文/海外の大法弟子
【明慧日本2022年10月22日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
西洋人の学習者が師父の画像を送ってくれた
ある西洋人の学習者には、いまも会ったことがありませんが、長い間あるプロジェクトのグループにいて、私に師父の画像を送ってくれました。その画像では師父が天上から下りて来られ、燦然たる輝きを放っておられました。随分経ってから私は画像の下の部分に「誓約」の2文字があることに気づきました。
この同修はこのような内容があることに気づいていないようでした。私は思わず胸に手を当て、自分は誓約を果たしているだろうかと、自問せずにはいられませんでした。私が思ったことは、もし私が翻訳の仕事をすると誓ったのなら、私はその仕事に十分力を注いだだろうか? 身を入れて仕事をしただろうか? やはり任務を終わらせたにすぎないのではないか? 毎月の最低のノルマをこなしただけではないのか? 私はパソコンの中の一つひとつのファイルや文書、そして自分がどのようにやってきたのだろうかと思いチェックしました。私は自分がやってきたことはまるでなっていないと感じました。私は西洋人の学習者が次に校正して仕上げてくれるからいいのだといつも思っており、翻訳の出来具合の重要さについて考えてもみませんでした。
私は「誓約に違反することの重大性」という文章を読んで間もなく、私たちは明慧のために翻訳すると誓ったのですから、私はしっかりと誓約を果たさなければならないと認識しました。
私が好む事と好まない事
私はちょうど彼女たちの会話を聞いて、どうして学習者たちがプロジェクトに対してこのように選り好みをするのだろうか、それは師父が按排されたものではないですか、と思いました。師父は「将来は寺院で修煉する専修の弟子も常人の中へ行って行脚しなければならないのです」[1]と説かれました。行脚はとても苦しく、私たちはやりたいことを選べるのでしょうか?
ですから、もし私が、他の人の話が法から外れていると感じたのであれば、それは自分の執着を探すための一つの機会なのです。私はいつも自分が「好む」か、「好まない」かを考えていました。そして私はある出来事を思い出しました。
すでに午後6時になろうとしており、編集者は私にメールを送ってきて、文章のチェックはどうなっているかと問い合わせて来ました。私は発正念をする時間になる前に、気分が落ち込み、どうしてこのような好きでもない文章をチェックすることに誘われてしまったのかと思いました。私は発正念をしている時、私はただの原稿のチェック係にすぎず、中立的にチェックした上で意見を提供すればいいのだと認識しました。私は読者調査をしていませんし、消費者を体系的に理解していません。私は無条件で編集者の指示に従うことができれば、提供した中の肯定的な意見にはいかなる観念もないので、それで良いのです。発正念を終えてから、私は文章をチェックし、タイトルを変更し、内容も変更し、こうすることが適切であると思いました。
私は常に前向きな考えを持つべきです。ある同修が、物を遠くにして読まないとはっきり見えないと言っていました。そして、私は彼に笑いながら「どうしてそのようにする必要があるの?」と聞きました。彼が言うには、以前別の学習者が同じようにやっていて、その時は彼も、その学習者のことを笑っていたそうです。そして「花も花でなくなる、四十八」(訳者注:中国では老眼の事を「花眼」と言い、40代は気をつけるべきという意味)と言いました。私も同じようになるかもしれないため、他人を笑うべきではないと認識しました。
修煉は厳粛なことで、同修に消業の状態が現れた時、私たちは彼らを支援すべきであり、非難したり、嘲笑したりすべきではありません。私たちは否定的な考え方をしてはいけません。最近、私は他にも原因があることに気づきました。もし、ある同修あるいはその家族が、周囲の同修によって模範とされたり、過分に頼られるなら、旧勢力は口実をつけて、彼らを迫害するのです。なぜなら私たちの修煉には基準がないからです。さらに私が見たのは、修煉者同士の同修は夫婦関係がとても良かったのですが、その後片方が亡くなりました。ここには情の要素が絡んでいます。
このことは大法のプロジェクトを一緒に行う際の情を私にさらによく理解させました。私たちは互いに支え合い、協調し、私たちの誓約を果たすべきです。私たちは修煉によってこの情を取り除くべきです。情による原因で、もしかすると私たちは挫折するかもしれず、ひいては邪道に行ってしまうかもしれません。私たちのこのプロジェクトは、他のプロジェクトとは違い、同修に会うことができます。ほとんどの時間、多くのことを自分ではっきり分かって行う必要があり、私を助けることのできる人はいません。私は人と付き合うのが好きですし、このプロジェクトは私の修煉を助け、顕示心を取り除いてくれます。
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『米国西部法会での説法』
(2022年明慧部門法会の発表文章)