【明慧日本2023年1月25日】安徽省阜陽(ふよう)市の法輪功学習者・範文芳さん(60代女性)は、2020年7月、路上で警官によって不当に連行された。現在、範さんは阜陽市女子留置場に拘禁されている。
範さんは、阜陽市潁州区文峰社区病院の産婦人科医だった。法輪功を学んだ後、範さんは真・善・忍に従い、より良い人になるように努力し、心身ともに恩恵を受けた。しかし、1999年7.20、中国共産党当局が気が狂ったかのように法輪功迫害を開始した。範さんは法輪功を学び続けているため、数回も不当に連行されて拘禁され、2回洗脳班に入れられ、労働教養処分を3回科され、2度も実刑判決を受けた。拘禁されている間、範さんは残酷な拷問を加えられた。
合肥女子労働教養所に3回拘禁され 瀕死状態になるまで迫害された
2000年3月、範さんは阜陽市610弁公室の警官に連行され、合肥市女子労働教養所に送られた。範さんは断食して迫害に抵抗した。しかし、警官は6、7人の受刑者に指示して、3本のスプーンなどの器具で範さんの口を開き、舌を押さえ、何度も残酷な灌食を行った。灌食の際、受刑者らは範さんの髪の毛を大量に引き抜き、耳と鼻を引っ張って、唇、口、舌、喉を器具で傷つけた。灌食を繰り返した結果、範さんは極度に痩せ、2001年3月、瀕死状態になって、自宅に帰された。
拷問のイメージ図:野蛮な灌食 |
範さんは教養所から帰宅して、体が完全に回復していないうちに、また、警官に合肥女子労働教養所に戻され、半年ほど拘禁された。そして、息も絶え絶えの範さんは担架に乗せられて、帰宅させられた。しかも、警官は範さんの夫から治療費数千元強を請り取った。
2002年の初め、家で法輪功を学んで、自力で立つことができるまで回復した範さんは、再度、阜陽市610弁公室の警官に連行され、合肥女子労働教養所に送られた。教養所で範さんは断食をして迫害に抗議した。しかし、警官は受刑者4人に範さんを監視するよう指示した。4人は範さんの頭、両手、両足、体をベッドに紐で縛りつけて点滴をし、トイレにも行かせなかった。その後、警官はバケツを持って来て、トイレとして、範さんに使わせたが、いっぱいならないと捨てることを許さなかった。範さんは今回も死に瀕するまで迫害をされた。
拷問のイメージ図:死人ベッド |
阜南留置場、潁水留置場で拷問され瀕死状態になった
教養所から帰った範さんは、2002年9月に警官に阜南留置場に連行された。そこで、範さんはまた、灌食の拷問を受けた。そして、栄養不良や低血糖症などの症状が現れ、生命の危機に瀕して、家に帰された。
家で1日だけ過ごした範さんは、また潁水留置場に連行され、30数日間迫害を加えられ、瀕死状態で解放された。
臨泉県留置場で半年以上迫害される
2003年5月25日、阜陽610弁公室の裏操作により、範さんは阜陽市公安局の警官に連行され、臨泉県留置場で6カ月以上拘禁された。
範さんは断食で迫害に抵抗したが、残酷な灌食と拷問を繰り返された。灌食のたびに、留置場の所長と警官は7、8人の男性受刑者に指示して、範さんを地面に押さえつけ、髪の毛を引っ張り、頬を圧迫し、口をこじ開けるようにさせた。範さんは歯8本を落とされ、残りの歯もすべて緩んでいた。失禁したり、気を失ったりしたこともあった。
範さんは、警官に唐辛子水と内容不明の薬物を投与されたこともある。ある時には警官に服を脱がれ、辱められながら、灌食されることもあった。
2度の判決を受け、2度も安徽省女子刑務所で残酷な拷問を受ける
2003年12月3日、阜陽市610弁公室の直接操作で、潁州区検察庁と潁州区裁判所は、半年間、拘禁された範さんを担架で法廷に運び、不当に裁判を行った。範さんは懲役7年の判決を言い渡され、宿州の安徽省女子刑務所9監区に収容された。9監区に拘禁されている範さんが、刑務所側に死んだと公に嘘の宣言をされた。範さんは迫害に抵抗するため、3年間断続的に断食を行ったが、そのたび、警官に赤い布で口を塞がれたり、髪の毛を引っ張られたり、足を掴まれたりして、強制灌食で歯を全部落とされてしまった。
範さんの体は痩せ細り、皮と骨しかない程だった。その間、範さんは一度精神異常になり、死にも直面したことがある。2010年6月、出所した際、範さんは瀕死状態だったが、帰宅して法輪功の修煉を続けることにより、息を吹き返した。
拷問の再現:タオルや雑巾などで口を塞がれる |
2013年11月24日、自転車に乗っていた範さんは、阜陽市の安居工程地区の西門の診療所付近を通りかかったとき、巡回中の警官110人に連行され、カバンの中から法輪功の真実が書かれた資料を見つけられた。そして、中共の裁判所に懲役5年の実刑判決を宣告され、再度、安徽省女子刑務所に送り込まれたという。