文/欧米の大法弟子
【明慧日本2022年11月16日】最近、ある同修と話したとき、彼女は、「学法後の修煉体得を交流する気がなくなった。体得を話しているのは主に私たち2、3人しかいないし、ずっと修煉体得を話していない学習者のことで嫌な気持ちになった。私はいつも自分の短所や欠点をオープンにすることで、批判を受けていると感じている。しかし、他の人は自分の短所を隠していると感じている」と話しました。彼女とさらに話し合いましたが、最終的には、お互いに内に向けて探し、他の人からの見返りを期待せず、批判されることを恐れず、無条件に交流を続けるべきだということに一致しました。そのためには、自ら率先して手本を示すことが一番です。
また、他の同修を批判するのではなく、同修たちのやる気を引き出し、交流できるように手助けの方法を模索すべきです。誰もが言葉や文章で表現する力を持っているわけではないので、同修の考えを整理することは、大きな助けになるかもしれません。私たちは誠意を持って、結果を期待せず、援助すべきです。
私と彼女は、「自分が大法に対する理解を声で出すことは本当に良いことです。声に出すことで法への理解が深まるからです」と、意見が一致しました。学校で生徒が宿題を見直すように、その過程で理解が深まります。ですから、修煉体験を分かち合うことは、自分にとっても他人にとっても非常に有益なことなのです。
話が終わるころには、私と彼女は「自分の認識だけで人を判断しないこと、積極的に他の人を交流できるように助けてあげること」など、お互いに多くを学んだ気がしました。
つい先日、チャットグループから「今度の法会のために修煉体験を書きましょう」と欧米人に呼びかけるメッセージが届きました。私はすでに交流文章を提出していたのですが、わずか2、3日後に別のチャットグループで同じ話題が再び取り上げられました。「なぜ私たち修煉者が修煉の体得を交流する必要があるのか」と、より深く考えさせられました。
師父は私たちに、修煉体験を交流するようにとおっしゃいました。私たちは皆それを知っているのです。
師父は新経文で、「法会で皆さんは修煉の体験をシェアし、自分自身の欠点に照らし合わせ、今後の修煉の中で自分自身を高めていき、これは非常に素晴らしいことです! 大法弟子としてこのようにしなければならないのです。なぜならば、皆さんは修煉の中で自分自身を高めてはじめて、行うべきことにしっかり取り組むことができるからです」[1]と、説かれました。
これを読んだとき、本当に師父の励ましを感じ、さらに理解が深まりました。師父は私たちに『轉法輪』を与えてくださり、本を読むように要求しました。というのは、法を読んでいるうちに法理が現れるからです。
師父は、法を学ぶだけでなく、修煉体験を交流するようにという形を要求されました。私個人の理解では、法に則って修煉体得を交流することで、自分の法に対する理解力が高められるだけでなく、私たち修煉者全員も法に対する理解を深めることができると思います。
師父が私たちに体得の交流を求めたのは、もっと深い理由があるはずで、それは最終的には慈悲と知恵につながるのです。私は、修煉において、無駄なことや単一の目的のためだけに行われることはないと思っていますし、同修たちの修煉体得の交流も同様だと確信しています。
冒頭で紹介した同修は、今朝のグループでの学法を終えて、改めて自分の修煉体得を分かち合いました。彼女は「もし、暫く日にちが経って、学法後の交流で交流する体得がなければ、それは私に対する警告だと思っています」と、語りました。
「私たちは法を学び、主意識を修煉しています。日々に出会う物事は、私たちを向上させるためです。例えば、2週間の間、自分の生活の中で起こったことが自分の修煉に結びつかなければ、修煉をしているとは言えないと思います」と、彼女は自分の認識を解釈しました。
最初は彼女の話が「厳しいすぎる」と思ったのですが、よくよく考えてみると、彼女の言うことは道理にかなっているのです。法会は毎年開催されますが、交流文章を書くのは、自分の修煉をまとめ、同修や師父に対する責任を果たすための機会だと思わなければならないでしょう。
注:
[1] 李洪志師父の経文:「ヨーロッパ法会への祝辞」