11日】ウクライナのハリコフの法輪功学習者(以下、学習者)である私は、2022年2月24日未明、爆発の音で目が覚め戦争が始まったと思った。その時は、まだ眠いのにと思い、戦争の深刻さをまったく理解できていなかった。

 開戦初日から、ハリコフはさまざまな武器で攻撃を受けた。私たちの地域のインフラは絶えず爆撃され、電気が止まり、インターネットも使えなくなり、冷蔵庫や電気コンロも使えず、食事も作れなかった。停電は約2週間続いたが、私は悲しんだりしなかった。窓ガラスが割れてしまったが、防水シートを貼った。後で機会があれば修理できるし、こんなことで私は落胆しなかった。しかし通信が回復し、大半の学習者がここを離れたと知った時、私は悲しくて泣いた。

 開戦前、当地の学習者は毎日のように都心の街で煉功していた。寒さが厳しくても、小雨が降っても、同修たちは煉功して、法輪功とは何かを伝える資料を配布し、中国共産党(以下、中共)による迫害を止めようと署名を集めた。今にして思えば、そのような天気も、あの日常生活も、とても快適な環境だったと気づいた。今はとても厳しい状況で、学習者はほとんど残っていない。

 師父は「たとえ社会が激動していても、大法弟子の使命を変えることができません」[1] と語られた。

 私は、ここを離れることを考えたことは一度もない。しかし、戦争下でどう「三つのこと」を行うのかを考えて困惑していた。

 戦争が始まって以来、ハリコフはずっと麻痺状態にある。交通機関は停止し、地下鉄は防空壕として使われている。一部の食料品店や薬局を除き、すべての企業や店舗が閉鎖された。私が衝撃を受けたのは、人々が人道支援を待っている間に爆発で死んでいることだ。ここでは、子供を含めて多くの人が死んでいる。この状況は怖くて気味が悪い。しかし、向き合わなければならない。

 私は法輪大法とは何かを紹介する新聞を少し持っていたので、街に出て人々に法輪功について紹介した。約2週間後、2人のベトナム人同修もここを離れず、真実を伝える資料をたくさん保管していることを知った。この知らせは、私を勇気づけた。

 2カ月以上、ほとんど途切れることなく砲撃を受けた。砲弾はアパートや車を直撃し、街中で爆発した。市民は防空壕に隠れ、食べ物を探す時だけ外に出てくる。あとどれくらい持ち堪えられるか分からなかった。私たちは毎日、支援物資を受け取るため、氷点下の天候で滑りやすい道を4、5時間歩いて列に並ぶ。その間に、できるだけ多くの人に大法の真実を伝えている。私は、あまり恐れていない。正しいことをすれば、師父と正の神々がきっと守ってくださると信じている。

 私は『轉法輪』から、戦争は天象の変化であると知った。多くのウクライナ人は、心に憎しみを抱えているが、憎しみは私たちを滅ぼしかねない。憎む心を取り除くようにと、善意を持って人々に伝えた。自分の行動と考えに目を向け、すべてにおいて正しいかどうかを反省するべきなのだ。

 より多くの人と話ができるように、私たちは屋外で煉功することにしている。人々は買い物をする時だけ外に出てくるので、私たちは市場と食料品店があるところを煉功場にしている。私たちは毎日外に出て真実を伝える資料を配布している。頭上を砲弾が吹き抜ける音がして、落下するところを見たこともあった。

'图1:我们在市场外炼功(哈尔科夫大法弟子提供)'

市場の外での煉功(ハリコフの学習者提供)

 今、人々に法輪功を紹介する時、私はいつも「この功法は人々を健康にして、穏やかにしてくれます。そして最も重要なことは、善良な人にしてくれることです」と伝えている。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇二一年台湾法会へ』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/6/24/445100.html)
 
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